初めての支援センター
映える写真を撮ろうよ、と咲良ちゃんママに誘われて、芽衣ちゃんママと3人でアートアクアリウムに来た。
人工的な光を受けとめて飾り立てられた水槽の中を泳ぐ金魚は現実味がなく、作り物のようだ。全体的にシックで暗めの空間なので、アクアリウムの中で撮る凜の表情はいつもより少し大人びて見えた。
一時間もすればアートアクアリウムは見終わり、みんなで軽食が食べられるカフェに入った。メニューにあるスパークリングワインが魅力的だが、授乳中なので我慢して、デカフェのカフェラテとサンドイッチを頼む。
「はー、一仕事終えた感がすごい!」
ベーグル片手にアイスティーを飲んで咲良ちゃんママが言う。芽衣ちゃんママはキッシュをフォークでつつきながら、金魚きれいだったね、と言った。芽衣ちゃんママの話し方はぽわんとしていて、ほっとした気持ちになる。私は凜に液体ミルクを飲ませながら相槌を打った。
「最近、保育園見学していてさー。毎日出かけている気がする」
「咲良ちゃん、保育園申し込みするの?」
「うん。シンママは収入ないときついからさ、来年の4月入園を狙うよ。第7希望まで書けるから、全部埋めるつもり。それだけ書けば、どこかに引っかかるかなって」
すごいんだよ保育園も色々あってさ、私立のところはそれぞれ特色もあって、英語やリトミックもあるし、一番びっくりしたのは布おむつのところで…と咲良ちゃんママが続ける話に耳を傾ける。
「保育園の口コミとか情報ってどうやって調べるの?」
気になっていたことを聞いてみた。育児休業給付金を継続してもらうために、凜が一歳になる10月に入園申し込みを行うつもりだ。わざと落ちるために第一希望しか書くつもりはないが、念のため保育園のことを調べてみた。
しかし、あまり情報が出てこないのだ。自治体のHPや保育園のHPには当たり障りのない情報しかなく、雰囲気や実際のところどうなのかまではわからない。稀にGoogleマップに口コミが書いてあることもあるが、口コミは数件で、全然参考にはならない。
保育園に限らず、小学校や病院、習い事など、すべてにおいて同じような感じで、世間のママさんたちはどうやって情報収集しているのか疑問だった。
「私の場合は見学に行って、通っている子の親御さんとバッティングしたら話しかけて聞いてみるよ。あとは、支援センターに遊びに行くんだけど、そこにいる他のママさんに聞いている」
「支援センターってどう?」
気になってはいるものの、行っていない場所の一つだ。
「結構楽しいよ!他のママさんとも話せるし、保育士さんが常駐していて、育児アドバイスももらえるし。あと、おもちゃがたくさんあって、咲良も楽しそうに遊んでいるよ」
「よさそうだね。行ってみようかな」
「凜ちゃんママ行ったことないんだ?」
実はそうなの行こうと思いつつ勇気が出なくて…と言いながら、凛の髪の毛を撫でる。最初は緊張するよね、と芽衣ちゃんママがフォローしてくれる。
「私も初めて芽衣と行ったときはドキドキしたけど、行ったら意外と楽しかったよ」
無理していく必要はないけどね、と芽衣ちゃんママは言いながら、芽衣ちゃんの口から零れた食べかすをキャッチした。芽衣ちゃんは、ベビーせんべいを握りしめて嬉しそうに食べている。
「一回行ってみようかな」
「凜ちゃんハイハイしているから、自由に動き回れていいかもね。支援センターだと危ないものもないし、広々と動けるよ」
芽衣ちゃんママの言葉に背中を押された。時間のある時に行ってみよう。凜も我が家の狭いリビングでは物足りなさそうだし、広い空間でハイハイさせるのはいいかもしれない。
「そういえば、凜ちゃんと芽衣ちゃんは保活するの?」
当分は自宅保育の予定だよ、と私は応えた。悠人の収入は決して多くはないが、贅沢をしなければ家族三人暮らしていける。最近は、凜を幼稚園に入れるまでは仕事をしないで自宅保育でもいいかもしれない、と思っている。
「…実は、うちは家族で海外に移住するかもしれなくて…」
芽衣ちゃんママの言葉に、えー?どこ?と咲良ちゃんママが驚いた声を出す。私も初耳だ。
「シンガポールの予定なの」
「いいなー。パパのお仕事で?」
「うん。カラフル小籠包を海外に逆輸入しようとしていて、シンガポールにまずは一店舗目を開いて、それからアジアにも広げていこうかなって思っているみたい」
うわーグローバルでいいなー。全然だよ、私海外住んだこともないしシンガポール行ったこともないし不安で…。
咲良ちゃんママと芽衣ちゃんママの会話を頷きながら聞く。凜は布絵本に夢中で、ガザガザと音を立てながら遊んでいる。地方公務員の悠人は海外に行く機会はない。
「いつ行く予定なの?」
「たぶん秋くらいかな。パパのお仕事次第」
芽衣ちゃんママは芽衣ちゃんの頭を撫でながら、家族一緒がいいよね?と言う。
「寂しくなるな」
私も寂しいよ、と芽衣ちゃんママが言って、なんだか場がしんみりしてしまった。
芽衣ちゃんママはシンガポールに行ってもインスタグラムを続けるのだろうか。海外の風景は写真映えするし、フォロワーが増えるに違いない。
咲良ちゃんは保育園、芽衣ちゃんは海外。凜には、何があるのだろうか。
