ドブネズミのスワンソング22
「……」
ガラスを叩き割るような勢いで、その異形が飛び込んでくる。
「よう」
声をかけても当然止まることはない。忍び込むと呼ぶには余りに大胆なそれが、こちらに既に気付いている――そしてその事が中止の理由にならないという事を物語っていた。
その居直り強盗めいたメンタルを相手にするのだ。こちらも適切な対処をさせてもらおう。即ち、仲間を呼ぶ。
胸嚢から取り出した呼び笛を口に突っ込んで一息に吹き込む。
列車の発車みたいな鋭い音が広間に轟くが、それでも驚く様子はない。
「陽動か……」
だが、奴は選択を誤った。
ここを越える以外に儀式の場に踏み込むことはできない。
儀式の間に通じる屋敷の他の廊下は、新たに生まれた能力者により外部からの侵入を拒む要害となっている。
それを知ってか知らずか、異形はずるり、ずるりと広間に入り込み、こちらに近寄って来る。
それは巨大な塊。
半透明なスライム状の塊が、恐らくそれを生み出している能力者の男を包み込んで、彼の手足の代わりになって動いている。
いや、手足の代わり以上だろう。何しろ、先程一瞬で開錠して侵入経路を作ったのは、そのスライムから伸びていた触手だったのだから。
「……一応の警告だ。直ちに退去せよ」
言いながら、同時に刀を抜き、護符に手を触れる。
「ふぅん……この辺りの奴じゃないな」
そのスライムの中にいた男が、感情を感じさせない声で俺に呼びかけた。
「お前も大陸から来たクチだな……。そして転移だか転生だかしてきたって訳だ」
どちらも正解だった。
そしてどうやらこの男も同じような経歴の持ち主のようだ。恐らく、この仕事のために大陸側からやって来たのだろう。
「そういうお前も……」
「まあな。因果な商売だな。ご同郷」
この答えも、どちらにも当てはまるパターンだろう。
照明の一部が破壊されて照度の落ちた部屋の中で、スライム越しに見える顔でも、それが東洋系のそれであることは分かった。
「……そうだな。で、ものは相談だが、俺としても同郷の人間と無闇矢鱈にやりあう気はない。どうだ。同じ日本人同士、暴力反対と行こうじゃ――」
そこで言葉を切って真横に飛び退くと、その横を新たに伸びた触手が貫いていく。
「俺はビジネスマンだ。仕事と私情は分ける」
「ビジネスマンね……」
足は止めず、迫って来る更に複数の触手の群れを走って躱す。
触手のスピードは速いが、その分直線的だ。偏差射撃を受けない限り、走っていれば当たらない。
「偉そうに――」
躱しつつ、切れ目を狙って走る方向を変える。
奴に対して真横から斜めに切り上がるように方向転換。躱しながら同時に距離を詰めていく。
その進路上には昨夜の晩餐会で囲った大きなテーブル。横幅は畳一畳分より間違いなくあるそこに、走っていく勢いのまま飛び乗り、三段跳びのようにその勢いのまま奴に飛び掛かる。
「ちぃっ!!」
「省港旗兵がッ!」
飛び降りと同時に振り下ろした刃がしっかりと手ごたえ伝えてくる。
――だが、違う。
「くっ!」
斬撃と飛び込みの勢いを利用して奴から飛び下がって距離をとると、奴が迎撃に放った撞木のようなスライムの塊が床材を一枚粉々に砕いていた。
「省港旗兵か……確かにな」
その光景の向こうで、奴は楽しそうに笑う。
省港旗兵=返還前の香港で暗躍した大陸系犯罪者で、仕事が終われば中国本土に帰ることから足がつかなかった。という言葉に納得したという訳ではない。
奴の笑いの理由は、斬りつけられても無傷だった、ただその一点にあるだろう。
斬撃の瞬間、奴は全身を覆うスライムの形を変えた。
それまで自分を中心に球体を維持していたそれを変形させ、自らの背後にあったスライムを前に移動させた、或いは、スライムの中心から背面側に本体が急速移動した。
結果、俺の一撃は確かに手応えこそあるが、スライムの中を通り抜けるだけに終わり、その傷口は一瞬で塞がってしまう。
「ユートさん!」
「シラ!」
声に応えたのは俺。振り向いたのは奴。
そして、反応が早かったのも奴だ。
「ッ!?」
一本の触手が鞭のようにしなりながら、彼女を薙ぎ払おうと襲い掛かる。
伸びつつ向かってくる薙ぎ払いは躱しにくい。遠近感がおかしくなる瞬間がある。
「ほう」
だが、間一髪彼女は躱している。
背中の蛇たちをばねにして飛び上がり、攻撃を跳び越す形で回避すると、その動作のまま付近の柱に残りの蛇を巻きつける。
「この……ッ!」
そのまま蛇の力によって柱に密着、直後それを蹴り、その次の柱=より俺たちに近い方の柱に別の蛇を巻き付かせて急接近する。
「ちっ!」
更に複数の迎撃――と同時に、一瞬で相手の動きをコピーしたように、奴のスライムから無数に伸びた触手が本体を後方に跳ね上げた。
「ッ!」
交錯する二人。
シラの袖口がぱっくり切れているのに気が付いたのは、着地した彼女が顔をしかめているのを見てからだった。
「シラ!?」
「大丈夫です……くっ」
痛々しいミミズ腫れが、切り裂かれた袖の下に出来つつある。迎撃の一発が正確に彼女の腕を捉えていた。
幸い動作に支障はないようで、すぐにターゲットに意識を集中する。
「助太刀します」
「助かる。そっちの持ち場は?」
「ヴィルヘルムさんがいます」
ならば問題はない。
とりあえず、今はこいつの相手に集中だ。
「仲間を呼んだか……」
奴がふわりと浮き上がる。
といって空中浮遊ではない。球根から無数の根が伸びるように、触手たちが本体を持ち上げているのだ。どことなくクラゲというか、タコ型宇宙人の絵にも見える形だ。
「まあいい」
それを合図に、持ち上げていた触手の半分が地面を離れた。
「「ッ!!」」
残った数本で本体を支え、離れた触手が一斉に殺到する。
地面を耕すような鞭の雨を、俺たちは間一髪で飛び退けていた。
(つづく)
投稿遅くなりまして申し訳ございません
今日はここまで
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