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聖女と邪竜13

 その意志がどれほど固いのかは、その眼がしっかりと物語っていた。

 彼女はやる気だ。恐らく俺がその依頼を吞まずとも、ただ一人でやるつもりだ。自ら決着をつけるつもりだ。

 家族とまで呼んだその少年を自分の手で殺すつもりだ。


 「それで……、俺にその後始末を……」

 「あの子を討った後、私はきっと今の私ではいられないでしょう。恐らく昔の自分に、戦場で命のやり取りをしていた時代に戻ってしまう。そうなった時、多分私は自分で自分を止めることは出来なくなります」

 だから、俺に始末をつけてほしいという事。

 「……私自身、暴力の快楽に飲まれるでしょう。あの子がそうなったように。全ての問題を一手で解決するその喜びに」

 「だから俺に……」

 「あなたの腕は存じております。貴方ならばきっと、やり遂げてくれると」

 レナータさんと俺の出会いは、俺がまだ前のパーティにいた頃に、正確に言えば俺がそこのリーダーに就任した辺りに遡る。

 魔物の出現する荒野の中を、彼女らの乗る馬車を護衛するために同行した。

 実際に魔物にも遭遇したが、その時の肝の座り方や判断の速さなどは、成程言われてみれば納得するものだった。


 そして恐らく実際の腕もかなりのものだろう。あれ程の被害を出し、惨殺死体を量産している怪物を相手にして、もし己が仕留め損ねたら、ではなく仕留めた後の自分の後始末を依頼してくるのだ。そもそも件の少年にケリをつけるのは当然の前提という事だ。

 そしてその歴戦の戦士は、一度俺に背を向けると質素な祭壇に向かい、その裏に手を回して何かを探し始めた。


 「勿論、謝礼はご用意いたします」

 そう言って取り出したそれは、ジェルメの取引に使われるような革袋。

 その膨らみ方は、実際に手に取らずともずしりと重みが――こういう状況でなければ――喜びを伴って伝わってくるぐらいの内容量であるということを物語っている。

 「小銭の寄せ集めですが……ここに4アウルあります」

 「よっ……!?」

 「私に用意できるのはこれで限界です。……どうか、引き受けて戴けませんでしょうか」

 都合のいい話。

 金に困り、まとまった報酬を手に入れようとやって来た村で仕事にあぶれ、そこに転がり込んできた大金の転がり込んでくるチャンス。

 勿論簡単な話ではない。歴戦の戦士を――戦闘直後の消耗している状況を狙えるとはいえ――相手にとって戦うというのは大きなリスクだ。


 だが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 魔物の討伐を引き受けた――その上、最も高い報酬=実際に首を取るという事を考えていた時点である程度のリスクは引き受けるつもりでいたのだ。

 渡りに船、地獄に仏。

 首を縦に振るのに必要なのは、ただ自分の感情さえ抑え込むだけ。


 「しかし……」

 どこの誰かも知らぬ魔物を討つのと、恨みも何もない顔見知りを手にかけるのと、同じテンションで出来る程狂ってはいない。

 「……子供たちは?引っ越しは?」

 その言葉足らずな問いかけが、ただの時間稼ぎに過ぎないという事は、自分自身でも滑稽なほどに分かりやすかった。

 そして、当たり前と言えば当たり前だが、それ位の事は既に彼女とて想定していた。

 「引っ越しの予定が繰り上がったと伝えます。既に移送してくれる方を手配して、受け入れ先の孤児院にも話はつけてあります」


 後は俺の決断一つ。

 「どうか、お力を貸してください」

 差し出される4アウル=喉から手が出るほど欲しかった金。

 差し出している張本人=何の罪もない、殺さなければならない相手。


 「……ッ」

 心臓が妙に大きな音を立てて動いた。

 呼吸の仕方を忘れたかのように息苦しい。

 俺は人を殺す。

 いや、それならこれまでもやって来た。俺の手はとっくの昔に汚れている。

 だが、それは今とは異なる。こちらを殺しに来た山賊や憎悪の対象だった犯罪者で、或いは心のどこかで死んでもいいと思っていた相手だ。


 「他に頼れる人はもういないのです。貴方のお力を信じて、どうかお願いします」

 断るなら今しかない。

 差し出されたそれを受け取ってしまえば、もう後には退けない。

 だが同時に、その金がなければ今度は俺がにっちもさっちもいかなくなる。


 理性は金が必要だと分かっている。

 感情はそれを否定している。

 やりたくないという事以外に始めない理由がないならやれ――いつかその言葉を発した人間は、きっとこんな事態想定していなかっただろう。

 金は必要。この依頼を引き受ければ手に入る。しかしそれを己の中のあらゆるものが拒絶する。


 「……」

 もう一度レナータさんと目を合わせる。

 夕日は既に完全に沈み、刻一刻と闇が濃くなってくる=彼女の最期の時までの残り時間が少なくなってくる。

 「……」

 彼女は目を離さない。

 俺も目を離すことができない。

 心臓は更に早鐘を打つ。

 呼吸は更に苦しくなる。




 「……」

 夜の闇の中を、俺は宿へと歩いていた。

 魂の重さが21グラムというのは、多分嘘だ。今胸嚢の中で感じているそれは、明らかにそれより遥かに重い。

 遠くで鳴り響くエルシオン派の夜の礼拝を告げる鐘。

 「明日、寺院の夜の礼拝の鐘が鳴る頃、ボルホック農園の奥にある荒れ地にいらしてください」

 別れ際、彼女はそう言った。


 明日の夜の今頃、俺は彼女を殺す。


 「……」

 そっと胸嚢の上からその代償を撫でる。

 キリストを売ったユダも、その対価として得た30枚の銀貨をこうしたのだろうか、などと気晴らしにもならない気晴らしに思いを巡らせながら。

 だが、今更返すことはできない。

 今になってやっぱりできませんは通らない。


 なら逃げてしまおうか?いや、それも通らない。

 それはきっと、彼女を不必要に痛めつけるだけだろう。

 俺を信じて金を渡し、俺が自分を討つと信じて明日少年の始末をつけに行くのだ。

 その時になって俺が現れなければ、俺は多分ただ単に彼女を殺すよりも後悔することになるだろう。


 結局、やるしかない。


 「あら、どこに行っていたんだい」

 宿に戻り、最早軽蔑の色を隠そうとしない女将にそう問われても、昼間の様に適当な嘘を並べる気力もなかった。

 他の討伐パーティの連中が戻って来ていて、次の凶行が行われる可能性の高いフィドゥの夜である明日に備える者や、夜の巡回に出る者がそれぞれの仕事をしていて、その合間に俺に胡乱な目を向ける時もまた、何も繕う気が起きなかった。

 ただ一つ、怒鳴りつけてやりたかった。

 お前らボンクラ共に、俺の仕事が分かるものか、と。

 間抜け面を並べてお前らが夜の散歩をしている時に、俺がしなければならないことを想像してみろ、と。


 理不尽だと言うのは百も承知だ。

 だが、そうやって他人を見ていては、自分が何を言い出すか分からなくて、黙っているべき事柄を全て吐き出してしまいそうで、俺はすぐに自分の寝床に潜り込んで眠ろうと努めた。


(つづく)

投稿遅くなりまして申し訳ございません

今日はここまで

続きは明日に

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