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第十三章 混乱の前線、静寂の境界

1月24日土曜日、午後。

 今朝の最低気温はマイナス19,4度、この冬一番の冷え込みだった。

 東北・北陸の日本海側では北海道並の寒気団により大雪をもたらす中、

 気圧の関係からか放射冷却現象となり珍しく青空が見える土曜となった。

 

 匠は昨日情報交換した瀬戸選管委員長との会話を思い返していた。


 **「看板設置に関する協議が26日にずれ込みそうだ」**

 **「設置が間に合うかどうか……正直、微妙だ」**


 委員長の声には、疲労と焦りが滲んでいた。


 ――中空知の他の自治体は、すでに設置作業に入っている。

 ――うちだけが遅れている。


 その理由は明白だった。

 昨年4月、長年選挙事務を支えてきたベテラン係長と事務職員が配置転換となり、

 現場には“経験の空白”が生まれていた。


 ――恐らく委員会で協議される「看板の数と場所」は既に内々で決定されているはず。

 ――であれば、今頃土日を費やし突貫工事で看板作成だけは進めているのだろう。


 匠は深く息を吐いた。


 「……これが、地方行政の現実か」


 極寒の中雪を踏む音が、静かな街に吸い込まれていく。


 家に戻り、ストーブに火を入れた匠は、

 ニュースアプリを開いた。


 **「トランプ大統領、Board of Peace からカナダを排除」**

 **「カーニー首相のダボス演説が引き金か」**

 **「米欧対立、経済領域にも波及」**


 匠は画面を見つめたまま動けなかった。


 ――同盟国への“象徴的制裁”。

 ――大国の秩序観が、同盟国に向けられた瞬間。


 カーニー首相の演説は、

 「大国への迎合では安全は買えない」と明確に述べ、

 会場からスタンディングオベーションを受けた。


 その反応が、トランプ大統領の琴線に触れたことは想像に難くない。


 匠は静かに呟いた。


 「……力による秩序が、同盟国にまで及び始めた」


 第三段階モデルの条件が、また一つ埋まった。


 匠は机に向かい、ノートを開いた。


 **〈国内:選挙準備の遅れ、情報空間の混乱〉**

 **〈国際:米欧対立、Board of Peace、カナダ排除〉**


 それぞれは別の出来事に見える。

 だが、匠には“構造”として共通点が見えていた。


 ――どちらも、既存の仕組みが揺らいでいる。

 ――どちらも、経験の空白が混乱を生む。

 ――どちらも、判断の遅れがリスクを増幅させる。


 当市の選管は、看板設置という“物理的な遅れ”。

 世界は、秩序の再編という“構造的な遅れ”。


 匠は静かにペンを置いた。


 「……臨界点は、こういう“複合の遅れ”から始まる」



 午後九時。

 匠はノートPCを開き、矢島とのオンライン会議に接続した。


 画面に映った矢島は、深刻な表情をしていた。


 「匠さん……カナダ排除、見たか」


 「速報で確認した。

  同盟国への制裁は、秩序の再定義だ」


 矢島は頷いた。


 「欧州は反発している。

  EU共同軍構想も加速している。

  米欧の対立は、もう外交の範囲じゃない」


 匠は静かに言った。


 「……第三段階の“輪郭”が、はっきりしてきた」


 矢島は息を呑んだ。


 「日本はどう動くべきだと思う?」


 匠は少しだけ目を閉じ、言葉を選んだ。


 「動くべき、ではなく――

  “どこに立つか”を問われている。

  Board of Peace と既存秩序の二重構造の中で、

  日本の立ち位置は、今後数週間で大きく変わる」


 矢島は画面越しに匠を見つめた。


 「……臨界点は近いのか」


 匠は静かに首を振った。


 「まだだ。 だが、臨界点の“前夜”には入った」


 会議を終えた匠は、窓の外を見つめた。

 雪が静かに降り続いている。

 芦別の街は、世界の激動とは無縁のように見える。


 しかし、匠の胸の中には、

 世界のうねりが確かに響いていた。


 ――地方の混乱と、世界の混乱。

 ――その境界線に、俺は立っている。


 その感覚が、匠の胸の奥で静かに広がっていった。

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