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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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28.『糸を紡ぐ少女』 ジャン=フランソワ・ミレー

「オランダ黄金時代における絵画の流通は、一般市場向けも多く……ふぁぁ~」


 松葉はモニターに表示された論文を読みながら、大きなあくびをひとつ。


 夜は深まり、すでに二時を過ぎていた。


 カルド・ワイズマンの肖像をもう一度最初から鑑定しようと、視覚分析を行い、オランダ黄金時代の絵画に関する文献を読み解き、作者や絵画の手がかりはないかと探すこと丸三日。


 大学で教授とともに発見したこと以外、めぼしいものはない。


「やっぱり、この時代の絵画で作者を特定するのは難しいかも」


 松葉は目頭を指でつまんでもみほぐす。今までのどんな鑑定よりも目と頭を使っている。


 カルド・ワイズマンの肖像についての調査結果や気づいたことをメモしたノートは付箋だらけ。何かの役に立つかもしれないと調べる中で得た知識が大半で、そのどれもがカルド・ワイズマンの謎を解くにはいたっていなかった。空振り続きだ。


 一向に解ける気配のない謎に、松葉の精神的ストレスも限界が近づいている。


 あの日以来、父からの連絡も絶えない。毎日のように「いつまで鑑定を続けるつもりだ、早く絵を返せ」と催促される始末。


 父と向き合いたい松葉はなんとか怒りを抑えている。今のところは冷静に話し合っているつもりだが、そろそろ爆発してしまいそうだ。


 対して、依頼主からはまったく連絡が来なくなった。ふたりは話し合ったのだろうか。絵画のことはどうするつもりなのか。


 深入りしてはいけないとわかってはいるものの、頭の片隅にそれらがちらつく。


「ああ、もう!」


 松葉は乱雑に自らの赤髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。


 肖像画の謎を解いていくうちに、鑑定士としての知識が増えたことは喜ばしい。だが、それがまったく成果に結びつかない。もどかしい。苦手な美術史のテスト勉強をしているときみたいだ。五十点ならクリアできるが、これが八十点となると難しい。さらにそれを百点にするにも大きな壁がある。


 松葉は自らの部屋に置かれた肖像画を見やって、再びため息をついた。


「……あなたは何者なの?」


 美しい下絵。その上から描かれたひとりの男。顔と体だけのシンプルな肖像画になってしまった理由もわからない。


 松葉は肖像画を指でなぞる。


 繊細な下絵を見事にかき消す荒々しいタッチ。見ている者に何かを挑むような表情。それでいて、不安定で哀愁の漂う構図。驚くほどすべてがちぐはぐだ。


「賢者……」


 彼の名前にもなっているその職業が妙に引っかかっている。


 もちろん、あくまでも推測だ。いや、それどころか、松葉が京都からの帰り道でたまたまひらめいたこじつけにすぎない。もし仮に、カルド・ワイズマンが賢者のカードを意味していたとしても、それでおしまい。手づまりだ。


「それとも、本当にただの肖像画なのかしら……」


 描かれたもの以上の意味がない、そんな絵なのだろうか。


 だが、それでは魔除けの力がある、なんて話にはならないはずである。カルド・ワイズマンが何か特別な力を持っているのだとしたら、絵画以外のところで何か文献が残っていてもよさそうだが、少なくとも、インターネットで検索してもそれらしい記事は出ない。珠子に初めて調査を依頼した際も、カルド・ワイズマンが生きていた痕跡を見つけることはできなかった。


「でも、わざわざ一般市民の肖像を描いたとも思えないし」


 青色顔料を使っている以上、たとえ有名な画家でなかったとしても、この肖像画は当時それなりの値段がしたはず。一般市場が開かれていたことを考えれば、芸術を多くの人が楽しんだのだろうが、実際のところはせいぜい商人や聖職者といった中産階級までだろう。


 松葉は眠い目をこすりながら、再び机に向かい、検索画面に『オランダ黄金時代 賢者』と入力する。エンターキーを鳴らすと、ズラリと結果が出力された。だが、両方を含む記事は数える程度で、それらも肖像画とは関係がない。


