第4話
(もしかして私は人攫い……?)
自宅リビングのソファで少し冷静になろうと、買ってきたビールを一気に口内に注ぎ込む。いや、むしろ現実逃避しようとしているのか、私は。
何を思ったか、あの時私は路地裏の男に向かって「うちに来ない?」と言った。
明らかに正気じゃなかった。
相手の素性も知らないのに、家に連れ帰るなんて。
でも、あの時の男のあの微笑はとても美しい芸術作品に見えたから。
どこか儚い不完全さを持つ危うく美しいガラス細工のように――――。
ガチャリと扉を開く音がする。
バスタオルを腰に巻いただけの姿で、路地裏の男がリビングに入ってきた。
(あ――着替え出すの忘れてた……)
驚きすぎてその姿を凝視していると、
「あ、あの、着替えって……」
と申し訳なさそうに言う男の声で、「あ、ああ」と我に返る私。
自宅に連れ帰ってから、すぐに風呂を沸かし入れと促した。
路地裏にいたからか、少し生ゴミ臭いにおいがしたから。
あの黒猫もついでに連れ帰ろうかと思ったが、いつの間にか逃げていなくなっていた。残念。
慌てて部屋に着替えを取りに行くが、長い間一人で暮らしてきたので、男もののサイズの服などあるはずもない。
仕方なく過去に寝間着として使っていたLサイズのTシャツとハーフパンツを出した。これがうちにある一番大きいサイズの服だが、見た目的に着れるかどうか。
男はいそいそとそれを持って洗面所に戻り着替えてきたが、案の定なかなかのパツパツ具合。
男は身長も高いし、肩幅も有りなかなか体格が良い。
何故こんな男が路地裏にいたのか。
理由は後ほどゆっくりと聞こう。
「い、今はそれしかないので、我慢してもらえますか?」
私はなんとなく敬語で言う。少しでも常識人だと思われたいのか。
しかしこんなことをしてしまった時点で、その希望は叶わない可能性が高い。
男は家の中を見回してから、私の言葉には答えずポツリと言う。
「あの……俺はヒモになるのでしょうか」
思わずぶっと吹きそうになった。
私も大概だが、この男もかなり変わっている。
それから二人でソファに座りビールを飲みながら、私は男が何故あそこにいたのかや、素性について詳しく聞いた。
この男の名前は“慎二”というらしい。
年齢は28歳。
田舎の実家は大きな農家で、慎二も農業を生業としていたのだが、両親が事故で亡くなったのをきっかけに長兄が実家を継ぎ、慎二は突然家から身一つで追い出されてしまったのだという。
慎二はスマホもカードも通帳も全てを家に置いたまま、一文無しで途方に暮れながらこの街に辿り着き、路地裏に身を潜めていたらしい。
ここまで聞いて、なんと頼りない男だと思った。
28歳にもなって、追い出されたからと言ってすごすごと家を去るなど、正気の沙汰じゃない。
私なら家に乗り込んで、せめて自分の金くらいは掴み取ってから出てくるだろう。
見ていると慎二は、農業をしていたからか体格は良いのに、ナヨナヨしてビールもちびちびとしか飲まない。
(あの芸術作品の微笑は何だったのか)
この姿を見ていると、あの時と同一人物とは思えない。確かに顔は間違いなく美形と言えるほど整っているが。
追い出されたのが少し前なら、寒さで凍死していただろう。
しかし両親が亡くなり、実家から追い出されたという境遇には同情する。
私には祖母がいたが、慎二には他に親戚はいないのだろうか。
路地裏にいた男を拾って、その話を信じるなんてと思うが、頼りなさの塊のようなこの男が嘘を言っているようには思えなかった。
母性本能くすぐる系とはこのような男なのだろうと妙に腑に落ちる。
「ヒモがどうとかってさっき言ってたけど……」
私は敬語をやめて、慎二に少し上から目線で話すと、「はい」と言って慎二は上目遣いを寄越す。まるで捨てられた子猫のように。
うっとなって、その整った顔から目が離せなくなる。
私好みの顔であることは確かだ。だから拾ってきたのだから。
「……ヒモになりたいの?」
「え……う……わ、わかりません」
目線が下にさがり、自信無げに消え去りそうな声で慎二は言う。見ると耳まで赤くなっている。
『わからない』?
『わからない』って何だ。
「……えーっと、ここまで連れて来てしまった引け目もあるから追い返したりはしないつもりだけど……これからどうするか、何も考えてないの?」
「う……は、はい……家もお金も何もないので……」
「どうにかするアテは? 親戚とか」
「親戚は遠くに住んでるので……会ったことも何度かで……」
「友達は?」
「……いません……」
「……」
いない!? いないってことないでしょう。いないってことは。
私の中で結論は出ている。
ただ、このまま成り行きでこの男を家に居座らせるのは、なんとなく不埒な気がして気が引ける。
だからそれっぽい理由を探して、正当性を形だけでも作りたいと私の頭は思っているのだろう。
慎二が未成年なら完全に犯罪だ。
だが相手は28歳の立派な大人。
別に正当性などどうでもいいんじゃないか?
見目麗しい男性を拾い、ヒモにして家に住まわせる。
ただそれだけのこと。それの何が悪い?
頭の中で変に開き直り、元々出していた結論に納得しようと私は覚悟を決める。
「分かった。しばらくこの家にいていいわよ。ただ、家事は出来る?」
慎二は私の言葉に少しの間ポカンとしていたが、コクコクと何度も頷いて、ホッとしたように表情を緩めた。
その顔がなんだかお腹の奥を刺激して、私の中に少し意地の悪い感情が顔を出す。
「料理の腕は? 言っとくけど私はグルメよ」
スーパーの惣菜で舌鼓を打っているくせに、偉そうに腕を組んで言ってみる。
「畑で採れた野菜で料理をするのが趣味だったので……結構得意です……」
……それはかなり期待出来るんじゃなかろうか。
他にも実家で家事はひと通りさせられていたらしいので、特に問題なさそうだ。
なんだか理想どおりに事が運んでいて怖いくらいだ。
『見目麗しくて家事が出来て金に飢えてる男子』
慎二はそれにピッタリ当てはまってしまう。
表情は平静を装っていても、私の胸は期待にドキドキと高鳴っていた。