ドブネズミのスワンソング9
鞄を受け取ったジェルメが自ら中身を確認。
「確かに」
鞄を閉じて引き取ると、代わりに円筒を差し出す。
「では、こちらをお受け取りください」
「これで私も……」
「ええ。噛まずにお飲みください」
――ん?
今ヴィルヘルムさんは私もと言った。
思い込みとは良くないものだ。どうやら彼自身がこの虫で能力を得ようとしていたようだ。
彼の人生に一体何があったのかは分からないが、とにかく虫が、即ち何らかの能力が必要だったのだろう。
受け取った円筒の蓋を外すと、彼は言われた通り中身を一息に飲み干した。
「これで、いいのですかな?」
「ええ。結構です。それでは、貴方の第二の人生が実り多きものでありますように」
取引終了の合図。そしてそれと同時に、ヴィルヘルムさんが机上に置かれていたハンドベルを手に取ると、よく響く高い音を響かせる。
程なくして、扉をノックする音が聞こえてきた。
「お客様とのお話は終わった」
扉を開き、ヴィルヘルムさんが使用人に告げる。
だが、返ってきたのは返事だけではなかったようだ。
「何だと……?……そうか……」
一度天井を仰ぎ見るヴィルヘルムさん。
数秒の沈黙の後、再び使用人に指示を飛ばす。
「分かった。ご主人とお客様には私から説明しておこう。仕事に戻ってくれ」
使用人が去ると、彼はすぐに振り向いて早速その仕事の片方を片付けにかかる。
「良くないニュースをお伝えしなければなりません」
「何かありましたか?」
「先程町の衛兵隊から連絡がありました。周囲の遺跡群で複数の魔物の目撃の通報があったようです。安全が確認できるまで、町の門を閉鎖するとのことです」
※ ※ ※
昼が過ぎて、俺のようなルクチャ売りにとっては最も忙しい――そして書き入れ時の――時間が終わる。
今日の稼ぎはなんとかいつも通りと言ったところだ。やはりしばらく留守にしていたのが響いているのか、まだ営業を再開したことを知らない客もいるのだろう。この町に市場は二つあるが、そのどちらもルクチャ売りは俺一人ではないのだ。他の店に取られている客も少なくないのかもしれない。
「よう、落ち着いたようだな」
一息入れようと近くの樽に腰を下ろそうとしたところで、先程聞いた声が戻って来たことを知った。
「クリムか、どうした?」
煙草売りも昼が書き入れ時だ。そして次の書き入れ時である門が閉まる夕刻頃までは暇になる。客が仕事に戻ってしまえば、一服求めに来る者もいないという訳だ。
その煙草売りが、俺の隣に腰を下ろした。
「……門が封鎖された。ジース様の手が回った」
「へえ、どんな手を使って?」
ジース様というのは、俺たち同胞団とかかわりのあるお方だ。
普段は上層の金持ち共の相手をしている人で、占術にも通じている事から今は儀式のためにベナティフ家に出入りしている。
その実、衛兵隊にも顔が利く人で、話にあるようにある程度都合で門の開閉に口を出せる。
とりあえず、これで別命あるまで町から出ることも、また部外者が立ち入ることも出来なくなったという訳だ。
「ジース様が今夜中に“歌返し”の日取りを提案なさる。あそこの当主はあのお方を信用しているから、まず間違いなく言いなりだ。占術にインチキを差しはさむなんて、思っちゃいないからな」
歌返し――俺たちが何としてでも止めなければならないその儀式の日取りをこちらで指定できる。
つまり、こちらにとって襲撃に最も都合のいい日取りを決められるという事だ。
「いよいよだな」
「ああ……いよいよだ」
誰に誇れなくてもいい、誰に対しても恥ずかしくないように生きろ――その時が来たら、俺は誰に対しても、つまりジース様やクリムや、他の同胞団のメンバーの誰にも恥ずかしくないようにやり遂げるつもりだ。
クリムは熱っぽい目で、平素から固く閉ざされている上層の門を見上げている。
俺たちはあそこに討ち入る。
俺はこいつにも見せつけてやるんだ。俺が他の同胞団にも恥じない働きが出来ると見せつけてやるんだ。
「その事について、今日の夜、市場の閉場の鐘が鳴ったらキターキ兄貴の家に集まることになっている。それを伝えに来た」
キターキ=俺たちをまとめ上げている同胞団の顔役。
子供のころから、俺たちの世話を焼いてくれた人だ。
「わかった。行くよ」
勿論、あの人にも俺の働きぶりを見てもらおう。
俺が誰にも恥じない者であると、同胞団に引き入れた事が間違いではなかったと、その事を証明してやろう。
「それじゃあな。同胞団と共にあれ」
「同胞団と共にあれ」
クリムと別れ、売れ残りのルクチャの枚数を数える。
夕刻、仕事終わりに腹に何か入れようとする客を捕まえればなんとか捌けるだろう。
それが終われば、俺は町のルクチャ売りから志を持った同胞団に姿を変える。
誇る必要はない。だが、同胞団の名に恥ずかしくない働きをしよう。
同胞団と共にあれ、だ。
※ ※ ※
結局、俺たちは封鎖が解除されるまでベナティフ家=この屋敷にお世話になることになった。
「随分忙しそうですね」
宛がわれたのは取引が行われた離れの、同じような部屋。
流石にこちらにはそれほど使用人も多く訪れないが、それでも時折外を行きかう音が聞こえてくる。
それに耳を傾けながら、シラが驚いたように言った。
彼女は先程から辺りをきょろきょろ見回したり、外の音を聞いたりと――俺と同じで――落ち着かない様子だ。
そしてその言葉に、対照的に落ち着き払って用意されていたお茶菓子をかじりながら見ていたジェルメが、まさしく他人事といった様子で答えた。
「恐らく結婚式だろうね。それも、この家から花嫁が出る」
「そうなんですか!?」
「そうなのか?」
俺たちの反応が面白かったのか、ジェルメは手の中に残っていた茶菓子を口に入れて飲み込むと、名探偵よろしく椅子に体を預けて人差し指をピンと立てた。
「まあ、簡単な話だよ」
(つづく)
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