「特に関連性はなし、か」


 しばらく考えたあと、


「……それじゃあ」


 松葉は、オランダ黄金時代を十七世紀と具体的に入力しなおした。賢者とともに並べて再び検索をかければ、今度は賢者についてのページがトップに表示される。先ほどとはまったく違う結果だ。


 松葉は検索トップに君臨するフリー百科事典『賢者』の項目をクリックする。


 何かヒントを得られると思ったわけではない。ただ、絵画のことばかりを調べていて気がまいっていたのだ。ちょっとした気分転換にと、冷やかしで百貨店に入るような気持ちに近かった。もはや空想の世界でしか聞かなくなった職業だが、過去には賢者と呼ばれていた人たちが実際に存在していたのだと思えばおもしろい。


「賢者、賢い人のこと。占星術の学者たち……へえ……」


 松葉は興味本位にページを読み進めていく。ファンタジー小説を読むような気分で記事を眺めていた松葉は、


『魔術師の語源である』


 たったひと言、その一文に手を止めた。


 瞬間、松葉の中に引っかかっていたものが、すべて吹き飛ばされる。


「魔術師……!」


 松葉は脇に避けていたノートをめくった。


「魔女狩りが盛んに行われていたのは、十六世紀後半から十七世紀……」


 オランダ黄金時代は、バロック時代同様十七世紀を指している。その時代、魔女狩りはヨーロッパ全土で行われていた。オランダとて例外ではない。


 松葉はカルド・ワイズマンを見つめる。


 下絵を覆う荒々しい筆づかい。作家名すら書かれていないキャンバス。タイトルだけが口伝された肖像画。魔除けの力。賢者、魔術師、魔女狩り、カード……。


「もしかして!」


 松葉は検索画面に思考をタイプしていく。


『タロットカード 魔術師』


 エンターキーの音と同時、現れた魔術師のカードに松葉は息を飲む。


 そのカードは、下絵に描かれていたカルド・ワイズマンと同じ構図だった。


「あなたの本当の正体は、タロットカードの魔術師だったのね⁉」


 今までの手がかりが、バラバラになっていたものが、ひとつずつ連なっていく。キャンバスの上を軽やかに絵の具が滑っていくように、筆が一本の線を描き出すように、重なり、混ざり合い、繋がって、一枚の絵が生まれる。


 完成する。目の前のカルド・ワイズマンが。


「所有者によって、その正体を隠されたんだとしたら!」


 松葉は自らの頭で組み立てた推論を確かめるべく、ノートを見返しながら声に出して情報を整理する。


「カルド・ワイズマンの肖像はオランダ黄金時代に制作された。同じ時期、オランダでも魔女狩りが流行していたとすれば、魔術に関することは公にできなかった可能性が高い」


 時代や場所、テーマに関連性があるうえ、この肖像画を描いた画家の名前が書かれていないことや、肖像画のタイトルだけが口伝されたこともそれで説明がつく。


 タイトルをあえて人の名前のように見せかけたのも、おそらくは魔女裁判を避けるため。魔術師と直接的に話しては危険だからと、誰かに聞かれても問題がないように暗号化されたのだろう。画家と所有者だけがわかる名で。


「特に、画家か所有者、もしくはその両方が女性だったとしたら……余計にこのことは内緒にするかも」


 だとすれば、画家も所有者も今後、特定することはできないだろう。だが、充分に考えられる話だ。


 十七世紀、名の売れた女性画家がいなかったとは言わない。下絵から推測するに、かなり人気のある作家になれたはずだ。それでもカタログレゾネに出てこない。つまり、現存する価値ある絵画を生み出した作家たちの作品ではないのだ。


 ……であれば、考えられることはひとつ。


「カルド・ワイズマンを描いた画家は、正当な評価を受けられなかった」


 能力が突出しすぎた女性を魔女だと疑った時代。もしも、この画家が女性だとすれば、魔女裁判にかけられていた可能性もある。もしくは、貴族のおかかえ画家として才能を隠しながら生きていた可能性も。


 オランダから購入された来歴はあったが、結局、オランダでの所有者は追いかけられていない。それはすなわち、意図的にこの絵画が秘密裏に取引されてきたか、はたまた描かれてから今まで世に出てこなかったか、そのどちらかを意味しているとも言える。


