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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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27.『群衆を導く自由の女神』 ウジェーヌ・ドラクロワ

「ただいま戻りました!」


 急ぎ足で戻ってきたが、アトリエに父の姿はなかった。


 予想はしていたものの、やはり逃げてしまった自分に松葉は後悔してしまう。


 だが、落ち込んでいる暇はない。


 この絵の鑑定をすませ、自分は上村松葉であり、鑑定士だと証明しなければならない。


 依頼主と彼の父親との関係性だって、この絵の本当の価値がわかれば改善できるかもしれない。


 そのためには一刻も早く、一秒でも長く、絵画と向き合わなくては。


「おや、お帰り。ずいぶんと早かったねえ」


 アトリエの奥から店主が顔を見せる。父の相手をするのは大変だっただろうに、疲れも見せずいつもどおりにこやかな老紳士に、松葉は改めて敬意を抱く。


「父とのこと、本当にすみませんでした!」


 直角に腰を曲げれば、ほっほっとあたたかな笑い声が耳をついた。


「松葉ちゃんも、松葉ちゃんのお父さまも大変だねえ。ふたりとも、お互いのことを大切に思っているのに、素直じゃないんだから」

「……すみません」

「いいんだよ。親子ってのはそういうもんだ。それに、松葉ちゃんは気づいたんだろう? 君がすべきことを」


 店主は慈愛に満ちた瞳で松葉をじっと凝視する。彼には松葉の心が見えているらしかった。


 松葉はコクリとうなずく。


「カルド・ワイズマンの肖像をきちんと鑑定して、自分自身の存在証明をしてみせます」

「それはまた、大きくでたねえ」

「父は、私のことを母と重ねています。母は……上村穂仲は偉大な芸術家でした。だから、母を失って、父は芸術を恐れるようになった。私が母と同じ芸術の道を歩んでいるのが怖いんだって、親のことながら、バカみたいです」

「はは、手厳しい。でも、たしかにそうだね。彼は絵画を探しているというより、松葉ちゃんから絵画を取りあげたいみたいだったから」

「だけど、私は母じゃない。鑑定士の、上村松葉だから」


 きっぱりと言い切ると、店主は大きく何度も首を縦に振る。満足そうに笑って見せると、


「やっぱり、松葉ちゃんを雇って正解だったねえ」


 としみじみ呟いた。


「実はねえ、君のことを頼まれたとき、はじめは断ろうかと思っていたんだよ。ぼくはもう老いぼれで一線を退いているし、アトリエはのんびりやりたかったからね。でも、曲がりなりにも教師をしていた身だ。若い人が成長していく姿を見るのが好きでねえ」


 初めて聞いた。店主の正直な気持ちに、骨董屋で止めてきたはずの涙が再びこぼれそうになる。松葉はぐっと唇をかみしめた。


「いい鑑定士になったね」


 店主はたくさんのしわをさらに深く顔に刻んで笑う。泣きそうな松葉の手をそっと両手で握ると


「さあ、鑑定しよう。ぼくも手伝うよ」


 松葉の背をポンと押すように彼女を励ました。


 店主は鑑定士ではないが、芸術大学で教鞭をとっていた。芸術の知識は松葉の比にならない。そんな彼が「手伝う」と言ってくれたのだ。怖いものなしである。


 松葉は早速キャンバスバッグから肖像画を取り出す。カルド・ワイズマンは、松葉に挑むような目を向けている。肖像画をイーゼルに立てかける。


 同時、松葉のスマートフォンが震えた。


「もしもし?」

「よお、元気か? 残念なお知らせと残念なお知らせ、どっちが聞きたい?」

「……なんですか、それ」


 普通は悪い知らせといい知らせだ。だが、現実は非情。電話の主、教授はあくまでも真剣な声色で告げる。


「まずひとつめ、作者の特定はできひんかったわ」


 どこまでも無慈悲な男である。松葉に期待を抱かせることなくさらりと事実を述べると「ふたつめ」とたたみかける。


「オランダ黄金時代の絵画を照会したけど、同じ絵は見つからんかった。下絵に似た絵も探してみたけど、今のところはヒットなしや」


 昨日から寝る間も惜しんでカタログレゾネを見漁ったのだろう。おそらく、このスピードから察するに、他の教授も巻き込んで人工知能による画像検索も酷使したに違いない。


 電話の向こうから教授のあくびが聞こえる。それこそが確たる証拠だった。


「まあ、もうちょい調べてみるわ。君のほうはどうや? うまくごまかせたんか?」

「いえ、残念ながら……。正直、すごく複雑な状況になりまして」

「なんやそれ、大丈夫なん」

「はい、大丈夫です。絶対にこの絵の価値は解きあかしてみせますから」


 松葉が断言すると、間髪入れずに教授が爆笑した。


「はは、なんやそれ! 君、やっぱりおもろいなあ! この状況でどっからその自信が湧いてくんねん」


 松葉の根拠のない自信をえらく気に入ったらしい。教授はヒイヒイと笑い声をあげ続ける。


「鑑定士やるならそれくらいでないとなあ。ま、大丈夫ならええわ。ほんなら、協力金も楽しみにしてるで」

「へ?」

「当たり前やろ。半分くらいは俺の功績やねんから」


 教授は「いくらもらえるんやろなあ」と声を弾ませ、松葉の返答も聞かずに電話を切った。「土産を持ってこい」と頼んだときと同じ手口だ。


 しまった。松葉がスマートフォンの画面をにらみつけると、一部始終を聞いていた店主もまた、楽しげな笑い声をあげる。


 もしかすると、教授がああなったのは店主のせいかもしれない。


 うんざりとはするものの、松葉も自らの意志を変えるつもりはない。この鑑定だけはやり遂げなければ。それだけが松葉のやるべきことだ。


 すぐさまキャンバスに向き合う。


 作者もわからない。歴史的に記録もない。謎多き男、カルド・ワイズマン。


 ――必ずこの絵の真実を解きあかす。


 松葉は再度自分自身に宣言し、肖像画を見つめた。

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