ドブネズミのスワンソング13
同じものを感じ取ったのか、俺と目を合わせるジェルメ。
「どうぞ」
彼女の返事によって許しを得た彼が深々と頭を下げながらやって来た。
「夜分申し訳ございません」
取引のテーブルを勧めながら俺たちもそちらへ。
「いえ、どうぞお気になさらず。何か御用でしょうか?」
取引の場所という事だからだろうか、ジェルメの口調もその時のそれに戻っている。
「このような事をお願いするのは大変筋違いであるとは承知の上なのですが……」
それから、色々と上流階級的面倒ごとを押し付ける事への謝罪が並び、それから要件。
その肝心な部分は、彼の放った一言で要約できた。
「歌返しの儀を妨害しようとする何者かに備えて力を貸して頂きたいのです」
シラがジェルメを見る、俺もそれに倣う。彼女は二人を見返す。
それから、口調も態度も変えずに、まるで世間話でもするかのようにリラックスした様子で聞き返した。
「どうか事情をお聞かせ願えますか?」
「承知いたしました。まずは……そうですね」
それから少し、ヴィルヘルムさんが沈黙する。
己の中で編集する時間は数秒間だった。
「まず歌巫について申し上げます。歌巫についてはフィーナ様からお話のありました通り、町の女性から選ばれますが、その役割は救貧院や病人への救済。即ち、その歌の癒しの力を用いて人々の暮らしを助ける事であり、そのために定期的に上層も下層も一つにした会が開かれます」
誤解を恐れずに言えばアイドルみたいなものだろう。
「フィーナ様は以前からその活動に精力的に打ち込んでおられ、上下問わず慕う方はとても多くいらっしゃいます」
まさしくアイドルという訳だ。
そして、そのアイドルが今回引退する――もうなんとなく読めてくる。
「今回の歌返しでフィーナ様はその役割を終えられ、次には当家からも近く、同じぐらい古い家柄であられる、リエース家のお嬢様が引き継がれることは既に決まっております」
そこで一度言葉を途切れさせるヴィルヘルムさん。
自分の今後の発言が問題ないか、思慮深く頭の中で最終確認しているのだろうというのは、皺を寄せた眉間に手をやる動作でなんとなく分かった。
そしてその印象を与えるのと同時に、その確認は終わったようだ。
「フィーナ様の引退と、リエース家のフラン様が次の歌巫になられることに、反発する勢力がいるのです」
どこの世界にもアイドルには厄介なファンがつきものという訳か。
「歌巫の引退は仕方がない事です。フィーナ様には歌巫としての役割の他に、ベナティフ家の女性としての役割もございますし、何より今回の縁談はご本人も強く希望なさったものです。『歌巫は誰のものにもあらず。それを守れなくなるのなら潔く身を退くべき』と、あのお方は決めていらっしゃいます」
名家故の理由というのも、中々大変な話だ。気ままに生きている訳にもいかないのだろう。
――と、そこでふと視界の隅にジェルメが動いたのが見えて、反射的に視線を向けた。
彼女は何かを考え込むように見えた。
いや、そう“も”見えたと言うべきか。
同情するような、或いは安心するような微笑みを浮かべているようにも思える。
少なくとも、俺の見たそれが見間違いでなければ、彼女が歌巫の選択を好意的に捉えているというのは間違いないだろう。
しかしその表情は、見間違いを疑うぐらい一瞬で普段のものに切り替わった。
「……正直なところ、歌巫には様々な利権がございます。それによって有形無形の利益を得る者、或いは反対にそれをふいにする者がいるのもまた事実。個人的な恨みつらみもさることながら、そうした点からフィーナ様が引退するのを、そしてリエース家のフランお嬢様が引き継がれるのを許せぬという者がいるのも、また事実でしょう」
思ったより単純な話ではない。
ただの厄介なアイドルオタクの話だけでは済まないという事だ。
「連中は何とか縁談を潰そうと躍起になっておりました。旦那様はそれを何とか退け、私も及ばずながらお助けさせていただきました。ですが、事ここに至って連中はついに手段を選ばなくなって参りました」
「つまり……実力行使という事ですね」
シラの確認に、ヴィルヘルムさんが頷く。
まあ、俺たちに手を貸してほしいなどと言う時点でそういう腕力沙汰なのはまず確実だろう。
彼女の確認に今度はジェルメが続く。
「ご主人に今回の件のご説明は?」
「既に忠告はさせて頂きました。こうしてお屋敷の警備を固めておるのも、旦那様のお指図によるものでございます」
そこで再度、ヴィルヘルムさんは沈黙した。
今回はすぐに再開されたが、その声のトーンは更に落とされていた。
「……もし、フィーナ様の身に何かあれば、きっと旦那様は下層を焼き払うように指示されるでしょう。そして、上層の住民の方々の多くはそれに従うでしょう。旦那様のベナティフ家当主としての立場と歌巫の影響力は、それほどまでに強いものなのです」
下層を焼き払う。
城壁に並べられた兵器類を見れば、それが決して大袈裟な表現ではないという事は分かり切っている。
理不尽に娘を奪われた親が、犯人にどれほどの恨みを抱くのかなど、前職の経験を引っ張り出さなくても分かる。目の前に犯人がいてそこにナイフがあれば迷わず刺すだろうし、銃があれば迷わず撃つ。そして目の前にあるのが榴弾砲なら、周囲を巻き込んででも犯人を肉片に変えてやりたいと思う事は、決して狂人の発想ではない。
「それだけは、断固として避けねばなりません」
故に、ヴィルヘルムさんがそう言った時の、必死そのものの気迫も、決して何も大袈裟なものではないというのは、説明するまでもなかった。
「どうか、歌返しの間、フィーナ様をお守りください」
全くもって責任重大だ。
守れと言われているのは娘一人、だが失敗の先にあるのは何百人が死ぬか分からない内戦だ。
(つづく)
投稿大変遅くなりまして申し訳ございません
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