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絵画鑑定士は謎解きがお好き  作者: 安井優


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14.『ワンメント6』 バーネット・ニューマン

「教授!」


 蛍光X線分析器を片手に、分析室で松葉は目を輝かせた。


「やっぱり、絵の具自体は古い時代のものですよ。ほら!」


 分析器のモニターに表示されている元素の名前や割合と、絵の具に含まれている元素量の一覧表。松葉はそのふたつを並べて教授に差し出す。


「……珍しいこともあるもんやな」


 化学分析は決して嘘をつかない。そもそも、蛍光X線分析器は、少量のX線を絵の具に当て、そこに含まれる元素を特定する科学文明の利器。事実の捻じ曲げようもない。


 だからこそ、松葉の見せた結果には教授も嫌味ひとつなくうなずいた。


「だいたいこの手の鑑定は、チタンが出て一発アウトなんやけどな」


 チタンは年代を特定できる元素のひとつである。


 ほとんどの絵画には白が使われる。ここ百年、その白色顔料の中に多く含まれているのがチタンであり、逆に言えば、百年以上前の白色顔料にチタンは含まれていない。


 このことから、チタンが絵画の年代を紐解く鍵になることは珍しくない。


「他にも、鉱物や土、木炭に見られる成分が多く検出されています。顔料を砕いていた時代の絵の具と考えても差し支えないかと」


 もちろん、それだけでバロック時代と特定するのは非常に難しい。だが、少なくとも百年よりももっと前に描かれた絵画だと裏付けることはできる。


 さらに年代を絞りこむとすれば……。


 松葉は絵画の中でも特徴的な色に目をつける。


「青のところはどうやった?」


 やはり、教授も同じ考えらしい。


「今から測ります」


 松葉はゆっくりと分析器を肖像画の青い絵の具に近づける。


 アルミニウムやナトリウムが多く検出されれば、これはウルトラマリン、すなわちフェルメールの愛用した青と同じ可能性が高い。そうでなくても、特徴的な元素が出れば……。


 ピピッと音が鳴り、モニターに元素名と数値が表示される。


「出た……」


 銅――アズライトと呼ばれる鉱石由来の青に見られる特徴だ。百年前どころか、二百年は前の絵画である可能性が高い。


 松葉と教授は自然と顔を見合わせた。


「十九世紀より前でほぼ確定やな」


 有名な画家の作品ではないかもしれない。だが、そもそも二百年以上前の絵画をこうして生で見られる機会は少ない。保存状態のよさから見ても、美術史上まれにみる作品だ。


 分析結果が出るまでは、教授も喜びを抑えていたのだろう。結果が出た今、彼の表情には少なからず興奮が宿っている。もちろん、松葉も同じだった。


 青。チタンによる白色顔料同様に時代を特定する手助けとなる色である。


 合成ウルトラマリンと呼ばれる青色の登場は十九世紀初頭。アルミニウムの他に、ケイ素や硫黄を含む青色で、多くの画家がその顔料の発見に歓喜した。


 それまで青は貴重な色だった。金より高価なラピスラズリを使うか、そうでなければ、アズライトと呼ばれる鉱石から青を抽出するしかなかった。当然ながらラピスラズリなんて高い鉱石を絵の具として扱えるのはごく少数の画家だけ。アズライトも産出量は限られており、北方の国ではほとんど青は使えなかった。


 だからこそ、合成ウルトラマリンの発明後は、多くの画家がその青を使ったものである。


 そんな中、アズライトの成分が検出されたとなれば、合成ウルトラマリンがなかった時代に描かれた絵であると考えるほうが理にかなっている。


「……あ」


 松葉は青の歴史をめぐって、教授がくれたヒントを思い出す。


「この絵の生まれた場所は、少なくとも北国じゃない」


 バロック時代の絵画における特徴のひとつだ。イタリアよりも北にあるドイツの絵画にはほとんど青が見られない。


「この肖像画は、やっぱりイタリア周辺の国で描かれた可能性が高いってことですね?」


 松葉が答え合わせを求めるように教授を見れば


「まあ、六十点やな」


 教授は彼女をからかうように笑う。


「青色顔料からある程度地域を特定したんは褒めたってもええ。でも、もっと特定できるヒントをやったやろ」

「……美術史ですか」

「そんなに嫌か」


 決して嫌いではない。だが、覚えることが多すぎて、結局何も覚えられないのだ。テストの範囲は広く、勘がはずれれば悲惨な目に合う。特に美術史の教師はスパルタで、赤点でも取ろうものなら信じられない量の課題を出してくる。おかげで何度長期休暇がつぶれたことか。松葉にとってはいい思い出がない。


「もう少し、絵の具の分析をしてみます」


 松葉は苦々しく呟いて、再び分析器を絵画に向ける。


 だが、残念なことに、肖像画の上を一周してみたもののそれ以上のめぼしい発見はなかった。


 制作年があらかた絞り込めただけでもよしとすべきか――そんな考えが松葉の頭をよぎる。


 だが、教授がわかっていて、自分にはまだわかっていない謎があるなんて悔しい。これ以上は無駄だとわかっていても、松葉は分析器を動かす手を止められない。


「美術史の教科書でも読んだほうがはやいで」


 教授の呆れた声が後ろからかかり、松葉もさすがにこれ以上はダメだと手を止めた。


「あとで図書館に行ってきます」


 おとなしく美術史の教科書を借りて復習しよう。鑑定士ならば、絵画の謎は徹底的に調べるべきだ。横着してはいけない。


「でも、とりあえず分析を先に終わらせませんか? ほら、一応十九世紀以前のものかもしれないってことはわかりましたけど、確定ではないですし。顕微鏡を使って……」

「今日は空調点検日やから、図書館は四時で閉館やで」


 教授はわざとらしく腕時計を見やる。タイミングよく、足取りの重い松葉に現実を突きつける三時の鐘が鳴り響いた。


「ほら、行ってきい。ここは何時まででも使えるからなあ」


 教授は松葉を追い出して、ひらひらと手を振る。


「あ! ちょっと! 勝手に分析しないでくださいよ⁉」


 閉められた扉に向かって松葉が叫ぶと、内側から「安心しい、謎解きは先に全部やっといたるわ」と教授の嫌味が聞こえた。

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