ドブネズミのスワンソング15
「報酬ですか……」
俺のそれを受けて、ヴィルヘルムさんが一度引き取る。
数秒か、もっと短い時間の逡巡は、俺が更に一言付け足す間もなく破られた。
「マルケの通貨で……一人当たり4アウルではいかがでしょう?勿論現金取り扱い証書はこちらでご用意いたします」
一人4アウル。施設内に籠っての対象一名を守り、拘束時間は一日。
相場どころではない。
「自分はそれでお引き受けします」
破格の条件。
もう一声とやる余地はあったかもしれないが、そこまでする気はない。相場がもらえれば十分だった。
「私たちもそれで十分です」
結局、俺たち三人はそのまま依頼を引き受ける事となった。
ギルドの規定上、多分違法なのだがここで取り締まる者もいない。
失敗すれば?その時のことを考える必要はない。
侵入者と遭遇した上での失敗なら、恐らく俺は死んでいる。
侵入者と遭遇しないでの失敗=こちらの配備の裏をかいた襲撃であれば、責任は俺にはない。そして襲撃が成功してしまった場合、そんな論争をしている事態ではなくなるだろう。
「お引き受けいただけますか!ありがとうございます!!!」
ヴィルヘルムさんがこすりつけるように頭を下げ、彼からは視線が切れているところで、俺たちは顔を見合わせて苦笑した。
「……思わぬご祝儀だ」
おどけて呟いたそれが、どれ程の意味があったのかは分からない。
だが、少なくとも不快にさせた訳ではないという事は、二人の表情を見て直ぐに察した。
※ ※ ※
「全員集まったな」
夜、仕事を終えた俺は日中にクリムから聞いていた通り、キターキの兄貴の家に集まっていた。
俺のそれよりも少しだけ広い程度の彼の家、居間と呼ぶことが許されるだろう広さの部屋に、よく知る顔が並ぶ。
――そして兄貴の後ろに二人、見覚えのない人物が控えている。
だが、二人とも兄貴からここがどういう集まりなのかは聞いているようだった。
「これで全員か?」
「ああ。そうだ」
二人のうちの片方、柳のようにひょろ長い印象を与える男が抑揚のない声で尋ねると、兄貴が短く刈り上げた頭に手をやりながら答える。
「紹介しておこう。こっちの二人は今回俺たちの戦いに手を貸してくれる。こちらがゴーダ」
その痩せた男の方を示す。
「……」
男の方は何も言わず、ただちろりと俺たちの方を一瞥するだけ。
「そしてこちらがラーキだ」
その事は特に気にも留めず、兄貴はもう一人の方を示した。
こちらは女、年の頃は俺たちと同じか少し上ぐらいの、徒っぽい雰囲気の人物だ。
「よろしくね」
そう言って笑いかけるが、その笑みはやくざ者のそれに見えた。
「それでは、早速襲撃作戦について説明しよう」
挨拶をそこそこに、兄貴が本題を切り出す。
「まず、これを見ろ。ジース様の協力によって、屋敷の見取り図を手に入れた」
テーブルの上に広げられたのは、ベナティフ家のものと思われる詳細な見取り図。
一枚の紙に収まらなかったのだろう、離れの方を付け足した別の紙がよこに追加される。
一体、この屋敷の中だけで何人下層の人間が暮らせるのだろうか。
「豪勢な家だな」
「大豪邸じゃないか」
覗き込んだ連中の中から口々にそんな言葉が上がる。
「金満の豚には豪華すぎる豚小屋だ」
別の誰かが憎々し気にそう告げると、周囲から賛同の声が上がる。
俺たち下層の人間が犬小屋のような家に住んで、そこでなんとか全てをやりくりしている時に、衣裳部屋だけでその俺たちの家よりデカい大豪邸に閉じ籠っているのが上層の人間だ。
その不満が込められた一言が、俺たち全員に今回の襲撃の意義を改めて理解させる。
自分たちだけの世界に閉じ籠り、自分たちだけの贅沢をして、下層に通じる門を閉ざして別の国のように振舞っている上層の連中に天誅を下す。
