聖女と邪竜14
翌日も気持ちは当然沈んだまま、ただ時間が流れていくのをぼうっと眺めていた。
有難い事に他の討伐パーティの連中はそんな俺のことなど眼中にないようで、めいめいの仕事なり、今後の動きなりについて意見交換をしたり実際に村に出ていくので忙しそうにしている。
黒鶏冠のロッシが来るらしい――どこかで誰かがそんな事を言っているのが聞こえた。
思えばその人物を見たのは随分前の事の様に思える。
「……」
このまま宿に籠っていては発狂しそうで、連中の出て行った大分後に俺も村へ。
果樹園には農作業に精を出す村人の姿が見えて、その傍らを行きかう冒険者たちが動いている。
それら全てに注ぐ太陽は、昨日と同じく燦燦と輝いて地上を照らし、そのすぐ下をのんびりと雲が流れて、地上の影が同じ速度で移動している。
のどかで、平和で、とても俺と同じ世界で起きている出来事とは思えない。
「……」
結局何の解決にもならないまま、ただ悶々とする時間だけが流れた。
やがて、日が暮れる。
閉門を告げる鐘が鳴り響いて、宿に戻っていた俺は、重い尻を何とか持ち上げた。
「ああ、あんたも行くのかい?」
何一つ期待していない――そう書いてある顔で女将がそう尋ねた。
そうだ。今の俺は刀を提げ、護符を腕に巻きつけ、胸嚢には全て戦闘用の薬品や消耗品を詰めている。
ようやくこいつも仕事をする気になったかとでも言いたいのだろう女将の横を通り抜け、適当に近くの水差しを手にすると、中身を顔に浴びる。
「ちょっとあんた――」
「……仕事に行く」
空になった水差しを女将に押し付けて外へ。
そうだ。仕事だ。
俺は仕事をする。
具体的な内容をその言葉に置き換えて、警戒の松明が辺りに揺らめいている宵闇の中へと飛び出していく。
※ ※ ※
思えば、この暮らしも10年続いたのか。
善良でお人好しな優しい聖女様――そんな演技がこんな長い間続けられるとは、自分でも予想外だ。
だが、それも今日で終わり。
子供たちは皆、話をつけた業者=あの女に引き渡して馬車でボナシアの孤児院に向かっている。
クロードを除けば最年長に当たる14歳のケーナという少女に他の子の面倒を任せた。あの子なら、ホームシックになった子もなんとかなだめるぐらいは出来るだろう。
子供たちの反応は様々だった。初めて村の外に出ることを遠足気分で喜ぶ者や、反対に不安がる者。私がついてこない事を恐れる者。
私はあの子たちに嘘を吐いた。用事が済んだら追いかける――と。
嘘はこれで二回目だ。
その一回目は、私が聖女などというものとは真逆の存在だという、その一点だろう。
「さて……」
祭壇の裏から隠していたかつての相棒=ハルバードを引っ張り出す。
最後に血を吸ってから10年。しかしどこにも錆はない。最後に小刀で彫った柄の文字――祝福せよというそれも、しっかりと読める形で残っている。
一人殺すごとに一画、そして遂に熟語を完成させたそれは私の奪った命の数。紛れもない私の生きた証だ。
私は戦士だ。それも狂戦士だ。
初めて人を斬ったのは17歳の時、あの戦場に行く前にした試し斬りだ。
バスティオン派の聖女になったのは大した理由なんて無かった。
ただ紙胴であれば戦場に行きやすかったから。神々の戦士への献身的奉仕であれば、止める者はいないのだから。
私はダレンフォール戦争に赴いた。ギルド側の戦力として――いや、それを理由に戦いたくて、殺し合いたくて。
そうだ。それが私だ。
どうやって身を隠そうが、新しい、本当の聖女のような暮らしが板に着こうが気に入ろうが、その本質までは変わらない。
クロードが人を殺めたと知った時、私の頭の中にあったのは確かな喜びだった。
聖女としての私は悲しんだが、本当の私は喜んでいた。
あの少年が人を殺めてくれて、あの少年があの女から買って能力を手に入れてくれて。
