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第13.5章 公示日の朝

1月27日、午前六時。

 A市の空はまだ薄暗く、雪が静かに降り続いていた。

 匠はストーブに薪をくべ、湯気の立つマグカップを手に取りながら、

 今日が“特別な一日”であることを静かに意識していた。


 ――衆議院選挙、公示日。


 公職選挙法では、午前零時から選挙運動が可能になる。

 しかし深夜零時から午前八時までは、街頭演説も選挙カーも禁じられている。

 そのため、候補者事務所のスタッフたちは、

 夜明け前の静けさの中で、

 ポスター貼り、事務所設営、SNS投稿など、

 許される範囲の作業に追われているはずだった。


 匠はスマホを手に取り、ニュースを確認した。


 **「233」「243」「261」――注目の議席数」**

 **「高市連立政権に審判 物価高・消費税が争点」**


 匠は今でも分析官の視点で情勢判断する立ち位置を崩していない。

 ただ、今回の選挙が“政権選択”という意味で、

 平成・令和を通じて最も重い判断を国民に委ねるものだという事実だけは、

 静かに胸に落ちていた。


 ――国内と国際の両方が揺れている。

 ――その中での選挙だ。


 次に目に入ったのは、海外ニュースだった。


 **「韓国との相互関税、自動車15%→25%へ」**

 **「中国政府、日本への渡航自粛を呼びかけ」**

 **「中国軍制服組トップ、核機密漏洩疑い」**

 **「グリーンランドで反トランプ運動拡大」**


 匠は深く息を吐いた。


 ――経済、外交、安全保障。

  複数の領域で緊張が同時に進んでいる。


 米紙が「日本のレアアース脱中国依存」を評価したという記事もあった。

 だが、それもまた、世界の構造が変わりつつあることの一端にすぎない。


 匠は静かに呟いた。


 「……第三段階の条件が、また一つ増えたな」


 午前八時。

 匠は市役所に出勤し、総務課の会議室に向かった。

 今日は市内13カ所の投票所設営の応援に入る。


 すでに選管の職員たちは慌ただしく動き回っていた。


 「匠さん、こっち手伝ってください!」

 「投票箱の搬入、午後にずれ込みそうです!」

 「看板の審議が26日にずれ込んで……間に合うかどうか……」


 瀬戸委員長の言葉が脳裏に蘇る。


 **「看板が28日の期日前投票に間に合うか、正直微妙だ」**

 匠の自宅近くの看板は、既に24日土曜日設置されていた。

 しかし、ここは市内中心市街地にある。

 広大な郡部の設置はうまくいっているのか。


 昨年4月にベテラン職員が配置転換となり、

 現場には“経験の空白”が生まれていた。

 その影響が、今まさに表面化している。


 匠は手袋をはめ、投票所設営の資材を抱えた。


 ――世界の緊張と、地方の混乱。

  どちらも“構造の揺らぎ”だ。


 その感覚が、匠の胸に静かに広がった。


 昼過ぎ、匠は市内の投票所を巡回しながら、

 街の空気の変化を感じていた。


 選挙カーはまだ動き出したばかりで、

 各陣営事務所本部のあるI市、F市からスタートするはずだ。

 したがって、第一声のためA市に到達するにはまだまだ時間を費やしそうだ。

 なにしろ北海道の選挙区は、それぞれ他県の2~3倍は面積を擁する。

 厳寒のなか選挙カーを運転するスタッフも、ある意味命がけで運転する覚悟を要する。

 街頭演説は、数日後になるのではないだろうか。

 天候によっては、聴衆が集まらない可能性もある。

 しかし、地元支持者により市内のあちこちで見かけるポスターを貼る様子や、

 連絡事務所前に並ぶのぼり旗が、

 今日から始まる12日間の“熱”を予感させていた。


 匠は雪の降る空を見上げた。


 ――この選挙の結果が、

  日本の立ち位置を大きく変える可能性がある。


 その思いが、静かに胸に沈んだ。



 仕事を終え、家に戻った匠はストーブに火を入れた。

 明日から期日前投票が始まる。

 当市選管も、候補者事務所も、

 そして国民も、

 それぞれの立場で“選択”に向き合う12日間が始まる。


 匠は湯気の立つマグカップを手に取り、

 静かに呟いた。


 「……明日からが、本当の始まりだ」


 その言葉は、

 雪の静けさの中にゆっくりと溶けていった。


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