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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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8.『眠れるジプシー女』 アンリ・ルソー

「忙しい教授を五分も待たせるなんて、君もえらくなったもんやなあ」

「私は時間どおりですよ、教授」


 鎌倉から京都まで約三時間。


 長距離移動を終えたばかりの松葉は、疲労と教授の態度にため息をついた。


 電車と新幹線を使えば半日足らずで移動できる距離。こう言えば近いように思えるが、実際のところ、鎌倉駅から新幹線乗り場のある新横浜駅までは二回の乗り換えを要する。加えて、京都駅についてからも出町柳駅までの移動だ。ただでさえ、宿泊荷物に絵画、教授のための土産で体が重いのに。これ以上急かされても困る。


 少しでも荷物を減らそうと土産を先に手渡せば、教授は「おお!」と目を輝かせた。


「十分前行動は社会人のマナーらしいで。まあ、今回は土産に免じて許したるわ」


 黒とグレーの着流しをさらりと着こなし、カンカン帽からひと房結った黒髪を垂らした教授は黙っていればモデルのよう。だが、ひとたび口を開くとうるさくてかなわない。しかも、丸メガネの奥に見えるキツネ目が口以上に松葉をからかっていて、思わず、うっとうしいですよと本音がこぼれ落ちてしまいそうだった。


「ああ、そうや。店は予約しといたで。普通はお願いするほうが接待するもんやけどなあ。俺は優しいから、君を歓迎してやろうと思って。行くで、ほら」


 教授は松葉へと手を差し出す。松葉がきょとんと首を傾げると


「……はあ、相変わらずやなあ。そうやってぼんやりしてるから、先生にいいようにつかわれるんとちゃうか」


 教授は松葉からキャリーケースをひったくって歩き出した。


「あ、ちょっと⁉」

「こういうときは、素直にありがとうって言いなさいって習わんかったんか?」

「あ、ありがとうございます……」

「よろしい」


 教授なりの気遣いだったらしい。


 松葉にとって教授とは、芸術に傾倒する厄介な大人のひとり。なんなら、偏屈で皮肉、悪魔のような人間の代表でもある。


 だが、その考えは今一度改めるべきかもしれない。若くして教授の座にのぼりつめた経歴と、黙っていれば少しばかり顔立ちがいいこと。このふたつが彼の性格を悪く見せているだけで、本当はいい人だったのかも。


 松葉が考えを巡らせていると、駐車場の清算ボタンを押した教授が振り返った。


「君のためにわざわざ車で迎えに来てあげたんやから、駐車場代はよろしく」


 松葉の顔がピシリと固まったのを見て、教授はケタケタと悪魔のような笑い声をあげる。


 ――前言撤回。やはり、この教授は悪魔だ。


 松葉は理不尽だと叫びたくなる気持ちを必死に抑え込む。これも鑑定のため。ひいては、後々手にする生活費のためだと。


 だが、この調子ではこれから行く店も、鑑定が終わるまでの諸々の経費も、すべて松葉に降りかかってくるかもしれない。想像しただけで松葉の顔から血の気が引いていく。


 松葉は気を引き締めるように絵画を抱え込み、教授の車に乗り込んだ。


 車内には品のよいピアノ曲。こういうセンスが彼を教授へと早々に押しあげたのだろうか。教授にならなくても、芸術家として生きていけるほどの成績だったと聞いたことがある。


「いくら俺がイケメンやからって、そんなにじっと見つめんでも」

「違います! ただ、教授みたいに生きていけたらどんなによかったことかと」

「貧乏な君のおもろい依頼に付き合ってやれるくらいには、俺の仕事は楽らしいからなあ」


 教授の嫌味に、松葉は口元をおさえた。完全なる失言。メガネの奥から松葉を見つめる瞳は明らかに不満げだ。


「ごめんなさい」

「今日の酒はうまいんやろうなあ」


 入学当時から縁のあった教授だ。大学時代は散々彼に付き合ってきた。だからこそ、教授の意訳には自信がある。


 奢れば許す。松葉にはそう聞こえる。


「元からそのつもりだったでしょう」

「さあ、なんのことか俺にはさっぱり」


 なんとか皮肉で応戦してはみたものの、もはや教授の思うつぼ。松葉は自らの失態を悔やむ。教授は悪魔だ、人の子ではない。


 松葉が黙り込めば、車内にピアノの音が満ちる。


 しかし、そのやすらぎも長くは続かなかった。信号が赤に変わると同時、教授はフロントミラー越しに松葉を見やって「それにしても」と口を開く。嫌味の合図だ。


「魔除けの力がある絵画やって? はよお目にかかりたいもんやね。ほんまやったら、学会もびっくり。君は一躍世界の人気者やで」

「からかわないでください。私だって本気になんてしてませんから」

「せやけど、君、俺に聞いたやろ。絵画に魔除けの力があると思いますかって」

「本気で信じているから聞いたってわけじゃないです! そういう話を聞いたことがないかと思っただけで!」

「ムキになるほど怪しく見えるなあ」

「教授がからかうからですよ!」


 松葉がうなると、教授はケタケタと笑う。彼の素振りに、やっぱり教授に頼むんじゃなかったかも、と松葉は内心ではき捨てた。自らの行いを悔やむのはもう何度目か。いつも同じ失敗をしている気がする。


 松葉が大きくため息をつくと、途端、教授のほうからにゅっと手が伸ばされた。


「まあ、魔除けの力があるって言われるほどの絵画や。俺もどんなもんか気になってるのは事実やから協力はしたる」


 真剣な声色をごまかすように、教授がわしゃわしゃと松葉の頭をかき混ぜる。ゆるくウェーブした松葉の赤髪が好き勝手な方向へ跳ねる。


「ちょっと⁉」


 松葉が抗議すれば、車内にはまた教授の悪魔じみた笑い声が響いた。

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