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7.『田園の鍵』 ルネ・マグリット

「あら、松葉ちゃんじゃない。ちょうどよかったわ」


 依頼主と別れ、教授への土産を買おうと鶴岡八幡宮へと向かう松葉が足を止めたのは鎌倉駅の交差点だった。


 声の主はボーイフレンドのひとりとハグを交わしていた珠子だ。


 ふたりは松葉にハグシーンを見られたことに対する抵抗はないらしい。当たり前のように「それじゃあね」と指先だけで秘密のサインを送り合う。出勤だろうか、男が鎌倉駅へと向かっていく様子を見送った珠子は松葉に向き直った。


「どこかへお出かけ?」

「明日から京都へ行くので、知人に手土産を買おうと思って」

「そう、それじゃあ少し歩きながら話しましょうか。調べものについてね」

「もうわかったんですか⁉」


 珠子には何度も世話になっているが、毎回松葉は彼女の常人離れした仕事の速さに驚かされている。


「結論から言うわね。魔女狩りに関係するような人物にカルド・ワイズマンなんて男はいなかったわ。少なくとも、文献には残ってない」


 先ほどの男は帝都大学時代の知り合いで、今は外交官だと珠子は補足する。調べものを手伝ってもらったらしい。


「残念です。てっきり宗教関係かと思ったのに。振り出しに戻っちゃいましたね」


 カルド・ワイズマンが誰なのか、謎は謎のまま。


 松葉は小さく息をはいて、仕方がないと気持ちを切りかえる。焦る必要はない。少しずつ解きあかしていくしかないのだ。


「アタシも、もっと退屈しのぎになるかと思ってたのに残念だわ」

「お役に立てなくてすみません。もう一度チャンスをいただけます?」

「かわいい松葉ちゃんの頼みなら何度でも」


 松葉を励ますような珠子の明るさが頼もしい。彼女の優しさに甘えて、松葉は先ほどよぎった予感を確かめることにした。


「珠子さん、歌川さんってご存じですか?」

佐助さすけのあたりに豪邸をかまえていらっしゃる歌川さんなら知ってるわよ」


 珠子はさらりと答えを導き出した。氷は解けると水になるとでも言うように。そのうえ、松葉の反応から正解だと察したのだろう。


「昔からの地主なの。古い絵画の一枚や二枚、持っていてもおかしくはないわね」


 さらに一歩踏み込んで松葉が言わんとする意図を汲み取る珠子に、松葉は脱帽する。


「さすがです。その歌川さんって、絵画の熱心なコレクターだったりしませんか?」

「コレクターかどうかは知らないけれど、今の当主さまは絵がお好きみたいね。それに、歌川さんのところって、昔は海外雑貨の輸入販売をしていたの。そういう意味では、昔の当主さまはコレクターかもしれないわ」

「今もその仕事を?」

「いいえ、今の当主さまはオーダーメイド家具の販売をしてるはず。海外雑貨の輸入をやめて、事業が変わった当時は相当なご苦労をされたって聞いたことがあるもの」


 珠子は「ご苦労」とぼかしたけれど、おそらく借金のことだろう。当時のことを想像した松葉の頭にひとつの推測が浮かぶ。


 もしも、依頼主が父に借金があると知ったのだとしたら? 父のかわりに借金を返済しようと思うのではないだろうか。仲がいいならなおさらだ。もしそうであれば、父には内緒にしたいと言っていた理由も納得がいく。


 またひとつ、家族と肖像画が繋がる。先ほどの予感は間違っていなかった。


「どうかしたの?」


 急に立ち止まった松葉を珠子が不思議そうにのぞき込む。


「いえ! なんでもありません。続けてください、他に何か噂とか……」

「そういえば、今の当主さまって二十年くらい前かしら、事故にあったんですってね。その話を聞いて、アタシ、お金に苦しい時期に限って出費ってかさむものなんだって思ったの」

「痛いところをつかれた気分です」


 自分のことを言われているみたいだ。松葉が正直に告白すると、珠子は「あら」と口元をおさえた。


「とにかく、結構派手な事故だったらしいわ。アタシも当時のことはよく覚えてないけどね」


 二十年前といえば、松葉もまだ鎌倉にいたころである。鎌倉市といえば大きな市だが、佐助の辺りは閑静なことで有名だ。そんな事故があれば注目の的だろう。だが、そんな話は聞いたことがない。そもそも、年齢不詳とはいえ松葉より年上であろう珠子が覚えていないのだ。記憶力に長けた彼女でさえ記憶にないと言うのだから、噂はあくまでも噂かもしれない。


「それから……」


 珠子は声のトーンをひとつ落とした。ささやくような声量に松葉の興味がそそられる。


「本当かどうかはわからないんだけど、息子さんも庶子しょしだとか。奥さまと離婚してから一時期噂になったの」


 庶子。聞き覚えのない言葉に首をかしげれば、


「愛人の子ってことよ」


 珠子が少し寂しげに答える。松葉は「なるほど」とうなずくにとどめ、本題へと話を戻した。あくまでも、松葉と芳樹は鑑定士と依頼主の関係だ。それ以上の深入りは無用である。


「さっきの輸入雑貨の話、絵画を仕入れていたかどうかってわかりませんか」

「それはいい退屈しのぎになりそうね」


 珠子は了承のウィンクをひとつ。珠子という強力な味方のおかげで、松葉も心置きなく京都へ向かうことができる。


「ありがとうございます。京都のお土産、楽しみにしていてくださいね」

「ふふ、ありがとう。そうだ、アタシからも餞別を渡さないとね」


 珠子がポケットをゴソゴソとあさること数秒。彼女は小さな箱を松葉に差し出した。促されるままに中を開けば、綺麗な石のはまった指輪が顔をのぞかせる。


「綺麗でしょう? カルサイトって石なの。行きづまったときに運命を切り開いてくれるって逸話があるのよ。パワーストーンってやつね。お守り程度にはなるんじゃないかしら」


 珠子は言うや否や、松葉の返事も待たずに指輪を箱から取り出す。流れるように松葉の左手を持ちあげると、その薬指に指輪をはめ込んだ。普通なら結婚指輪が輝くそこに、珠子からのアンティークジュエリーが輝く。


 魔除けの絵画の次は運命を切り開く指輪だなんて。どうしたものかとは思うものの、珠子の好意を無下にするなんて松葉にはできない。


「あの……せめて、別の指に」

「あら、男よけになるわよ。かわいい松葉ちゃんが京都で危ない男に引っかからないためにもつけておくことをおススメするわ」


 こうなると松葉はいよいよ断れない。


「それじゃあね」と手を振る珠子にお礼を言って、悪いものではないだけマシか、と薬指に光る指輪を眺めた。

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