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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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23.『希望』 ジョージ・フレデリック・ワッツ

「変ですよね、上村さんにこんな話をするなんて」


 芳樹は再び取りつくろうように口元だけで笑った。


 松葉はそんな青年の背にかける言葉を探し続ける。


「……もう少し話してもいいですか。他に、話せる人もいなくて」

「私でよければ」


 人生相談なんて柄ではないが、少なくとも松葉は芳樹と同じ境遇だ。父に男手ひとつで育てられた。共感できる部分もある。残念ながら、松葉はその父とケンカ中で、仲直りもできていない。つまり、彼の悩みを解決する経験を持ち合わせてはいないのだが。


 それでも自分と重なった彼に対して、何かしたかった。そうすることで、自らも救われようとしているのかもしれない。


「僕、もうすぐ就職するって言ったじゃないですか」


 松葉は小さくうなずく。余計な相槌や返答は、今の芳樹には必要がない。


「会社から、入社前にパスポートを取るように言われて。それで今日、パスポートのために戸籍謄本を市役所へ取りに行ったんです。学生証とか保険証でもよかったんですけど、せっかくなら戸籍謄本を取り寄せてみようかなって思って」


 なんとなくですよ、と芳樹は付け加える。


 戸籍謄本なんて、あまり見る機会がないと言われればそのとおりで、物珍しさからくる好奇心に抗えない気持ちはよくわかる。


「上村さん、戸籍謄本って見たことあります?」


 芳樹はスマートフォンをいじると、一枚の画像を表示させて松葉へと差し出した。


 戸籍謄本の写真だ。そこには芳樹の生まれについて――すなわち、本当の父母の名前と、現在の芳樹の父であろう里親の名前が書かれていた。


「こんな風に知りたくなかったです」


 彼は苦々しく呟いて、波打ち際の湿った砂を踏み潰す。


「父は、どうしてこんなに大事なことを内緒にしてるんですかね? 僕はもう子供って年齢でもないし。話すタイミングだって、今まで何度もあったはずなのに。父の……いえ、あの人の考えてることが何もわからなくなりました」


 ケンカ別れなどしたくないと頑なに言っていたはずの青年は、今やすっかり反抗期の子供みたいだ。


「きっと、歌川さまのことを大切に思っているからこそ、傷つけないようにって……」


 自分の父にも、同じことを思えるだろうか。


 松葉は芳樹をなだめるために放った自らの発言が、いかに上っ面だけのものか気づいて口をつぐむ。芳樹の乾いた笑いに吹き飛ばされるほどの薄っぺらさだった。


「僕も頭では理解してるんです。父が本当の父であろうとなかろうと関係ないって。僕の唯一の家族なんだって。……でも、心が追い付かないっていうか」


 言いよどんだ芳樹に、松葉はやはり何も言えなかった。


 必要だったとしても、重い荷物を背負い続けることは難しい。むしろ、捨ててしまいたくなることばかりだ。


 父のことや母のことを思うと、松葉もいまだにやるせない気持ちばかりが募る。すべてを放り出して、いっそなかったことにしたいと願う日もある。


 父との大ゲンカから数年経った松葉でさえいまだにそうなのだから、たった今そんな状況に置かれた芳樹が、簡単に頭を整理できるはずがない。


「裏切られたって思ったら、いてもたってもいられなくなって」


 芳樹の独白に波が相槌をうつ。


 河口と海を分断するようにかかる橋が見えた。干あがった川に波が逆流していく。


「絵のことを真っ先に考えました。父は、僕があの絵に興味がないことを知っていながら、僕に絵を譲ったから。もしかして、いやがらせかなって……そんな子供っぽいことするわけないってわかってるのに。本当は何か、別の意味があるんじゃないかって、あの絵画に、呪いの力があったらって」


 お守りだとか、魔除けだとか。絵にそんな力が宿っているなんて言っている時点で、怪しい話であったことは事実だ。


「もしかしたら、僕が、父の人生をめちゃくちゃにしたんじゃないかって思ったら怖くて」


 芳樹はセンター分けにした前髪を自らの手でぐしゃぐしゃと掻いた。


「よく考えたら、昔から、父とは全然似てないって周りから言われてたんです。それに、僕の父は、友達とか同級生のお父さんよりも老けてるなって。性格も全然違うし」


 何かに追い立てられているかのように、彼の心はがむしゃらに暗闇をもがいていた。裏腹に、足はすっかり止まっている。自らの靴が波に濡れていることにも気づいていない。


「本当の父がどこにいるのかも、母がどうしていなくなったのかも知りません。あの人は何も教えてくれないから」


 芳樹は何かに気づいたようにハッと顔をあげる。


「もしかしたら、あの人に脅されて、母が結婚させられた可能性だってあるじゃないですか。小さな会社ですが、あの人は社長ですし」


 こじつけが過ぎる。だが、彼の妄想は止まらない。猜疑心の悪魔が、彼を急き立てているのだろう。


「だいたい、普通は息子を後継者にしたいと思うはずでしょう⁉ だけど、僕が違う仕事をやりたいって言ったときも反対しなかった! それは、僕が世間体のためのお飾りな息子だからじゃないですか⁉」

「それはさすがに……」


 違うに決まっている。松葉は言いかけて、深呼吸をひとつ。


 いや、伝えるべきはそんなことじゃない。松葉自身が心の底でいつも感じていることは、きっと芳樹にも伝わるはずだ。同じ境遇にあって、彼と同じ気持ちがたったひとつあるとするならば、それは。


「不安なら、ひとりで考えるより、ふたりできちんと話し合わなくちゃ」


 どれほど軽蔑するようなことがあろうとも、本当の父親でなくても、自らをたったひとりで育ててくれた家族だ。


「実は、私も歌川さまと同じ境遇なんです。父とは今、絶賛ケンカ中なのも一緒で。私の場合は、もう三年以上口もきいてませんけど……。でも、いつも後悔してるんです。本当の気持ちを言うことも、聞くこともできないでいる自分に」


 母が亡くなり、松葉を育てるために必死で働いていた父を尊敬していると伝えられていない。


 母が亡くなったことがトラウマになっていて、娘を大切にしたい気持ちが空まわっていると知っているのに、それを素直に受け止められていない。


 父の苦労や悲しみに寄り添うことができない自分が悔しいと打ち明けていない。


 それらすべてから目を背けても、何も解決しないというのに。


「だから、歌川さまの気持ちはよくわかります。でも、だからこそ、歌川さまが絵を捨てようが、お父さまと向き合わない限り私と同じ後悔をし続けると思うんです」


 松葉だからこそ、言えること。


 芳樹の目からは今度こそ、ぱたりと静かに涙がこぼれ落ちた。

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