街には上層と下層がそれぞれ議員を選出した議会が存在するが、それに関わらず俺たちはその日暮らしを強いられ、上層は贅沢三昧の日々を送っている。
俺たちが決して従順に従っている訳ではないという事を、上層の連中に理解させてやるのだ。
絹に身を包み、金銀に囲まれ使用人に傅かれている連中に、痛みを持って俺たちの境遇を理解させて目を覚まさせる。そのために最も効果があるのが、連中の屋敷の中で行われる歌返しの儀の妨害。
連中が己らの事情だけで歌巫のフィーナ様を道具のように扱ったことへの報いが必要だ。
「よし、皆の意気込みはよく分かった」
満足そうに頷く兄貴。
「全員もう一度隣にいる者達をよく見ておけ。それがお前たちと志を同じくする同志だ。共に立ち上がる勇士の顔だ」
言われた通りに左右を見る。
左にはこの近くの古着屋の顔。
右にはクリムの顔。
どちらも熱っぽい目を俺に向けるのを部屋の明かりに浮かび上がらせている――きっと俺も同じように彼らに見えているのだろう。
誰に誇れなくてもいい、誰に対しても恥ずかしくないように生きろ。そうとも、俺はこいつらの誰に対しても恥ずかしくない同胞団の一員として生きる。
「では、ここで本題に入ろう」
全員の目が兄貴に注がれる。
その注目の中で、彼は咳ばらいを一つ。
「一つ、今回の計画に変更しなければならない点が出来た」
全員を改めて見回す兄貴。俺たちの意識が引き続き自分に注がれていることを確かめると、僅かに息を吸ってから続きを口にする。
「ジース様からもたらされた情報だ。俺たちは今回、この歌返し及びフィーナ様の結婚について、上層の老人たちがその利権のために進めていると考えていた。そしてそれは、今でも正しい。だが、ひとつ訂正しなければならない」
ひそひそ声が混じる。
「今回の歌返しと縁談。そのどちらもフィーナ様自身が希望しているという事だ」
ひそひそ声がざわめきに変わった。
困惑、戸惑い、疑問――様々な感情が声になって部屋中に満ちていく。
その中に肯定的なものが一つもない事は俺にも分かった。
兄貴はそれが十分に部屋中に広がるのを待ってから、更に言葉を続ける。普段滅多に使わない、俺たち全員に呼びかける時の言い方で。
「諸君、我々同胞団の目的は下層の声を上層に届かせ、連中の目を覚まさせることだ。連中を我々との歩み寄りのテーブルに着かせることだ。諸君らの知っての通り、今回の作戦もその一環だ。この町の統合の象徴である歌巫フィーナ様を自分たちの利権のために利用せんとする腐り肥えた豚を排除する必要があった。……だが、実態はどうだ?統合の象徴であったその歌巫自身が、今やそうあることを辞めベナティフ家の人間となることを希望している。そして周囲はそれを諫める事もなく、自らの欲望のためにそれさえ利用しようとしている。諸君、これは残念な事態だ。非常に残念な事態だ。……だが、残念で止まってしまっていては、我々同胞団が何のために存在するのかを我々自身が理解していないことになる」
一旦途切れる。
その後にすぐ言葉が続くことは分かっている。
――そして、その内容についても。
「……諸君、遺憾ながら、我々は決断しなければならない。歌巫フィーナは、既に排除するべき敵であると」
※ ※ ※
翌日、歌返しの準備で慌ただしい屋敷の中で、俺たちは与えられた仕事のために屋敷の中を回っていた。
この時間の仕事は屋敷の構造を頭に叩き込む事。自分の持ち場がどこに通じているのか、儀式の場所にどこで繋がっているのかを確認しておく。
「しかし、広いお屋敷ですね……」
しみじみと漏らすシラに同意する。
護衛はおろか、俺たちのお守りが必要なほどだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に