 魔女狩りが最盛期を迎える一方で、貴族間ではタロットカードが流行していた。


「タロットカードが生まれた当時はたしか……そうだ、貴族たちのために、画家が図柄を描いていた!」


 パラパラとノートをめくり、以前調べたことを思い出す。タロットカードのルールがいつきちんと制定されたかはわからないが、当時はゲームとして使われていたとメモされている。貴族のたしなみのひとつだったのかもしれない。


 次いで、ひとつ手前のページにはオランダ黄金時代についてのことが書かれている。


「カルヴァン教理主義により、宗教画が禁じられた。……つまり、神やそれに等しい存在を描くことは許されてなかったってことでしょ」


 松葉はすぐさまカルヴァン教理主義とオランダの関係について検索をかける。


 表示されたのは八十年戦争のページ。十七世紀よりも前に終戦しているものの、その後のオランダ――当時のネーデルラントの情勢はまだまだ不安定だっただろう。


「魔女狩りだけじゃなくて、このカルヴァン教理主義って体制からも、魔術師の存在は好まれなかった可能性が高い」


 もしも所有者が貴族、それもある程度の地位や名声を持った人間だったならば、社交場で出会う人間に教理主義者がいてもおかしくはない。オランダの中産階級は、教理主義者の大半を占めていた聖職者も多い。


「カルド・ワイズマンが魔術師のカードを表しているのなら、全部、話がつながる」


 才能あふれる女性画家に、とある貴族が流行りのタロットの図柄を描かせる。魔女狩りとカルヴァン主義。自分たちを取り巻く環境から身を守るため、魔術師のカードであることがばれぬよう、画家と貴族は取り決めをする。


 画家の名前を書かないこと。


 絵画のタイトルは、他人に聞かれてもわからぬもの――さも、知り合いの男の肖像画であるかのようにごまかせるタイトルとすること。


 だが、それでもおそらく下絵が美しすぎたのだろう。いい絵画であればあるほど、所有者は誰かに見せびらかしたくなるものだ。そして、貴族にとって所有物である絵画はステータスのひとつ。いいものを持っている者は、社交場で注目の的になる。


「……だから、上から塗りつぶした」


 画家の手によってか、別の誰かの手によってか。それはわからないが、美しい下絵がわからぬほど構図を変える必要があったのだろう。


 それこそ、魔女裁判か、カルヴァン主義者による攻撃を受けたのかもしれない。


 松葉はさらにそこで気づく。


「魔除けの力があるっていうのも、魔女狩りを避けるから、魔避けの絵画なんだ!」


 夜中にも関わらず、大きな声が口をついて出た。


 魔女狩りの目から逃れた絵画、すなわち、魔避け。口でそんな話をしていれば、「魔除け」と勘違いされてもおかしくはない。


「ほとんど推測だけど……でも……」


 これ以上、何かを裏付けることはできない。そして、これ以上、筋の通った説明をすることもできない。


 少なくとも、このカルド・ワイズマンの下絵はタロットカードの魔術師に酷似しており、構図だけでなく、並べられたモチーフや衣装の細部まで、同一のものを描き写したと言っても過言ではなかった。


「だとしたら、この絵画の意味は……」


 タロットカード、魔術師が示すもの。


 新たなタブを開き検索をかける。結果が出るまでの数秒でさえ、興奮する松葉にはもどかしい。


「出た」


 松葉は早速トップに表示されたホームページのリンクをクリックする。


「新たな可能性のスタート」


 依頼主は就職が決まり、引っ越し直前。父はもう長くない。息子を見守ってやる人はいなくなる。


 この絵画は、新たな環境でのスタートをきる子へと渡される親からの形見。


 偶然の因果によって結ばれた思いに、松葉の全身は粟立った。


 すぐさま依頼主の芳樹宛にショートメッセージを打ちこむ。


 ――鑑定結果をお伝えします。ただし、必ずお父さまと一緒に来てください。


 この願いが届きますように。


 松葉はすがる思いでメッセージの送信ボタンを押した。

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