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アマチュア画家の蔭山零児は、初めて訪れた湖畔の美術館で、魅力的な女性を発見した。彼女をモデルに絵を描きたいと思った零児は、彼女を追って、不思議な世界へと誘われて行く。

あなたは美術館がお好きですか?

美術館は不思議な出会いの場でもあるのです。

さあ、あなたもその扉を開いて、この不思議な世界へと足を踏み入れてみてください。

彼女の話をしよう。

 その美術館に行こうと思ったのは、開催されている展覧会に興味があったことも確かだったが、ロケーションに惹かれたというのが主な理由と言えよう。

 湖畔美術館という名称の通り、それは高滝湖という湖の畔にあり、ウェブサイトに掲載された写真の景観に心を奪われた。

 経路を確認すると、一般道でも車で二時間弱の距離にあり、ドライブがてら出かけるにもお手頃に感じられた。

 というわけで、秋晴れの土曜日、蔭山零児は自家用車に乗って市原湖畔美術館へと向かった。車の流れはスムーズで、好きな音楽を流しながらのドライブは快適だった。

 定年退職を機に、趣味で続けて来た絵画一筋に生きて行くことにした。地元の絵画サークルとは肌合いが悪く、東京の歴史ある美術連盟に参加し、年一回の大規模な展覧会の他、小さな画廊でのグループ展などにも参加して、そこそこの評価を受けている。

 零児というのは画号で、本名は礼治という。 高校時代から、シュールレアリズムの絵画に憧れて、ダリやマグリット、キリコやエルンストらに影響を受けたが、最も尊敬するのがベルギーの画家ポール・デルヴォーであり、その幻想的でエロティックな世界観を踏襲しつつ、独自のヴィジョンを追求している。

 基本的には具象画を貫いて行くつもりでいるが、現代美術の多様な表現からは、常に刺激を受けていて、今日も「夢みる力ーー未来への飛翔」と題されたロシア現代アートの展覧会を観に行くのである。

 美術館は、高い樹々に囲まれた、豊かな自然の中にあり、白と明るい灰白色を基調とした、直線と曲線が奏でるコンチェルトのような建物で、その景観がひとつの美術品のような佇まいだった。弧を描いた建物の前には、芝生の庭が広がり、その中に、黒い奇妙なかたちの建物が建っていて、人が出入りしている。これも展示作品のひとつらしい。

 そしてその庭からは、広い湖が見渡せる。

 眼を惹いたのは、湖の畔に、見張塔のような高い櫓が建っていることで、どこかエッシャーのだまし絵に登場する塔を彷彿とさせる建造物に、心が震えた。

 これだけの景観を観られただけでも、ここへ来た甲斐があったなと思った。

 ちょっと小腹が空いたので、隣接するレストランで名物のピザを食べ、コーヒーを飲んで、長時間の運転の疲れを癒してから、美術館の入口へと向かった。

 チケットを購入して中に入ると、そこは円形の吹き抜けのエントランスになっていて、その中央に立体作品が展示されていた。

 穴の空いた球体を繋げた胞子のようなかたちをしたその作品は、KOSUGE1-16という男女ユニットのアーティストによる「Heigh-Ho」という作品で、肺胞という、肺の中で重要な役割をする袋のような器官をモチーフにしたものだった。天空から射し込む柔らかい光の中に立つ、どこか異星の植物のようにも見えるそのオブジェは「ハイホー!」という陽気なかけ声をも連想させるタイトルと相俟って、空間全体を呼吸するような解放感があった。

 そしてまた、遊園地の遊具のような趣きもあり、子連れの親子が、その前で記念写真を撮っていたりする。

 この手の現代アートを扱う美術館が嬉しいのは、一部の作品を除いて、写真撮影がOKなことが多いことだ。特にこのような立体造形物の場合、図録には載らないような、自分だけのツボるアングルで写真が撮れるので、嬉しくなる。

 零児も、その周囲をぐるりと廻りながら、様々な角度から写真を撮った。

 あらためて、来て良かったなと思った。

 他のお客さんの姿が写り込まないように注意しながら写真を撮ってから、いよいよ展示会場へと足を踏み入れる。

 まず最初に眼に飛び込んで来たのは、展覧会のリーフレットのメイン・ヴィジュアルにもなっている、色とりどりの糸で編み上げられた手編みの宇宙ロケットだ。レオニート・チシコフによる「祖先の訪問のための手編みのロケット」と題された作品である。

