聖女と邪竜12
一瞬、心臓が大きく動いた。
これと言って深い仲にある訳ではないが、顔見知りが殺人に加担したかもしれないというだけで、随分と動揺するものだ。
落ち着け。続きを聞け。
「それで……、その普通の少年がどうやってあんな惨殺死体を?」
「クロードはある日突然『自分には新たな能力が手に入った。もう誰かにへつらって生きる必要はない』と言って飛び出していったのです。『もう誰も嫌な思いをする必要はないんだ』と。……それが、一件目の事件の起きる前日の事です」
もしその話が本当なら、十中八九その少年は出会ったのだ。
どういうルートでかは分からない、どうやって金を工面したのかも分からない、だがまず間違いなく、あの女に同業者がいなければ。
そしてその考えが間違いではないという事を示すように、レナータさんの問いが、冷たいものが背中に走った俺に向けられた。
「ユートさん、冒険者なのでしょう?後天的に能力を授けることができる虫を売っている人物がいる、というのはご存じありませんか?」
一瞬答えに詰まった。
脳が、言語化の難しい問いを連続して立ち上げ、それらを即座に自己解決していく。
問題解決のためにフル回転していると、自分自身で分かるようなその現象は、一瞬のうちに処理を終えて、反射の様に答えを発させる。
「……いえ。存じません。一体どういう話です?」
ここで知っているなどと言えば、話がややこしくなってくる。
私が何度か仕事で付き合った薬売りを名乗る女です。さっきここに来る途中で会いました、などとは、間違いなく言わない方が得策だろう。
幸い、レナータさんはその話を信じてくれた。
「どうもそういう者がいるようなのです。そして、恐らくクロードはどうやってか、その人物を知り、接触して虫を買ったのでしょう」
「 虫を買った、とはいえ、そんな簡単に買えるものなのですか?」
ジェルメの虫の値段を考えれば、孤児院の子供がおいそれと手が出せるような代物とは思えない。
尋ねながら、頭の中にはある仮説が浮かび上がっている。
先程寺院の前で騒いでいた村人たちの言葉――事件の起きる数か月前には村でものが無くなっていた。
そしてジェルメは、足がつかなければ金の入手法は問わなかった。それこそ、山賊が略奪品を売り捌いて作った金であったとしても。
「恐らく、あの子は村で盗みを働いたのでしょう。器用な子でしたから、鍵を開けたり、忍び込んだりすることも覚えたのでしょう……。でしょう、でしょう。私は、何も見ていなかったのですね……」
途中から自嘲気味な、或いはふさぎ込むような調子に代わり、そしてそれを何とかフォローしようとする前に、彼女はもう一度俺を正面から見据えた。
「明日はフィドゥの夜です。きっとあの子は次の獲物を狙っています」
「彼の潜伏先は分からないのですか?」
「……心当たりはあります。ですが、日中はそこを離れていて、いくつか事を起こす直前に戻ってきているようです。以前別のねぐらを利用していた時に、そこを訪れた事がありますが、結局本人は現れませんでした。それにどこかで見ていたのか、私が場所を突き止めたことを知ると二度とそこには近寄りませんでした」
どうやらかなり抜け目のない相手のようだ。
なら、次の方法だ。何とかして、俺が彼女を殺さないで済む方法。
「では、考えられる次のねぐらを討伐パーティでも村の衛兵でも自警団にでも伝えて、一斉に包囲するべきでは。あなたのお気持ちはわかります。ですが、それであなたが死ぬ必要などない」
そして、俺以外も彼女を殺さないで済む方法。
だが、返って来たのは首を横に振る動きだった。
「先程のいざこざで、お気づきだとは思いますが……」
レナータさんは静かな口調で語り始めた。
諭すように、問いかけるように。
「村の人々は私たちを部外者と、そして今では明確に敵だと認識しています。彼らがその敵の身柄を押さえたらどうなるでしょう?以前からよそ者として扱っていた者が自分たちに危害を加え、何人も殺して、それを捕らえて生殺与奪を握ったとしたら?……きっと彼らは巡回衛兵の到着など待たないでしょう」
こうした田舎では所謂刑事犯は巡回衛兵=街道沿いに各地を巡っている移動裁判所とも言える機関が村や近隣にやって来た時に突き出すのが通例だが、逆に言えばそれらが来る前なら“犯罪者などいなかった”事にもできるのだ――色々な意味で。
「……私たちは家族です。あの子がどう思っていようと、少なくとも私にとってここの子供たちは皆、私の大切な家族です」
彼女ははっきりとそう言った。
例えどんな罪を犯しても、そう付け足して。
「たとえ道を踏み外していたとして、家族が惨い殺され方をされる恐れのある方法はとりたくないのです」
少し黙って、それから彼女は更に続けた。
「それに、恐らく彼は大人しく縄につく気もないでしょう」
その言葉の調子が、それまでと少しだけ異なるような気がしたのは俺の気のせいだったのだろうか。
どこかそれを信じているような――或いはどこかで望んでいるような。
それを確かめるまでもなく、一拍置いた彼女の声は元の静かなものに戻っていた。
「以前あの子のねぐらを訪れた時です。村はずれの小さな洞窟にどこかで手に入れたベッドロールを敷いただけの簡素なものでしたが、その洞窟の壁に『フィドゥの竜』が描かれていました」
その竜の名は、この世界の者ではない俺でさえ聞いたことのあるものだった。
主神を騙った悪魔フィドゥは怒った主神が差し向けた雷神バラークェに捕らえられて散々に打ち据えられるが、一瞬の隙をついて巨大な邪竜に変身すると、そのまま飛び去って逃げてしまったという。
クロード少年はフィドゥの夜にだけ凶行を繰り返す。
そしてこれまでの四件とも襲撃を成功させ、未だに村人には尻尾を掴ませていない。
「自分はフィドゥの竜だと?」
「恐らく、当てはめているのだと思います。自分は決して捕らえられないフィドゥなのだ。神々の目を欺いて暗躍し続けるのだ、と」
あり得ない話ではなかった。
奴はこれまでの四件で、間違いなく殺しに、それも痛めつけ恐れさせてからの殺しに慣れてきている。
そしてその事に愉悦を覚えている。自分を神話の怪物と同一視するというのは、恐らくそういう事だろう。
自分は捕らえられぬ。神々すらも出し抜く巨大な竜となってフィドゥの夜を闊歩する。そして報復するのだ。自分たちを蔑み迫害した村人に。
「あの子は力に酔いしれています。当初は目的があったのでしょうが、今はただ、自分の振るう暴力の快楽に飲み込まれている」
レナータさんは続ける。
「だから、私が止めます。あの子の家族として」
(つづく)
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