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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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34.『星月夜』 エドヴァルド・ムンク

「そういえば、指輪はどうしたの?」


 白玉フルーツクリームあんみつ、その最後の白玉を食べ終えた珠子は、松葉の左手薬指を指さした。


「あ! そうだ! 珠子さん、ごめんなさい!」


 松葉はマグカップを脇に避け、経緯を説明する。


「実は……」


 とはいえ、松葉自身も教授の自由気ままな行動は理解できていない。不可思議な彼の態度をありのまま話す以外にはできず、弁明の余地もなかった。


「本当にすみません」


 松葉がもう一度謝ると、珠子のコロコロとした鈴の音に似た笑い声が聞こえた。


「いいのよ。あれは松葉ちゃんにあげたものだし、返してほしくて言ったわけじゃないの。ただ気になっただけだから」

「だけど、せっかくいただいたものなのに」

「気にし過ぎよ。それより、その教授っていい男なの?」


 ズイと美しい顔をよせた珠子に、松葉は思わず体をのけぞらせる。にまりと口角をあげた珠子は何かをたくらんでいるようにも見える。


「いい男……?」


 松葉は教授を思い浮かべる。


 長髪が似合う程度には整った顔。丸メガネの奥にのぞく、印象的なキツネ目。着流しとカンカン帽を華麗に着こなすさまは漫画に出てくるキャラクターのようだ。総合的に判断すれば、見た目だけはいいかもしれない。


 特に、和服の珠子と並べばそれはもう絵になりそうだ。


 ただ、性格はといえば……。


 悪魔のような教授の笑い声が頭に響いて、松葉は眉をひそめた。


「いい男ではないかもしれませんね。うん、いい男じゃないです」


 松葉が神妙に呟くと、珠子は「あら、それは残念」と姿勢を戻す。


「でも、悪い人ではないんでしょう?」

「ううん……悪い人ではないと思いますけど、いい人じゃないのはたしかですよ」

「案外、悪くないかもしれないわよ」

「さっきから何の話ですか?」


 松葉が訝しんで首をかしげると、珠子は「なんでもない」とコーヒーに口をつけた。


「残念だわ、本当に」


 なんでもないはずなのに、空になったマグカップをテーブルに置いてなお、珠子は窓の外を眺めて息をはく。


 そんなに教授に興味があったのだろうか。


「ええっと……正直、珠子さんにおすすめはできませんけど、紹介しましょうか?」

「そういう意味じゃないわよ」


 珠子は綺麗な和装で口元を覆うようにため息をつき、「罪な女ね」と何かを諦めたような遠い目で松葉を見つめた。


 なんとなくいたたまれなくなって、松葉は「そろそろ行きましょうか」と会計の札を手に立ちあがる。


 珠子も、くずきりに白玉きな粉、あんみつと、細い体のどこに入るのかわからない量の甘味を食べて満足したのか、優雅に席を立った。


 鑑定料が入ったとはいえ財布が痛い。会計をすませた松葉は早々に店を出る。珠子の骨董屋がある方角――佐助隧道(さすけずいどう)へと目をやれば、見知った顔の男性と青年が見えた。


「あ!」


 依頼主の芳樹とその父、重雄だ。


「こんにちは、先日はどうも」


 先に挨拶をしたのは重雄だった。車いすを押しているのは芳樹で、長い坂道のせいか額にはうっすらと汗をかいている。


 そういえば、佐助のあたりにふたりの家はあるはずだ。


「こちらこそ。今日はおふたりでお出かけですか?」

「はい、今から父の病院です」


 芳樹は松葉の隣に立っていた珠子へチラと視線をやった。あわててジーンズのポケットからハンカチを取り出すと、額を拭って髪を整える。


 珠子が視線に気づいたのか、芳樹へとやわらかに微笑んだ。彼女の妖艶な笑みは男をとりこにする。芳樹はあからさまに顔を赤らめた。


「こ、こんにちは!」


 松葉のときの態度とは大違いだ。


 ――やめておいたほうがいいですよ。美しいバラにはトゲがあるんです。


 松葉は内心で芳樹への警告を呟きながらも、恋愛なんてものはそんなものかと苦笑する。


 すでに珠子を知っている重雄は、芳樹の思いも知らずに軽く会釈をしている。


「片岡さんもご無沙汰しております。いつか、骨董屋にもお伺いしたいと思ってるんですよ。陶器なんかも興味がありまして」

「あら、それはうれしい。いつでもお待ちしておりますね」


 父と珠子が知り合いだとは思わなかったのだろう。芳樹は驚いたようにふたりを見つめ「父さん、骨董屋は帰りに寄ろうか」と早速父に提案している。


 彼女はいないと言っていたし、芳樹も年ごろの青年だ。もしかしたら、父のためにという思いもあるのかもしれないけれど。これ以上ややこしい話になってもいけない。


「それじゃあ、また」


 松葉は軽く話を切りあげ、ふたりを見送る。芳樹は主に、和装を丁寧にたくしあげて上品に手を振る珠子に対して手を振っているように見えたが気にしない。


「いい親子ね」

「ええ、先日までケンカしてたのが嘘みたいです」

「あら、そうなの? 仲がいいほどケンカするっていうものね。松葉ちゃんのところみたい」


 珠子がコロコロと笑う。松葉がバツの悪い顔を見せると、珠子は楽しげに口元をおさえた。


「もう仲直りしましたから」


 子供っぽいと思いながらも、これ以上からかわれるよりはマシだと松葉は口を尖らせる。


「そうみたいね」

「わかるんですか?」

「ええ。松葉ちゃん、前よりも自信がついたって感じだもの。前からかわいかったけど、さらに魅力的になったわね」


 美人な珠子のウィンクから、パチンと音が聞こえた気がした。ストレートに褒められて、松葉の顔がじわりと熱を帯びる。


「あ、ありがとうございます」


 思わず目を伏せるも、口元がにやついてしまう。


「んふふ、かわいい~」


 珠子のからかうような口ぶりに松葉は「からかわないでください!」と頬を膨らませた。


 隧道の中、ふたりの軽やかな足音が響いた。

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