 見上げるほどの高さがあるそのロケットは、少年の夢がそのままかたちになったような作品で、最先端の科学技術で作られるロケットが、手作業の編み物によって造型されるという、ユーモラスでぬくもりのある表現になっている。まさにこの展覧会を象徴するにふさわしい作品だ。

 その先の、仄暗い展示室に進むと、月と太陽を象ったと思われる照明が埋め込まれた壁に、本棚のような板が設けられ、そこに書籍のかたちをした何人かの肖像写真が飾られている。彼等は、宇宙について熱く語った詩人や思想家や科学者で、その肖像の傍らには彼等の言葉が掲げられている。先のロケットと同じチシコフによる「ロシア宇宙主義者の表彰台」という作品だ。ひとつひとつの言葉に、宇宙への真摯な夢が綴られていて、零児は自分も純粋に宇宙に憧れていた少年時代の夢が甦るような気がした。

 チシコフの作品が続く。

 お次はなんと、パスタで作った未来のユートピアだ。「ラドミール」というタイトルは、ロシア未来派の詩人ヴェリミール・フレープニコフの長詩からインスパイアされたもので、タイトルも調和的な世界を表す、詩人の造語だという。近年のSF映画を観ると、大抵の未来世界が『ブレードランナー』や『マトリックス』のようなディストピアばかりを描いていて、作品そのものは魅力的だけれども、ちょっと淋しい想いをしていた零児には、このチャーミングな未来都市は、とても魅力的に感じられた。だけれども、皮肉なことに、作者夫妻と地元ボランティアによって制作された未来建築は、九月に当地を襲った台風の影響によって、美術館が停電し、空調が停まったことによって、パスタを繋いでいた糊が、暑さによって溶けてしまい、崩壊してしまったのだという。儚く美しい夢の都市は、その繊細さ故に、崩れ去ってしまったのだ。

 それでも、残された数点の作品と、作者によるイメージ・スケッチによって、その壮大なユートピアを想像するのは楽しかった。

 そのユートピアを見下ろすように、切断された大きな樹木の塊が、天井から吊されている。そしてその幹の断面が、満月のように光っている。「芭蕉の月」という作品だ。

 ん、芭蕉?

 タイトルが示す通り、日本の俳人・松尾芭蕉の俳句にインスパイアされた作品だ。

「木を切りて本口みるや今日の月」

 名月を木の断面に見立てた句である。

 意外なところで芭蕉の俳句に接して、この作者への親近感が倍増したことは、言うまでもない。

 しかし、チシコフの作品で、最も彼を感動させたのは、次の「月の訪れ」という作品だった。それは、三日月よりは少し太い、人が腰掛けられそうな大きさの、小舟のような月を象った照明が宙に浮いていて、そこにアンティークな机と椅子を配した小部屋だった。ああ、こんな部屋に住んでみたいと、零児は思った。

 机の上には、紙とペンが置いてあり、来場者はそこで、自分自身の月への想いを、詩やイラストに綴ることが出来、さらにその紙片を、壁に飾ることが出来るという仕様だ。今、そこでは、小学校低学年と思われる少女が、一心に何かを描いていて、若い母親が、それを見守っていた。

 零児は、自分も何か描きたいと思ったが、先客を急かしてもいけないので、別の壁面にある「かぜをひいたおつきさま」という絵画作品を鑑賞した。これは、チシコフ初の絵本の原画で、大好きな作家・稲垣足穂や宮澤賢治の作品を彷彿させるものだった。

 先客が絵を描き終えて席を立ったので、すかさず椅子に坐って、おもむろにペンを走らせた。絵柄はすでに思い描いていた。若い頃に観た『ペーパー・ムーン』という映画の印象的なポスターの図柄を模して、三日月に腰掛けてギターを弾く猫と、その傍らで音色に聴き入る少女を描き、それを壁面に貼った。

 こういう参加型のアートは面白いなと思った。

 チシコフの作品はこれで終わって、次はニキータ・アレクセーエフの作品。

「岸辺の夜」と題されたそれは、絵巻物のように横に長く連なったパノラマを、屏風絵のように立てかけたもので、黒い用紙に描かれたドローイングは、夜の岸辺を散歩しながら、星々への旅をしているような気分を味わわせてくれる。

