ドブネズミのスワンソング2
「随分遠いね」
驚いた様子で御者が答える。
「何なら途中のグレイム辺りで落っことしてくれても」
「いや、大丈夫だ。やれるよ」
それから運賃の取り決めをして出発。
目指す港は遠い。
ほぼ東に向けて一直線とはいえ、この二頭立て馬車で半日ぐらいはかかる。
そこで依頼人と落ち合い、出国ゲートをくぐってからは波に揺られる事一泊二日。順調に行けば、二日目の夕刻には向こうの港についているだろう。
まずは馬車に揺られる。
「お客さん、冒険者でしょ。お仕事で?」
「まあね。お客さんと待ち合わせだよ」
流石に大きなギルドのある町の馬車は、その辺の察しが早い。
「随分遠くから呼ばれるんだねぇ」
「ありがたいけどね……」
とはいえ、あまりべらべら話すべきでもないだろう。
何しろ、ギルドにとって好ましからざる人物だ。話したところで誰も特はしない。
――それに正直なところ、この御者が嗅ぎまわっている可能性だって否定できないのだ。
せっかく安全策を採って遠くの港町ボルニーで待ち合わせているというのに、その道中で情報漏洩などしては元も子もない。
「やっぱりアルスカへ?」
「そんな上客ならよかったけどね。他所の町までの護衛だよ」
用意しておいた嘘を吐いておく。
実際には彼の言う通り、海の向こうのアルスカ王国に入る。
そこでの虫の取引の護衛が今回の仕事だ。
幸運と言うべきか、おしゃべり好きなその御者もその話題はそこで切り上げてくれた。
夏雲が流れる空の下、馬車の上で揺られて目的地へ進んでいく。
やがて緩やかな上り坂を登り切って、更に少し進んだ先で同じぐらいの傾斜を下り始めた時、眼下には二つの岬に挟まれたボルニー湾が見え、白い帆を張った船が何隻か、そのマストの先端から見えてきた。予定していたより少し早く着きそうだ。
「はい、到着」
「お世話様」
坂を下り切った先にある港のゲートの前で馬車を降りる。
通常の町のそれと異なり、かなり大きな、それこそ砦のような設備が設けられているのは、ここが入国審査の最後の壁という役割も担っているからだろうか。
代金を支払ってゲートへ。
町から出るのにはかなり入念にチェックが入るようだが、町に入るだけならそこまでではない。輸入品を買い付ける商人や、反対に輸出に関する仕事をする人間だっている。出国側の本格的な審査は船に乗る前に行われる。
「ようこそボルニーへ」
他の町と変わらない簡単なチェックで町に入ると、港町らしい真っすぐで平坦な大通りを抜けて海岸の方へ。
桟橋のすぐ近くにある、入国者でごった返す安宿の一つへ。
「いらっしゃい」
「薬売りのモーガンさんという人が泊っていませんか?エルド商会の者とお伝えください」
事前に決めていた符丁を伝えると、すぐに奥の部屋からその“モーガンさん”が現れた。
「やあ、どうも。お久しぶりです」
恭しく頭を下げるそのモーガンさんと連れ立って宿を出る。既に代金は支払い済みらしく、宿屋の主人から見送られて。
主人や宿の人間から見えない場所まで移動し、それから船へ。
モーガンさんとそのお付きの人と共に、乗船ゲートに並ぶ。
彼女も今回は馬車はなく、俺と同じように背嚢一つだけだ。
「渡航理由は?」
「仕事です。ギルド証はここに」
改めてこの証明書は便利だと痛感する。
アルスカ王国にはギルドは存在しないが、大陸側のギルドの冒険者を受け入れる事はしており、正式な仕事だと証明されれば、その瞬間ギルド証がパスポートに早変わりだ。
「雇用者は?」
「私です」
モーガンさんが手慣れた様子でギルドの印の入った契約書を差し出した。
モーガンとしての渡航許可証とそれがセットであれば、それでもう証明は済んでいる。
「はい、結構です。良い船旅を」
すぐに大きなハンコを押した出国証明を渡され、その奥のカウンターで乗船券を買えば、それでもう終わり。
船に乗り込み、所持品を預けるとすぐ、出航を告げる鐘が鳴り響いた。
もやいが解かれ、ゆっくり、ゆっくりと船が離岸する。
こうなれば、後は一泊二日の船の旅。
「……さて、無事出国できた訳だね。護衛さん」
モーガンさん――いや、もういいか。ジェルメが小さくなっていく陸を見ながら呟いた。
「とりあえず一安心だが、本名は使うなよ」
「分かっているさ。今回もよろしく」
それからしばらく、俺たちは他の乗客たちと甲板に立って、小さくなっていくボルニーの港をぼうっと見ていた。
天気晴朗なれども波高し。見通しは良いが、いささか揺れる。
それが意外な形で影響を及ぼしたのは、船が完全に陸から離れ、一人また一人と、海風にあおられるのに飽きた乗客たちが船内に戻り始めた時だった。
俺たちもそれに倣って船の中へ。
狭いキャビンの中に入って数分揺られた後で、それまで軽口を叩いたりしていたジェルメが急に黙り込んだ。
「……どうかしましたか?」
「うん……大丈夫」
シラが心配そうにのぞき込む。
心なしか顔色が青い。
「酔ったか」
「……いや、そんな事は……」
「気持ちはわかるが認めた方が楽になる」
言霊ではないが、酔っていると認めてしまうとその言葉でその症状を意識してしまって余計に悪化する――実際にそうかは分からないがそんな気がしてしまうものだ。
「商品にないのか。酔い止め」
「あるには……あるけど……」
結局、耐えきれなかったのだろう自分の手荷物を漁って薬瓶を取り出すと、中の丸薬を一つ飲み込んだ。
「これで……大丈夫……」
「楽になるまで外にいた方がいい。遠くを見ていると少し楽になる」
「行きましょう。ジェルメ」
シラが肩を貸して立たせる。
念のため一言忠告。
「外ではちゃんとモーガンさんだ。本人は余裕がなかったら喋らないようにな」
「分かった……」
「了解です」
意外な弱点が判明したジェルメ改めモーガンさんに肩を貸したシラを先導して、俺も傾き始めた太陽に照らされている甲板に戻った。
(つづく)
投稿遅くなりまして申し訳ございません
今日はここまで
続きは明日に