第2話
今まで、『未知』という言葉にさほど興味を唆られなかった。
『未完成』の方が好きだった。
でも私の遺伝子が、子孫を残すという生物としての本望に逆らえなくなったのか、唐突に家族というものを持ちたくなった。
トキソプラズマという寄生虫は、ネコ科の動物に最終寄生するため、宿主の行動を自身の有利に働くよう操るのだという。
例えばトキソプラズマに寄生されたネズミは、ネコの糞尿の匂いに引き寄せられ、ネコに食べられてしまうらしい。
ネズミ本来の本能とは、自身の子孫を残せるように行動することだが、それとは逆の行動を取らされてしまうのだ。
人間も例外ではないらしい。
トキソプラズマは人間の脳にも寄生する。
もしかすると、今まで私はトキソプラズマのような寄生虫に操られていて、子孫を残すという本来の本能とは逆の行動を強いられていたのではないか、という妄想を膨らませてみた。
なぜなら芸術関係の繋がり以外の人間関係は煩わしい以外の何ものでもなく、極力関わりを避けてきたこの私が、唐突に婚活をしたいなどと思うようになったのだから。
そんな馬鹿らしいことがあるはずはないと思いつつも、何らかの原因で寄生虫が抜けたように、本能の赴くままに私は婚活パーティに申し込んでみたのだった。
ちょうど運よく次の日に参加出来るパーティがあった。
パーティは立食形式で、ホテルの宴会場を貸し切って行われる。
ドレスコードはセミフォーマル。
私は新たにドレスを新調するという気合いの入れようで、やや緊張気味に会場入りした。
本日のパーティは、こういったものの中では会費が高額なようで、平均年齢はやや高めに見えた。
それでも、女性陣の中で私は高齢な部類であることはまず間違いないだろう。
皆華やかなドレスやワンピースを着用していて、美容院でセットしたのであろう綺麗な髪型をしている。
男性は大体がダーク色のスーツだが、中にチラホラと明るい色をお洒落にまとめている人もいた。
一際目立つピンク色のワンピースを身に纏ったボブヘアの女性が、一身に男性たちからアプローチを受けていた。ふんわりとしたパーマのかかった薄茶色の髪。ほっそりした膝下。ワンピースと同じ色のベルト付きの華奢なパンプス。
見た目からして、おそらく二十代半ばくらいであろう。
ナチュラルメイクだが、そこそこ派手な顔立ちをしている。
周囲に取り巻く女性たちの表情を見るに、場違い感がハンパない。
女性たちのセリフを代弁すると、「あんたなんでこの場にいるのよ。もっと若いグループに行きなさいよ! 私にスポットライトが当たらないじゃない!」といったところか。
このボブの女性からすると、これは正解なのだろう。
若いグループに行けば、これ以上は目立てない。であれば、自身がライトを存分に浴びられる有利な場に立ちたいと考えるのは当然のことだ。
彼女はこの中の最もイケてる男性とゴールインするのだろう。
高額な会費を支払っても損はない。
(なかなか賢い)
私は自分のことはさておき、普通に感心する。まるで生物たちの生存競争を目の当たりにする観察者のように。
腕を組んで、男性と話す気はあまりなく一人ウェイターが持ってきてくれたカクテルを飲みながら壁際に立って人間観察を楽しんでいると、一人の男性が声をかけてきた。
「お一人ですか?」
パリッとしたスーツを着た同い年くらいの男性。
「ええ。まあ」
仲良しこよしで友達と来るような場でもなかろうに、と思いながらも、見ず知らずの人間と話す緊張感に、やや声が上擦る。
そして今更ながら思い出した。婚活をするということは、見ず知らずの人間と話し、親しくなるということ。さらにその先にある結婚とは、その相手と共に暮らすのだということを。
「ご一緒しても?」
「どうぞ」
その男性は自然に、私の隣に立つ。
仕事で会う人間とこの距離感で話しても何ともないが、さすがにそういう目的でこのような場に参加しているという恥ずかしさがあり、緊張が拭えない。
それでも何ともない表情で平静を装う。
「貴女のような方と出会えるなんて、思ってもみませんでした」
その男性は唐突に耳を疑う発言をする。
いや、私がこういう雰囲気に不慣れであるから、そう思うのだろうか。
男性は私の心境など到底察してはいないのだろう、意気揚々と続ける。
「私は落ち着いた大人の女性が好みで、洗練された貴女の美しさに惹かれて、思わず声を掛けてしまいました」
私は思わず先程のボブの女性を見てしまった。
暗に比較されていると見るのは、私が捻くれているからか。
むしろこの男性が私を褒めようとしているのだということは分かる。
でも、なんだか揚げ物を食べた後の胸焼けのような気持ち悪さがあるのは何故なのか。
その後も男性は私の機嫌を取ろうとしているのか、やたらと綺麗な言葉を並べ立てては、白い歯を見せつけて笑う。
私は男性の話を聞きながら、未知の感覚を味わいたいという欲求と、本能的な拒否反応との狭間を彷徨いていた。
「すみません、ちょっと」
数分後に限界が来て、お手洗いに行くフリをしてその場を離れる。
後ろからチッという舌打ちが聞こえたのは、気の所為ではないだろう。
ああいうのに引っかかる女性などいるのだろうか。
いや、いないからこの場に来ているのか?
自分もそうなので人のことは言えないが、あのような見え透いたやり方はいただけない。
その後も数人の男性に声を掛けられたが、いずれもなんだか不自然で、逃げるようにコミュニケーションを避け続け、気付くとパーティは終わっていた。
全員と一定時間話せるように取り図られたパーティもあるらしいが、とてもじゃないが耐えられない、と私は今日思った。
そういえばあのボブの女性はどうなったのだろうとふと思ったが、別にさほど興味があるわけではなく、結果を見ぬまま会場を後にした。
せっかく着飾ったのだし、帰り際にたまたま見つけた良さげなバーで飲もうかとも思ったが、やはり柄にもないことはすべきでないと、スーパーで缶ビールを三本買って私は大人しく自宅へ帰ったのだった。