 続くウラジーミル・ナセトキンの作品は、アクリル板のような透明な板に、円や弧などの抽象的な図形を描き込んだもの。「星座『高滝湖座』」「星と惑星のパレード」と題されている。こうして、冒頭に展示されたロケットに乗って、物理的ではなく、夢幻的に展開する宇宙を旅して来た零児は、さらに次の作品で、無限への扉を開けてしまったように感じた。それは、ターニャ・バダニナの「正面玄関」と題された作品だった。

 発光する白いパネルが張り巡らされた壁の向こうに、透きとおる梯子が見える。その空間に足を踏み入れる途中に、小部屋のような空間があり、その両面に鏡が仕込まれているので、まるで白い円柱が無限に続く通路のように見えるのだ。合わせ鏡という手法である。

 子供の頃、半開きになった母親の鏡台の三面鏡を覗き込んだ時の驚きが甦って来る。前後に反復しつつ、自分の顔が、果てしない彼方まで連続して行く。その時、零児は、無限、永遠ということを、全身で実感した。従姉の部屋で万華鏡を初めて覗いた時にも、同様の感動を味わった。そしてそれは同時に、底知れぬ恐怖をも味わわせてくれたのだ。

 無限の空間、永遠の時……。

 それは、そこにあるけれども決して手の届かない、想像を超えた、圧倒的な何か、だった。零児は、合わせ鏡に映った自分の全身像に向かって、シャッターを切った。

 その時、背後を人影が通り過ぎた。

 白いワンピースを着た、髪の長い、若い女性だった。

 通り過ぎる時、一瞬立ち止まった彼女が、作品全体を見通すように、こちらを見た。そのまなざしに、零児はハートを射貫かれたように感じた。

 まさにそれは、彼が憧れてやまない、ポール・デルヴォーの絵画から抜け出して来たような女性だった。

 美術館を巡っていると、その先々で美しい女性と出くわすことが多い。たいていは、その傍らに男性が寄り添い、腕を組んだりしているのだが、稀に一人きりで鑑賞している人もいれば、女性同士で仲良く手を繋いで、名画の森を楽しげにさまよい歩いている姿を見ることもある。美術に深い関心を持つ女性は、その容姿だけでなく、内側から滲み出て来るような、精神的な美しさを兼ね備えているように感じられる。そしてそれが、オーラとなって、彼女を輝かせているのだ。そういう時、もちろん写真を撮るわけには行かないから、その姿をしっかりと記憶に焼き付け、それが消え去らないうちに、いつも持ち歩いている手帳サイズのクロッキー・ブックに素描するのである。

 零児は、(いざな)われるようにして次の部屋へと歩を進めた。

 その一室もまた、バダニナの作品で、「空の階段」と題されていた。

 天井と床面に、透明なアクリルの梯子が垂直に渡されていて、その輪郭がLEDで発光している。そしてその両端は鏡面になっている。彼女はその鏡面に、熱心に見入っていた。

 零児はそっと近づくと、彼女の反対側から鏡面を覗き込んだ。そこもやはり、合わせ鏡になっていて、光る梯子が、上下へ無限に伸びている。頭の中では、反射的にレッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」の、ギターによる繊細なアルペジオのイントロが鳴り響いた。そしてその至福の音色の彼方に、彼女の顔があった。つるりとした卵形の輪郭に、黒目がちな大きな瞳が、こちらを覗き込んでいた。

 一瞬、視線が交わった。

 それはまさに矢のように、網膜を突き抜けて、彼の脳裡に突き刺さるように感じられた。

 ふと、彼女の口許がゆるみ、かすかに微笑んだように感じられた。そして、残像を残すように、視界から消えた。

 零児はしばし、動けなかった。あの一瞥で、こちらの心は、すっかり見透かされてしまったように感じられたからだ。

 そう、下心だ。

 だけどそれは、単に色気だけの問題ではない。一人の、芸術家の端くれとして、純粋に彼女を描いてみたいと思ったのだ。

 別室へと向かう彼女の後を追って、部屋を出た。

 弧を描く階段を降りて、地下のスペースへ。

 そこは薄暗く、一面に水が敷き詰められている。その水面に、壁面に設けられたディスプレイの映像が反射している。

 アレクサンドル・ポノマリョフの「ナルシス」と題された、大きな映像インスタレーションだ。ナルシスとは、水面に映った自分の姿に見とれて動けなくなり、死んで水仙の花になったギリシア神話の美少年ナルキッソスに由来する命名で、ナルシストの語源にもなっている。