だからその資金のための盗みも見て見ぬふりをした。私が居場所を突き止めるまでの間あの子が殺しを繰り返してくれた事を知った時、私は踊り出さん程に喜んだ。
これで殺せる。あいつを殺せる。殺す敵として扱う事が出来る。
――ねえ、クロード。教えてあげましょう。どうして私があなたのねぐらを探し当てられたか。
私はね、人間狩りをしたことがあるの。
女子供、場合によってはうちにいる子たちぐらいの子供まで狙ってね、お前が粋がって殺した連中よりもひどい目に遭わせて情報を吐かせ、それからそいつらを殺しに行くの。
皆死に物狂いで抵抗して、或いは泣き叫んで、命乞いをして――でも誰も許さなかった。
だって、そのために来たのだから。幸い上官はそれを許してくれたし、奨励してくれた。
私はね、あんたの大先輩なんだよ小僧。
でもあんたほど優しくないんだ。あんたみたいに純粋に、ほのかに恋心を抱いていた――気付いていないと思っていたか?――聖女様や小さな子供達に不当な扱いをする村人に対する義憤に駆られるなんて感情はない。
あんたはそれで始めた。そうだろう?例え今は、気に食わなかった連中をぶち殺すことに快感を覚えているにせよ、だ。
「……ウフッ」
なあ、クロード。
楽しいだろう?闘争は。
楽しいだろう?殺戮は。
宗教狂いのクソッタレどん百姓やガキこさえるしか能のないクソアマどもをくず肉に変えてやった時には、またぐらの一物がおっ勃っただろう?
ただ小うるさいだけの連中を、力づくで黙らせて、どぶ臭い口から命乞いを絞り出してやった時には、多分お前絶頂って奴を知ったんじゃないか?
私が10年間我慢してきたのはそれなんだよ。
お前は思い出させてくれた。私にそれを思い出させてくれた。
この聖女暮らしという気晴らしじゃどうにもならないぐらいに楽しい日々を、お前は思い出させてくれたんだ。
「フフッ……ありがとう。クロード」
戦化粧を施す。
鏡なんか使わずとも、指が感覚を覚えている。
黒と深緑のドーラン。スイカの様に顔に塗っていく。
それを終えた後は女性用僧服の長い裾を切り裂いた。素足を露出させるのなど何年ぶりだろう。
「それじゃあね、神様」
久しぶりのハルバードを数回扱く。
それから、全て片付けてがらんとした室内の、四方に置かれたそれぞれの神像に目配せ。
「シャァッ!!」
西を突く。
貫いたそれを引き抜いて、そのまま石突で東を砕く。
そこから横薙ぎ一閃。斧の部分で北の首を撥ねる。
その勢いを殺さずに振り向き、スパイクを鎌にして南の首を切断。
「……よし」
充分だ。
さあて、やろうぜクソガキ。
「フーアッ!!」
かつてと同じ気勢で転がって来た神像の頭を叩き割り、私は外に出る。
聖女様はもういない。
子供達を送り出した時、この世界から永久に消え去った。
後始末も頼んである――もし高ぶりが治まらなければ、あれとも殺し合うだろう。出来るだけそうなりたいものだ。
楽しい楽しい時間が再開する。
私の人生の、間違いなく最高の日が始まった。
※ ※ ※
ボルホック農園も、その奥の荒れ地も、場所は分かっていた。
村の北東にある、誰もが忘れたような小さな荒れ地。
岩がちで、果樹園にも出来ないからと放置され、今では小さな林に囲まれた不毛の地。
警戒は別の地域を重点的に行っているのか、人の気配のない夕闇の道を、俺は幽霊の様にふらふらと進んでいった。
「……!!」
突然、俺は久しぶりに目を覚ました気がした。
聞き間違いではない。確かに人の声と音がした。
「ちぃっ!」
そしてその方向が俺の目的地から聞こえてくると分かった時、俺は咄嗟に走り出していた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に