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第二章 情報の奔流

しばらくのあいだ、匠の胸の奥では様々な想いが渦を巻いていた。

 外務省を辞めた理由。

 東京での息詰まるような日々。

 A市でようやく手に入れた静かな生活。

 そして、矢島の声に滲んでいた、あの切迫した気配。


 ――国家の安定あってこそ、地方の安定がある。


 その言葉は、かつて匠が自分自身に言い聞かせていた信念でもあった。

 国家の舵取りが狂えば、最初に影響を受けるのは地方だ。

 外交の失敗は、巡り巡って生活の隅々に影を落とす。

 A市の雪景色の静けさも、世界の激流が押し寄せれば一瞬で崩れ去る。


 スマホの表示は、まもなく午前八時を迎えようとしていた。

 匠は決意を固めると、街おこし協力隊の上司に電話をかけた。


 「すみません、急用で……今日は有給をいただきたいんです」


 上司は驚いた様子だったが、匠の普段の勤務態度を知っているため、深くは聞かなかった。

 電話を切ると、匠は深く息を吐いた。


 ――戻るつもりはなかったのに。


 だが、矢島の言葉が胸に刺さっていた。

 “プランBが現実と重なり始めている”

 その一言が、匠の中に眠っていた“分析官としての本能”を呼び覚ましていた。


 匠は普段、元職に関する情報を意図的に避けていた。

 道新はローカル面しか読まず、全国紙は購読していない。

 市役所から貸与されたPCは仕事のときだけ使い、私用のスマホもSNSアプリはほとんど入れていない。

 情報から距離を置くことで、ようやく心の平穏を取り戻したのだ。


 しかし今は違う。

 矢島の声が、匠の中の“静寂”にひびを入れた。


 「……やるしかないか」


 匠は自宅の古いノートPCの電源を入れた。

 起動音がやけに大きく響く。

 久しく触れていなかったため、更新プログラムが大量に走り、画面が何度も暗転した。


 ようやくデスクトップが表示されると、匠はニュースサイトをいくつか開いた。

 その瞬間、画面は“情報の奔流”に染まった。


 世界は今、真偽不明の情報で溢れ返っていた。


 ――ベネズエラで軍事衝突の兆候

 ――イラン国内でデモが拡大、治安部隊が鎮圧に失敗

 ――北極圏の領有権問題、米国が新たな声明

 ――中東アジア各国で米軍の動きに関する未確認情報が拡散


 匠は眉をひそめた。

 情報の量が多すぎる。

 しかも、どれも断片的で、出所が不明瞭だ。


 「……これはまずいな」


 SNSでは、さらに混沌が広がっていた。

 匿名アカウントが“内部情報”を名乗って投稿し、数分後には別のアカウントがそれを否定する。

 動画サイトには、真偽不明の軍事映像が次々とアップされ、コメント欄は罵声と陰謀論で埋め尽くされていた。


 匠は、かつて国際情報統括官組織(IISO)で働いていた頃の感覚を思い出していた。

 情報が多いほど、真実は見えなくなる。

 重要なのは“何が起きているか”ではなく、 “何が起きていないか”を見極めることだ。


 だが、今の世界はあまりにも騒がしすぎた。


 「……矢島が焦るわけだ」


 匠はニュースをスクロールしながら、頭の中で“プランB”のシナリオを思い返していた。

 あれは、アメリカが新モンロー主義を掲げ、世界の警察役を放棄した場合のシミュレーションだった。

 その結果、地域紛争が連鎖し、各国が独自の安全保障戦略を模索し始める。

 日本はその渦中で、アメリカとの距離感を模索する間、外交的孤立の危機に直面する――。


 「……まさか、本当にこの流れになるとは」


 匠は椅子にもたれ、天井を見上げた。

 外務省を辞めたとき、もう二度とこの世界に戻ることはないと思っていた。

 だが、世界は匠を放してくれなかった。


 そのとき、PCの画面に新しい速報が表示された。


 ――ポーカー米国大統領、未確認の軍事行動に関する声明を準備中


 匠の心臓がわずかに跳ねた。

 これは、プランBの“第二段階”に相当する動きだ。


 「……これは、本当にまずい」


 匠は立ち上がり、窓の外を見た。

 朝日が昇り、A市の街並に淡い光が差し込んでいる。

 雪面がきらきらと輝き、空中には踊り子のようなダイヤモンドダストが舞っていた。


 美しい光景だった。

 だが、その美しさの裏で、世界は静かに軋み始めている。


 匠は拳を握りしめた。


 ――逃げられない。

 ――これは、俺が向き合うべき“分水嶺”だ。


 そして、匠は矢島にメッセージを送った。


 《話そう。詳細を教えてくれ》


 送信ボタンを押した瞬間、匠は自分が再び“世界の中心”へと足を踏み入れたことを悟った。

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