 彼女は、その鏡のような水面に渡された通路を、まるで水の上を歩いているように移動して行く。それはまた、水面を見たら、自分の美しさに溺れてしまいそうになるのを恐れているようにも見える。

 と、背後で男の声がした。

 びっくりして振り返ると、初老の男性が、うっかり水の中に足を踏み入れてしまったらしい。幸い、水はほんの数センチの浅さなので、靴をちょっと濡らしただけで済んだようだった。

 向き直ると、彼女の姿はもうそこにはなかった。

 あわてて次の展示スペースへと向かう。

 ここもまた照明が抑えられていて、細い回廊が洞窟の中のように続いている。

 左右の壁には、円形の紙に鉛筆で巨大な舟が描かれている。これもポノマリョフによる「こだま」という作品だ。

 作者の意図は解らないが、その姿は、前室のインスタレーションのイメージと相俟って、二〇世紀初頭に北大西洋で沈没した豪華客船タイタニック号のことを連想させた。

 歩いて行く彼女の後ろ姿が、よりファム・ファタール(宿命の女)めいて見えて来る。

 再び一階へと戻り、宇宙ロケットのあった入口とは反対側の展示室に入ると、そこには掛け軸のように上から垂れ下がった紙に、太い線が何本も重なり合ったドローイングが描かれている。アリョーナ・イワノワ=ヨハンソンによる「アトランティス」という作品だ。その隣に設置されたディスプレイには、南極ビエンナーレのドキュメンタリー映像が映し出される。インタヴューに応える様々な人の顔、そして美しい南極の風景。ナルシスの泉から、タイタニックの航海を経て、南極大陸にあったと言われる幻の大陸アトランティスに辿り着いたような、奇妙な感覚に捕らわれた。そう、美しい水先案内人に誘われて……。

 最後の展示は、再び「正面玄関」と「空の階段」で零児を幻惑させたターニャ・バダニナの「翼」という作品だった。

 見上げる高さに設置された、発光する翼は、最初期の古典的な飛行機の翼のようでもあり、まさに翼のように見える惑星探査機の太陽電池パドルのようにも見えた。

 彼女は、虚空に浮かんだようなその光る翼を、じっと見上げていた。

 零児も、恐る恐るその隣に並んで、翼を見上げた。

 話しかけるなら、今がチャンスだ。

 幸い、周囲に人はいない。

 零児の心臓は、恋心を打ち明ける中学生のように早いビートを刻んでいる。

 深く息をして呼吸を整えると、右傍らに顔を向けた。

 だが、もうそこに、彼女の姿はなかった。

 あわててエントランスに戻ると、受付を抜けて、緑の芝生を敷き詰めた庭の方に向かう彼女の後ろ姿が見えた。陽射しを受けて、風に翻るワンピースが眩しい。

 零児は、はやる心を押しとどめるようにして、ゆっくりした足取りでその後を追った。

 彼女は、ここへ来た時に真っ先に眼についた、黒い奇妙な建物へと、真っ直ぐに向かって行き、周囲を一巡すると、中へと入って行った。

 この建物もウラジミール・ナセトキンによる「空を見よ、自分を見よ」と題された展覧会の出展作品のひとつだった。彼女の後を追ってそこ入ると、中はいくつかの小部屋に分かれていて、その壁面には小窓や鏡が仕掛けられていて、小さな迷宮のようになっていた。部屋部屋にはドアがなく、開け放たれているのだけれど、一箇所だけ入れない部屋があった。小窓から覗き込むと、床が鏡面になっていて、吹き抜けになった天井の向こうに広がる空が見えた。

 だけど、先に入ったはずの彼女の姿は、どこにも見当たらない。

 ふと、鏡の中に忽然と現れた女性なので、また鏡の中に吸い込まれるようにして去って行ったのではないかという妄想が浮かんだ。想像力をかき立てるいくつもの作品を観て来たので、そんなこともあり得るのではないかという気分にさせられたのかも知れない。

