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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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30.『スラヴ民族の賛歌』 アルフォンス・ミュシャ

「この絵画をよく見てください」


 松葉は片手で肖像画を支え、空いた片手でカルド・ワイズマンが着ている洋服を指す。ふたりは松葉の指につられるように肖像画を見つめた。


「まずはここ、白と青が使われていますよね」


 松葉が確認すると、ふたりはコクリとうなずく。血が繋がっていないとは思えないほどシンクロした動きに、ふたりはやはり親子なんだと松葉は目を細めた。


「これらの絵の具から制作年を特定することができました」

「へえ、絵の具から……」

「絵の具に含まれている成分を分析できる機械があるんです。それを使えば、成分から絵の具自体の年代をだいたい特定できるんですよ」


 興味深そうにうなずく重雄に、松葉は話を続ける。


「この絵に使われていた絵の具は、二百年以上前のものでした。絵の特徴や来歴等を考えると、オランダ黄金時代の絵……三百年以上前の絵と断定していいかと」


 松葉の解説に、重雄は「ほお」と驚いたような声をあげた。ずっと大切にしてきた絵だ。一度鑑定も断られている。年代がわかっただけでも喜ばしいことだろう。


 対する芳樹は不満そうに松葉を見つめる。いまだ絵画への興味は湧かないらしい。


「上村さん、前に、古い絵だから歴史的価値があるって言ってましたよね。ちゃんと年代も特定できたのに、なんで買い取れないんですか」

「この絵画は、芳樹さまが持っていることで最も価値を発揮すると感じたからです」

「はあ?」

「もう少し詳しくお話しますね。まず、この絵画には画家の名前が書かれていません。タイトルも書かれておらず、先祖代々親から子へと口伝えされてきた、と」

「おっしゃるとおりです」


 重雄がうなずく。早く先を聞きたいと松葉を促すようだった。店主がコーヒーを並べるも、手をつけたのは芳樹だけだ。松葉は一拍おいて説明を再開する。


「残念ながら、画家はわかりませんでした。ただ、鑑定をする中で、絵の下に全く別の絵が描かれていることがわかったんです」

「別の絵?」

「それはつまり、下絵がわかったということですか」


 芳樹の表情にも変化が現れた。重雄にいたっては体が前のめりになっている。


「下絵?」

「ああ、下描きのことだ」


 芳樹の質問に答えたのも重雄だった。芳樹が気まずそうに目をそらす。重雄は困ったように眉をさげつつも、口元に微笑を浮かべていた。今まで仲よくしてきた息子が、突然口をきかなくなったのだ。久しぶりの会話がうれしいのだろう。


「油絵は、何度も色を重ね、修正を繰り返して絵を完成させるものです。ですから、まったく別の下絵が残っていること自体は、実は珍しいことではないんですよ」

「なるほど、そうでしたか」

「……で? その下絵がわかったからなんなんですか?」

「実は、その下絵が、この絵画の本当の価値を教えてくれるんです」


 松葉はそっとカルド・ワイズマンの肖像を机の上に置き、かわりにひとつの箱を差し出す。昨日、珠子の店から借りて来たものだ。


「タロットカード?」


 芳樹が不思議そうに首をかしげた。


 彼にもようやく興味の芽が育ち始めたようだ。芳樹は自らゆっくりと箱に手を伸ばし、そのフタを開ける。


「カルド・ワイズマンの肖像の下絵に描かれていたのは、タロットの大アルカナ一番、魔術師のカードと酷似したものでした」


 芳樹がちょうど取り出したカードだ。重雄は息子の手元を覗き込み、


「これが、カルド・ワイズマンの正体ですか」


 としみじみ呟いた。


「実際の下絵がこちらです」


 先日、大学の設備で見た下絵。そのデータを印刷したものを肖像画の隣に並べる。芳樹はタロットカードをさらにその隣へと置いた。


「……たしかに、よく似てる」


 それらを見比べた芳樹は驚きを噛みしめていた。隣に座る重雄は感動にも似た表情でまじまじと肖像画の下絵を見つめている。


「昔は、貴族が画家にタロットカードの図柄を描かせていたんだそうです。おそらくは、この肖像画もタロットカードの図案のひとつだったのでしょう」

「ですが、それならどうしてこの絵をわざわざ塗りつぶしたんでしょうか? こう言ってはなんですが、下絵のほうが装飾も細かく美しい絵に見えます。それに、タイトルも……」


 重雄は車いすから身を乗り出した。その拍子にブレーキをかけていた車いすがキュ、と音を立てた。芳樹がとっさに腕を伸ばす。父を支えるように。


「大丈夫だよ、ありがとう。はは、すみません。少し興奮してしまいました」

「……別に」


 重雄は照れくさそうにはにかんで体勢を元に戻す。バツが悪そうに顔をそむけた芳樹は口を閉ざした。


 父のことを憎みきれないそのもどかしさは、松葉にもよく理解できる。


「ここからは推測になりますが」


 松葉が前置きすると、ふたりはかまわないと目で続きを促した。


「オランダ黄金時代、ヨーロッパ全土では魔女狩りが行われていました。突出した能力をもつ女性は処刑されてしまう時代だったんです。おそらくですが、この絵画の作者か、所有者が女性だったのではないかと」


 絵画が貴族のステータスとなり得る時代。美しい絵画を手にすることは他の者の嫉妬を買うことと同じだ。そういった者から互いを守るために、絵は塗りつぶされ、タイトルは暗号化された。


「なるほど……。それで、魔除けの力ですか」


 松葉の説明に答えを導きだした重雄は、至極納得したとうなずいた。


 これでカルド・ワイズマンの肖像における謎解きはすべて終わり。


 しかし、芳樹は食いさがる。


「それが、絵画の価値とどうつながるんですか? 僕が持っていたほうが、価値のある絵画だって。今の説明じゃ、全然意味がわかりませんよ」


 芳樹にとっては最後にして最大の謎だろう。当然、きちんと話すつもりだったと松葉もうなずいて、ローテーブルの上に置かれたタロットカードを取りあげる。


「この絵画の持つ意味こそが、本当の価値です。おふたりとも、タロットカード占いをされた経験は?」


 ふたりは同時に首を横に振る。軽く二度、オーバーで下品にもならず、それでいて正確な意思表示になるその動作は、遺伝子情報よりも体に深く刻み込まれた親子の証明だ。


「魔術師のカードには、新たな可能性のスタートって意味があるんだそうですよ」


 松葉が笑うと、ふたりは顔を見合わせた。

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