***
初めての場所に行くときは、いつもドキドキする。私は支援センターに行ってみることにした。凜には花柄のワンピースを着せて、私はカジュアルな膝下丈のワンピースを着た。
支援センターの扉を開けると、人の良さそうな顔のおばさんと目が合った。エプロンを身に着け、胸元には名札を付けている。名札には平仮名で「のはら」と書いてあった。
「初めて来たのですが…」
緊張している私に、のはらさんは優しく説明してくれる。
「初めまして。まずはここにお名前を書いてください。名札を付けてくださいね。中でセンターの利用方法を説明しますね」
紙に「澤木凜」と書いてから名札を受け取り、センターの中へ入った。思ったよりも中は広く、たくさんのおもちゃが壁際に並べられている。床にはマットと畳が敷かれており、子供が転んで痛くないように配慮されている。すでに七組ほどの親子がいて、皆思い思いに遊んでいた。
どこに座るべきか悩んでいると、のはらさんが折り畳み式のテーブルを引っ張り出して、こちらへどうぞ、と言ってくれた。
「凜ちゃん、こういうおもちゃ好きかな?」
のはらさんが凜の前におもちゃを置くと、凛は早速手を伸ばした。からからとおもちゃの歯車部分が回り、音が鳴る。凜は興味を持ったらしく、遊び始めた。
「まず、登録するので、こちらのアンケートに書いてください。書き終わったら説明しますね。」
のはらさんに手渡されたアンケートに記入していく。すぐに書き終わると、のはらさんから資料を手渡されセンターの利用方法を説明された。
「ちょっと!のぞみ!」
よちよち歩きの女の子がテーブルに侵入してきた。テーブルの上の資料を取ろうとする。気になっちゃうよね、とのはらさんは笑いながら、他のおもちゃを渡して気を引いてくれる。女の子のママさんは、すみません…と申し訳なさそうにしながら女の子を抱き上げ他の場所に連れていく。
「説明は以上ですが、何かわからないことはありますか?」
特にないです、と答えた。気を使ってくれるのか、のはらさんが近くにいた親子に話しかける。
「つむちゃんは、9ヶ月よね?凜ちゃんと月齢近いかな」
人の良さそうな顔をしたママさんに、何か月ですか?と話しかけられる。ブラウンに染まったロングヘアーの根本5センチほどが黒くなっており、長らく美容院に行っていないことが窺い知れた。服もくたびれたジーンズとTシャツ。隣にいたママさんもすっぴんに眼鏡で、部屋着のようなスウェットを履いている。一緒にいる赤ちゃんの服が新しくおしゃれなのが、ちぐはぐに見えた。
それからのはらさんも交えて当たり障りのない会話をするが、いまいち楽しくない。つい相手の短く切り揃えただけの爪先や服についた毛玉の方に目がいってしまう。笑茉ちゃんママや咲良ちゃんママと一緒にいるときのような緊張感がない。メイクをして髪をセットして、清潔なワンピースを着た私が異物に思えた。途中で、のはらさんは癇癪を起して叫んでいる子のところに行ってしまってから、会話はますますつまらなくなった。
入口から新たに親子が入って来た。ママさんは体重が80キロはありそうなくらい太っていて、伸びた髪の毛先がぱさぱさだ。体形からも服装からも、見た目を気にしていないことが見てとれた。二人のママさんと顔見知りらしく「おはよう」と手を振って合流した。
「この間、愚痴聞いてもらってありがとう!本当すっきりしたよ。また旦那がさー」
私の存在をスルーして太ったママさんがマシンガント―クで話すのを、他の二人のママさんがうんうんと聞く。旦那が出かけるときに全然用意を手伝ってくれないこと、ゲームばっかりしていて子供たちの面倒を見ないことを矢次早に愚痴っている。この場はすっかり彼女の独壇場で、あたかも彼女は支援センターの主のようだ。
凜が空気を読んだかのように、ハイハイして別の方向へ向かう。私はハイハイする凜を追いかけてフェードアウトする。ボールを穴に入れると転がり出るおもちゃがあり、それが気になったようだ。凛はボールを穴に入れることよりも、プラスチックのボールの方が気になるようだ。それぞれの手にボールを持ち、ボール同士をカチカチとぶつけて音を出して楽しんでいる。
凛を見守りつつ、周囲の様子を観察する。先ほどの主御一行は、主を中心に子供そっちのけでおしゃべりに興じている。その他にもママ同士で談笑している人や、子供とマンツーマンで遊んでいる人、子供を遊ばせながら夢中でスマートフォンをいじっている人がいる。東京じゃなく神奈川という場所が悪いのか、笑茉ちゃんママや咲良ちゃんママみたいなオーラのある美人なママはいない。ぼさぼさの手入れされていない髪の毛とすっぴん、眼鏡、部屋着…みたいな服装のママばかりだ。見た目で美意識はわかるが、私と同じベクトルの人はいなさそうだ。この人と話したいな仲良くなりたいな、と思えるような人がいない。
他の利用者さんが写らなければ写真OKと聞いていたので、凛がおもちゃで遊ぶ様子をスマートフォンで撮影する。恐らくもう二度と来ないだろう支援センターだけど、せめてインスタグラムのネタくらいにはしたい。
写真を数枚撮ると、ついでにインスタグラムを開いた。笑茉ちゃんママから結菜ちゃんと三人で遊ぼうというお誘いが来ていた。私は行くと返事をする。やっぱり私にはこちらの世界の方が合っている。
そのまま、支援センターを後にした。