 いや、まさかそんなはずはない。

 思い直して外に出ると、湖の畔にあるあの櫓の方へと歩いてゆく彼女の姿を発見することが出来た。その後ろ姿は、まさに一幅のタブローのようで、零児はすかさずカメラを構えると、櫓と彼女のコントラストが絶妙なバランスの構図となった瞬間を捉えて、シャッターを切った。

 写真のコラージュなどを駆使して、不思議で魅力的なレコード・ジャケットをたくさん作ったことで知られるイギリスのデザイン集団ヒプノシスの作品を彷彿とさせるその景色に、再び心が震えた。

 傑作が描ける、と確信した。

 見ると、彼女はその櫓の階段を昇りはじめた。

 零児は小走りに鉄骨で出来た高い櫓へと向かった。

 櫓の前には、解説のプレートがあり「藤原式揚水機」と書かれていた。養老川の流水を利用して、巨大な水車を回し、それと連動したベルトに付けられた木箱で水を汲み上げる仕組みになっていて、周辺の利水に貢献して来たらしい。現在はその役目を終えて、こうして展望台として復元されている。近寄って見上げると、その雄姿は、どこか怪獣めいて見えて、彼の幼な心をくすぐった。

 今度こそチャンスだ。

 零児は呼吸を整えると、階段を昇りはじめた。踊り場から背後を見ると、さっきまでその中を彷徨っていた美術館の全貌が見渡せる。弧を描き、真ん中の吹き抜けが円を描いた構造は、改めて美しいと思った。

 見上げると、彼女はすでに階段を昇りきって、展望台へと歩を進めたようだ。

 だんだん心臓が高鳴って来る。

 特に胸が苦しいというほでではないのだけれど、自分の気持ちを落ち着かせるように胸に手を当てて、残りの階段を昇りきった。

 視界が開け、空と湖面がパノラマのように広がった。

 彼女は、展望台の手すりに掴まって、湖水を見ていた。そして、零児の気配に気がついて、ゆっくりと振り返った。吹き抜けてゆく爽やかな風が、長い髪と、スカートの裾を揺らした。

 彼女は、まっすぐにこちらを見た。その口許に、うっすらと笑みが浮かんだ。

 零児は反射的に、軽く会釈をした。

 すると彼女も、うなずくように頭を下げた。そして言った。

「ずっと後をつけて来ましたね」

 ガラスで出来たフルートが奏でる音色のような、澄んだ、美しい声だった。

 その声に、咎めるような響きがないことを感じ取った零児は、少しホッとして、自分も口を開いた。

「不躾なことをして申し訳ありません。悪気はなかったのですが…… 」

「それは伝わりましたよ。あなたは芸術家の眼でわたしをご覧になってましたからね」

「恐縮です。芸術家だなんておこがましいのですが、絵を描く者のはしくれとして、あなたの美しさに見とれてしまったのです」

 気恥ずかしい台詞だなと思ったけれど、今は率直に自分の気持ちを語った方が良いなと思ったし、彼女には、それを受け容れてくれるような懐の深さを感じたからだ。

「嬉しいです。そうおっしゃっていただけると……。でも、何だかちょっと恥ずかしい」 言って、はにかんだような笑顔を浮かべると、かすかに頬を染めた。その風情がまた、愛らしく愛おしかった。

 よし、このタイミングで本題に入ろう。

 そう思って声を発した瞬間、

「あの……」

 二人の声が重なった。

「あ、どうぞ」

 反射的に、エスコートするように右手を差し出して、相手の話を優先することにした。

「ここへいらしたのは、初めてですか?」

「ええ、今日が初めてです。とても素敵な場所ですね。もしかしたら地元の方ですか?」

 小さくうなずくと、彼女は話題を変えた。

「この地は、『更級日記』の作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が幼少期を過ごされた場所なんです。ご存じでした?」

「はい、以前ある歴史もののテレビ番組で『更級日記』について取り上げられているのを観て、とても興味深く思い、現代語訳を読んだりもしました」

『更級日記』は、平安時代の日記文学のひとつで、作者の少女時代から、結婚、出産を経て年老いて行くまでを綴ったもので、特に、物語に憧れて想像力を逞しくする少女時代の記述は、どこか、アニメやマンガの世界に憧れる現代の少女たちにも通じるキャラクター性を感じて、楽しんで読んだ。

