ドブネズミのスワンソング24
「さて、あなたの方はどうですかな?」
ヴィルヘルムさんがそう言ってゴーダを見下ろす。
「いくつかお伺いしたいことがあります。こちらのご友人はご存じでない事もいくつかあるようでしたので」
「……」
一瞬見上げていた奴の目が明確に相手から逸らされた。
「ああ、一応申し上げておきますが、今回この屋敷に潜入したのはあなた方二人であるという事は既に分かっております。それと……」
その言葉の途中までは、明らかに安心していたように見えたゴーダの表情が、一瞬のために再び強張る。
「それさえも囮にして、お嬢様を狙撃するつもりであったことも」
はっと驚いたように息を呑む音を響かせたのは、俺の隣にいたシラだった。
そして音を立てないまでも、同様の衝撃を受けていたのは恐らくゴーダも同じだろう。
もっとも、こいつの場合は知らなかったというよりも「何故そこまでバレている?」だろうが。
「私もこの町にやって来て、そしてこのお屋敷に使えて随分になります。どこからなら射線を通すことができるかなど、日々そういう眼で見ていればいくらでも思い浮かぶというもの。そして、私があなた方の雇い主ならば、きっとそうしていたでしょう」
今回の仕事のためにこちらにやって来たゴーダ。恐らくラーキとか言う女も似たような口だろう。
能力者とはいえ、外部から雇い入れた戦力に一任する訳にもいかないという事か。
「大方、あなた方を潜入させた上であえて露見させ、我々が対応に追われる隙を、或いは対処に成功して安心する一瞬の隙を狙っていたのでしょうが……残念ながら、それぐらいの事は私も思いつく。今頃、あなた方の狙撃手は誰もいない物置小屋を儀式の間として狙い撃とうとしていることでしょう」
儀式の間は決して狙撃によってどうにかなる場所ではない。
建物の奥にあるあそこを撃つとなれば、建物ごと吹き飛ばすしかないだろう。
「騒ぎを起こして我々を陽動し、狙撃後は騒ぎに乗じて脱出する……そういう計画だった。そうですね?」
がっくりとうなだれたラーキの顎をステッキの先で持ち上げながら確認するヴィルヘルムさん。沈黙は肯定だろうという事は、すぐに分かった。
「さて……」
万事休す――それを理解した二人の凶賊を前に、ヴィルヘルムさんが懐から取り出したのは、ケースに納められたハンドベル。動き回る時にも音が鳴らないようにという配慮だろう。
そしてそれは、ただのエチケットという訳ではなく、実用的な意味もあると、彼がそれを振って甲高い音を響かせた時にすぐに理解できた。
「お呼びでしょうか?」
現れたのは屈強な下男たち。
「こちらの“お客人”二人を“お部屋”にご案内して差し上げろ。くれぐれも丁重にな」
「かしこまりました」
俺たちが受けたような歓待ではないという事は、ヴィルヘルムさんが観念したゴーダの手にはめた、能力封じの刻印がなされた手錠を見ずとも明らかだった。
――あの二人は、きっと生きてこの屋敷を出られないのだろう。なんとなくそんな気がした。
「ああ、それとマイベスは?返し上げの準備は出来ているか?」
「はい。既に窯の前で待機しております。ご指示頂ければいつでも」
下男たちのまとめ役にヴィルヘルムさんが尋ねると、彼はそう答えた。
返し上げというのは歌返しが無事に終わった事を知らせるための儀式で、専用に調合された燃料を使って紫色の煙を上げて町の皆に伝えるのだ――今日の昼に知った。
「……さて、これでとりあえずの危機は去りましたな。引き続き明日の朝まで、よろしくお願いいたします」
それまでとは打って変わって、恭しく一礼したヴィルヘルムさん。
「お二人がお味方であったことを感謝いたします」
そう付け加えられたが、その言葉をそっくりそのままお返ししたかった。
※ ※ ※
「う……」
どれ程の間意識を失っていたのだろう。
目を覚ました俺を待っていたのは、朝の静けさと僅かに白んだ東の空。
それ以外には何も分からない。突撃が成功したのかどうかも、自分の首から下がどうなっているのかも。
その数少ない例外は、空が見えるという事は、少なくとも俺の首は仰向けに倒れているという事と、こうしている時間はもう僅かしかないという事だった。
不思議な話だ。何も見えず何も感じないのに、もう自分は助からないと、どこかで理解している。
「あ……」
だが、そんな些細なことはすぐに吹き飛んでしまった。
遠く上層のベナティフ家の煙突から立ち昇る、返し上げの紫の煙によって。
「……そうか」
頭の中に、フィーナ様の姿が浮かび上がってきた。
歌っている時の姿、笑っている姿、人々に手を差し伸べている姿、病人や貧民を慰め励ます姿。俺の父母を助けてくれた時の姿も混じっている。
「よかった……」
妙に清々しかった。
おかしいぐらいにすっきりした気分だった。
あの人は、フィーナ様は、夢破れた俺をその歌声と笑顔とで慰めてくれた。
年老いて病んだ両親を助けてくれた。
今日まで辛い事もあった下層のルクチャ売りの暮らしに救いをもたらしてくれた。
そして最後まで筋を通した。
だから、もう充分だ。
今度はあの人が幸せになるべきだ。
「おめでとう……フィー……さ……」
あの人はきっと俺なんか知らないだろう。
だが、それでよかった。そんな事はどうだってよかった。
俺はこんなに幸せになれたのだから。俺は誰より自分を誇れるのだから。
「どうか……幸せに……」
自分の口角がゆっくりと上がっていくのを感じた。
意識を手放す直前に見えたのは、あの日初めて見た、初々しくて美しくて優し気な、大好きな彼女の姿だった。
※ ※ ※
明け方、歌返しの儀式が無事に終わると、俺たちはすぐに旅立つ支度を整えた。
幸い少し仮眠をとらせてもらえたのだが、流石にバタバタ慌ただしい中でいつまでもお邪魔している訳にもいかない。
それに、ベナティフ家当主以下使用人に至るまで全員から丁重に礼を言われては、なかなかどうして恥ずかしいものだ。
結局、門の封鎖が解除されたという話を聞いて、俺たちは――恐らく一生分ぐらい人に感謝されてから――仕立ててもらった馬車で町を後にした。
「二人とも、今回は本当にありがとうね」
馬車の中、改めてジェルメが俺とシラにそう言って頭を下げる。
「気にしないでください。ジェルメの側にいるのが私の役割ですから」
「俺も臨時収入になった。それに、残ると決定したのは俺だ。気にすることじゃない」
こいつの感謝にはベナティフ家の人々より気軽に応じられるのは、やはり多少とはいえ付き合いがあるからか。
「それにしても、ジェルメがここまで誰かに肩入れするとは、珍しいですね」
それはシラの正直な感想だったのだろう。俺よりも遥かに付き合いの長いであろう彼女からしても、今回の介入は珍しいようだ。
だが俺には、その時のはっとしたようなジェルメの表情の方が気になった。
「……まあ、ね」
そして軽口を叩かずに口ごもってしまう彼女の姿も、また。
「たまにはそういう事もあるよ」
何かを隠していますと言葉以外の全てで表しながら、それ以降は俺もシラもその事に触れなかった。
――なんとなく、それは本人がその気にならなければ決して話さないだろうと、直感が叫んでいた。
ガラガラ、ガラガラと、馬車は下層街の上を渡る橋を、往来が復活した門に向かって進んでいった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に