ドブネズミのスワンソング1
久しぶりに戻って来たような気がするアルメランは、すっかり町中が聖鷹祭の準備に包まれていた。
祭りで使われる巨大な鷹を象った山車を、大勢の大工や各分野の職人が集まってせっせと組み上げていて、その周りをそれより大勢の野次馬が取り囲んで見物している。
既に出店も決まっているのか、臨時の屋台がそこかしこに設けられ、町全体にお祭りムードが広がっていた。
なんとなく、高校の頃の文化祭の準備期間のような空気だ。自分が関わらないで見ている側というのは、なんとも妙な気がする。
そんな中で俺は、そうした人混みと活気から外れたいつもの川原に降りた。
「よう」
後からやって来たもう一人=ハジェスとの面会の為に。
「用意できたようだな」
「……ああ」
受け取ったあの日と同じく、内容量以上にずっしりと感じる革袋を奴に差し出す。
「細かいが、ちゃんと要求通りの金額だ」
きっと彼は知らないだろう。
俺がこれを一分一秒でも早く手放してしまいたいと思っていることなど。
「……確かに」
袋を受け取り、真剣な眼差しをそれに注ぐハジェス。
ややあって再び上げられた顔は、いつも通りの調子のいい笑顔だった。
「流石だ友よ。やっぱり信用のできる男だよ」
「ああ……そうかい」
吐き出して、奴が大事そうにしまうまでその袋から目を背けていた。
「で、頼んだ件は進んでいるんだろうな」
「心配するな。順調に調査中だ。だが、報告はまだ待ってくれ。お前が不確実な情報でぬか喜びしたいっていう事じゃない限り、確証のある情報を伝える」
「ああ……頼んだ」
ぺらぺらと、立て板に水の文句を並べるこいつの相手をするような気分ではなかった。
進捗を確認した時、一瞬難しそうな顔をしたのは気になったが、この男の事だ、どうせ情報はどこからか持ってくるだろう。出来ないとなれば今回の金だって受け取らずに消える。
人間としては信用ならないが、仕事についてだけはそうではない。こいつはそういう男だ。
その信用ならない人間は、俺がもう見たくない革袋を改めて掲げた。
「とにかく友よ。お前の気持はよく分かった。しばらくこいつで俺も生きていかれる。何分、恨みを買う事が多くてな。金は大事な武器であり防具なんだ」
唯一の信用できる分野が、その立場に追い込んでいるというのは、言わずもがな。
それだけ言い残すと、奴はひらりと踵を返して土手を登り、幻のように人混みの中に溶け込んでいった。
※ ※ ※
「こうして集まるのも、久しぶりですな」
思えばこの屋敷に呼ばれることそのものが、一年以上無かったことだ。
何事もないように装ってそう言ってみたが、呼び出した張本人=この屋敷の主=レイノース公爵は、その気難しそうな表情を全く変えようとしなかった。
そしてそれは、呼び出されたもう一人も同じだった。
もっとも、こちらは表情を変えたところを見た事が無いのだが。
「わざわざ二人を呼び出したのは他でもない」
「アジ・ダハーカ……」
その表情の変わらない公爵の言葉に、同じく表情の変わらないもう一人=我らが英雄フェロンがぼそりと呟く。
「懐かしい名前ですな」
俺とフェロン、そして今は田舎で聖女ごっこをしているレナータ。
ダレンフォール戦争でギルド側についた冒険者のうち、特に戦果の大きかった三人を呼ぶその名は、古の伝説に登場する三つ首の竜の名だそうだ。
しかし、その同窓会にしては一人足りない。
その理由を、気難し顔の公爵閣下自ら口にした。
「先日、レナータが殺された」
これまた誰も顔を変えない――フェロンも、俺も。
思い当たるのは一つしかない。あの村での一件。
「例の魔物騒動ですか?」
公爵が重々しく頷く。
あれが騒ぎになった時、奴には可能な限り無干渉を貫くように伝えたはずだが。
――あいつの本来の性格を考えれば難しい指示だったのだろう。聖女のふりなど、よくこれまで持ったものだ。
「あれの下手人がレナータの孤児院の子供だったそうだ。例の薬売りから虫を買ったものと思われるが、密偵が暴いた死体からは虫は発見されなかった。大方宿主と運命を共にし、急速に腐敗、分解したのだろう。そうだな?」
公爵が振り向いた先には、彼のお気に入りの密偵であるアメリアが控えていた。
「はい。一部の魔物と同様、例の虫には死後自らの肉体を分解して、死体を遺さないようにする機能があるようです」
そう答える際もいつも通りの、つまり俺が表の顔で知っている彼女のまま。穏やかに微笑みを讃えた、出来る秘書。
もっとも、この表情のまま人の首を掻き切れる女だ。見た目に騙されてはいけない。
「レナータ様はその子供の始末をつけようとしたか、或いは討伐されそうになったその子供を庇うかで戦闘となり、死亡したものと思われます。目撃者も確証もないため、あくまで推測ではありますが」
「恐らく彼女と相打ちになったのだろうと思われるのはバンボルクのギルドに所属している嵐のバムと呼ばれる男だ。何か知っているか?」
公爵の目が俺を見る。
普段はアルメランにいる俺だが、この渡世は長い。向こうの事も情報は入ってくる。
「ええ。まるっきりボンクラという訳じゃないが、レナータに相当焼きが回っているのでもない限り、相討ちにでも討ち取るなんてことが出来るタマじゃありませんな」
「つまり、別の何者か……」
フェロンが独り言のようにぼそりと呟く。
その事こそが重要なのだ、とばかりに身を乗り出して公爵が更に続けた。
「そこだよ諸君、大事な点は」
それを受けたアメリアが補足。
「現在まで例の情報が漏洩したという事は確認できておりません。村に以前から潜伏している密偵の報告でも、誰も気付いていないとのことです」
「だが、何事にも念には念を入れておきたい。とりあえずの措置として、保安部には討伐作戦に参加した全ての冒険者を強制執行リストに載せるように伝えてある。あくまで最下位ではあるが、監視対象にはなる」
保安部の強制執行リスト。これは要するに業界用語だ。
意味するところは即ち、暗殺対象のリスト。
「つまり我々を呼び出したのは……」
「今はまだ監視だけでいい。怪しい動きを見せる者がいないか、目を光らせておけ」
「御意のままに」
そういう所なら得意分野だ。
件のレナータが聖女などと嘯いていたように、俺にも今の顔があるのだから。
――冒険者たちから親父さんなどと慕われる顔が。
※ ※ ※
口止め料を支払った翌日、俺は開門と同時にアルメランを出た。
いつもの装備は背嚢にしまって、着替えや何かと一緒にしてある。傍から見れば冒険者と言うより旅行者だろうか。
だがれっきとした仕事、それも口止め料が必要になった相手との。
どこからか情報が洩れた事を伝え、今後はアルメラン以外で合流することとしたが故の措置だった。
そのまま門の前に屯していた馬車を拾う。
「ボルニーまで」
目指すは東の港町。
今回の仕事は海の向こうだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に