「何か、お気に召したお話とか、ありました?」

「そうですね」こういう話題は嫌いではないので、つい饒舌になる。「作者が、父親の転勤に伴い、上総の地を離れて京都へと旅立ちますね。その途中、足柄山の山中で、三人の遊女に出会うエピソードがあります。三人の遊女は、老婆と若い女と少女で、親子関係なのかどうかは定かではありませんが、僕はこの場面を読んで、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクの『女性、スフィンクス』という絵のことを思い浮かべました」

「『叫び』の作者ですね」

「ええ、女性の生涯のそれぞれの時節を描いたものと言われていますが、足柄山に現れた遊女たちの三人が、まさにその『女の一生』を体現しているようで印象的でした。そして彼女たちが、美しい歌声を聴かせた後、深い森の中に忽然と消えて行くという、なんだか夢幻能の一幕のようで、惹き込まれました」

「そのお話、わたしも大好きです」

 ふと、その遊女たちの歌声とは、今の彼女のような声だったのではないかという妄想が湧き上がった。

「それともうひとつ……」

 彼女とこうして会話をしているのが嬉しくて、本題に入るのも忘れて、さらに付け加えずにはいられなかった。

「作者と姉が、どこからか迷い込んで来た猫を飼うエピソードがありますね。その姉が病に伏していると、猫が夢の中に現れて、自分はどこぞの大納言の姫君であると言って泣いたという……」

「そう、それ、そのエピソードがいちばん好きです」

 言って彼女が笑みを浮かべた。

『更級日記』について語り合うことによって、二人の間に打ち解けた空気が生まれたように感じた。

「ところで、折り入ってお願いしたいことがあるのですが……」

 意を決して切り出してみた。

「はい」

 真顔になって、彼女がこちらを見た。

「先ほども申しました通り、自分は絵を描いている人間です。アマチュアではありますが、僕の絵を気に入ってくれて、購入してくれる人もいます。写実的というよりは、どちらかというと幻想的な作風で、ポール・デルヴォーや、作風は違いますがマルク・シャガールなどの作品を手がかりに、自分なりの世界を描けたらと思い、創作活動を続けて来ました。そして先ほど、美術館であなたをお見かけして、まさに天啓を受けたように感じたのです。あなたこそ、僕が探し求めていた女性美の理想型なのだと……。それで、初対面のあなたに不躾なお願いではあると思うのですが、僕の絵のモデルになってはいただけないでしょうか? もちろん、それ相応の御礼はさせていただきますし、スケジュール等のご希望にも添うようにします。なのでどうか、考えていただけないでしょうか? もし、考える時間がご必要でしたら、お待ちします」

 言葉を選びながら、ゆっくりと、想いの丈を率直に伝えたつもりだった。

 祈るような想いで相手の瞳を覗き込んだ。

 彼女は一瞬伏し目になり、再びこちらを正視して言った。

「ありがとう……。あなたの想い、しかと受け止めさせていただきました」

「それじゃ……」

 零児は思わず一歩、踏み出していた。

 彼女は静かにうなずきながら言った。

「眼を閉じてください」

「眼を?」

「わたしがいいと言うまで、決して開けないでくださいね」

「解りました」

 どういう意図なのか、正直解らなかったが、この場は相手の言う通りにするしかないと腹を決め、しっかりと眼を閉じた。

 眼を閉じても、完全な暗黒状態にはならない。ましてや太陽光線が降り注ぐ昼下がりなので、瞼の裏側には様々な色彩が瞬き、浮かんでは消えてゆく。そして背後からは、美術館前の庭の芝生を走り廻って遊ぶ子供たちの笑い声が遠く聴こえる。さらに聴覚に意識を集中すると、前方からは微かな衣擦れの音が伝わって来る。零児は、今、自分の前で進行しているであろう状況を想定して、さらにきつく眼を閉じた。

 ふっ、と甘い香りが漂って来た。

「いいわ、眼を開けて……」

 静かな湖面に水滴が落ちるような声がして、零児は眼を開いた。

 とたんに、まばゆい光の洪水が押し寄せて来た。今まで固く眼を閉じていたので、明暗の差に眼が追いついて行けない。

 思わずもう一度、瞼を閉じた。

 するとそこに、残像のように、美しい女性の裸体が浮かび上がった。眼が慣れると、肌のきめの細かさまでも鮮明に見える。これこそが、彼が追い求めていた究極の女性美だった。ため息をついて、しばしその裸像に見とれた。それから、ゆっくりと眼を開いた。

