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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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18.『薔薇と野花の静物画』 フィンセント・ファン・ゴッホ

「この絵、昭和四十年にオランダから購入されたらしいですよ」


 キャンバスを大型のX線透過撮影機にのせながら、松葉は嫌味ったらしく呟いた。


「……誰が言ったんや」


 さすがの教授もこの情報を無視することはできなかったらしい。撮影機のセッティングをしながら、彼はチラと松葉へ視線を投げる。先ほどまでは口もきかなかったのに。


「言いましたよね、来歴調査を依頼主と知人に依頼してるって。その依頼主からさっき電話が」


 松葉は刺し殺す覚悟で教授に笑顔を向けた。あえて最も鼻につく態度をとっていらだちを示す。教授に遠慮や情けは無用だ。


「なんでそれを先に言わへんの」

「うるさいと言われましたので」


 まだ否を認めないつもりか。さすがに松葉の笑みもひきつってしまう。我慢、我慢。


 松葉は「ねえ、教授」と愛嬌たっぷりに小首をかしげた。


「……ん」

「なんですか?」

「……っ、すまん……」


 憎き教授は基本的に謝罪や感謝を知らぬ人間だ。そんな彼からの誠意あるひと言に、松葉は思わず笑みをこぼした。


「まあ、教授にはいつもお世話になってますしい、今回は許してあげてもいいですよお。私、優しいんで。あ、今日のお昼はおいしいランチが食べたいなあ」


 ここぞとばかりに教授へおねだりすれば、彼は「うるさいなあ」と顔をそむける。先ほどと同じセリフなのに、まったく違う言葉みたいだ。


「準備できたで。ほら、はよしい」


 逃げるように装置裏へ隠れ、松葉にスタートボタンを押すよう促した教授のため息が聞こえる。松葉もさすがにこれ以上はかわいそうだと口をつぐんだ。


 スタートさせると同時、モニターにX線を通した絵画が映し出される。


 手元のコントローラーで機械を操作しながら、松葉は絵画の端から下絵を探していく。


 贋作のほとんどは、すでにある手本を見ながら描いていくため下絵がない。だが、オリジナル作品を描く多くの画家は、いきなりキャンバスへ絵の具を重ねたりはしない。何を描くか、どんな構図にするか。それらを決めるために必ず下絵を描く。


 カルド・ワイズマンの肖像はおそらくオリジナル作品――つまり、下絵が残っているはず。


 それが松葉の推理だった。


 下絵が出てくれば、画家を特定できることもある。例えば有名な絵画「薔薇と野花の静物画」は、下絵の分析によってゴッホの絵だと認められた。


 まさか、カルド・ワイズマンの肖像をゴッホが描いたとは思わないが、何かしらの手がかりが見つかる可能性は充分にある。


「ん?」


 早速、真っ黒に塗りつぶされている背景、その後ろに走る複数の線を見つけて、松葉は手を止めた。カメラのズームを解除して、全体を映す。


「教授!」


 先ほどまでのケンカなど忘れ、松葉は興奮そのままに教授を呼びつける。教授も張っていた意地をわきへ置き、松葉と一緒になってモニターを覗きこんだ。


「これ、表情以外の部分が上から塗りつぶされてます!」


 ――衝撃の事実。


 誰が、何のために塗りつぶしたのか。それはわからないが、X線透過撮影機が見せたカルド・ワイズマンの本当の姿は、より繊細で、より華やかなものだった。


 服装こそ似たようなものであるが、しっかりとキャンバスいっぱいを使って腰下まで描かれている。腰下を彩る花々は美しく咲き誇り、カルド・ワイズマンの腰元、手前側にはテーブルがある。テーブルの上にも、コインや杯、ナイフのような道具がいくつも置かれていて、そのどれもが写実的だった。


 ずっと、カルド・ワイズマンの肖像はバランスの悪い構図だと思っていた。単なる技術不足だと考えていたが、どうやらそうではなかったらしい。


「あとから手を加えられて、構図が崩れたんだ……」


 隠されていたのは、何もカルド・ワイズマンの顔より下だけではない。顔より上にも別の下絵が隠れている。


 三日月が煌々と輝き、星が降るようにちりばめられていた。それが肩口まで続き、額縁を模したようなツタの複雑な模様へ変化して、やがて腰下の花や葉へとつながっている。


 魔除けというよりも、魔法にかけられる絵画。


 松葉と教授は互いにその下絵に魅せられて、気づけば息を止めていた。X線を操作していた手の動きは止まり、まばたきの音さえ聞こえそうなほど。


「……幻想的な絵ですね」


 松葉がようやく声を漏らすと、教授も素直にうなずいて見せる。


「まさか、こんな絵が見れるとはなあ。何が魔除けや。魔力のこもった絵画やん」


 教授は「よくやった」と松葉の頭をわしゃわしゃかき混ぜる。


 X線透過撮影機での下絵分析を提案したのは松葉だ。


 カルド・ワイズマンの肖像、その謎に迫るためには必要なプロセスだった。


 そこから得られた大発見。教授からの賛辞。


 何より、カルド・ワイズマンの正体を解きあかしたような爽快感。


 松葉の心に、じわじわと実感が湧きあがっていく。


 これだけ繊細な絵を描くことができる画家は限られている。オランダ黄金時代の画家たちによる作品を集めたカタログレゾネでも漁れば一致する画家が出てきてもおかしくはない。


 少しずつ近づいてきた。


 自らの力と知恵で、カルド・ワイズマンの肖像に価値が、存在意味が、命が吹き込まれていく。


「よかった……」


 松葉が噛みしめるように呟くと、教授は再び松葉の頭を乱暴に撫でた。

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