 今度は眩しくなく、目前の風景を見ることが出来た。だがそこに、すでに彼女の姿はなかった。脱ぎ捨てたであろう衣服もなく、忽然と消えてしまっていた。

 零児は欄干のところまで行くと、恐る恐る身を乗り出して下の湖面を覗き込んだ。だが、湖面には微かにさざ波が立っているだけで、人が飛び込んだ跡のように波紋は見えなかった。だいいち、彼女がここから湖水にダイブしたのなら、それ相応の水音がしたはずた。

 同時に、素早く階段を降りたとしても、足音は消せないはずだ。

 それでも念のため、背後の階段と、その先に見える美術館の方に隈なく視線を走らせたが、やはり彼女の姿を見つけ出すことが出来なかった。

 白昼夢を見たのだろうか?

 そうだ、写真を撮ったはずだ。

 カメラを取り出して、画像をチェックしたが、「正面玄関」という作品の合わせ鏡に映ったはずの彼女の顔も、この展望台に向かう彼女の後ろ姿も、そこには写っていなかった。

 落胆で、全身から力が抜けて行く。

 うなだれて、その場にへたり込んだ。

 せっかく巡り会えた最高のモデルを、一瞬のうちに失ってしまった。

 ため息をつきながら眼を閉じた。涙も出て来ない。だが、不思議なことに、閉じた瞼の裏側に、閃光とともに眼に飛び込んで来た彼女の裸像が、くっきりと浮かび上がって来た。


 それから五年の月日が流れた。

 世の中が、新型コロナ・ウィルスの猛威に騒然となっている中、蔭山零児はアトリエに籠もって絵を描き続けた。

 モチーフはもちろん、あの日、湖畔の美術館で出会ったあの女性の姿だった。

 眼を閉じて、精神を集中すれば、瞼の裏側に、彼女の姿をありありと見ることが出来た。

 その姿を、様々な風景の記憶を合成して創り上げた幻想的な背景の前に立たせることで、いくつもの作品が出来上がって行った。

 そして、思いつくかぎりのすべてのヴィジョンを描き尽くしたと思った時、瞼の裏の彼女の姿も、消えていたのである。

 ちょうどそのタイミングで、懇意にしている東京の画廊から、個展をやらないかという誘いがあった。描きためた作品を発表するにはいい機会だと思ったので、そのオファーを受けることにした。

 個展のタイトルは「湖畔のミューズ」と決めた。同じ画題の作品を、画廊のドアを開けると正面に見える壁に掲げた。

 湖水をバックに、展望台に立つ彼女の裸体を描いたものだった。

 初日にはオープニング・パーティが催され、友人や知り合いの画家たちが集まり、賑やかに盛り上がった。作品も好評で、何点かはすぐに買い手がついた。だが、「湖畔のミューズ」だけは非売にしていた。この作品だけは自分のそばに置いておきたかったからだ。

 翌日、ワインの飲み過ぎでまだ痛む頭をかかえつつ、お午近くになって宿にしていた都内のホテルを出て画廊に行くと、迎えた初老の女性オーナーが言った。

「さっき、この絵のモデルさんが見えられたわよ」

「えっ! 本当ですか? いつ頃ですか?」

「ここを開けてすぐだったから、まだ他に誰もお客さんがいなくて、ゆっくりと一点一点絵をご覧になっていたわ。ホント、美しいお嬢さんね」

「それで彼女は、どこへ?」

「話しかけようと思ってたら、他のお客さんがどんどん見えられて、気がついたらもう姿は見えなくなっていたわ。でも、その芳名帳に名前が書いてあると思うけど……」

 言われて、入口のところにあるテーブルの上に広げられた芳名帳を手に取り、今日の入場者の最初の名前を確認した。そこには、住所も電話番号も空白のまま、流麗なペンの文字で青く「SARA」とだけ記されているだけだった。

 優れた美術館には、それぞれの美意識にふさわしい美神(ミユーズ)が宿るものなのだろう。彼女もまた、そんなミューズのひとりだったのかも知れない。

                                了

あなたがこの次訪れる美術館では、どんなミューズとの出会いがあるでしょう?

それではまた、この不思議な空間でお逢いしましょう。

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