聖女と邪竜10
「こんなところで何を……?」
言いかけたところで、彼女が辺りを見回した。
「今回は薬売り。ここも何度か来ているからね。ただ……どうもきな臭いから今回はもう引き上げようかって」
距離を近づけてから、内緒話の様にボリュームを下げてそう答えるジェルメ。
「そっちはそのきな臭い仕事でしょう?」
どうやら分かっていたようだ。
まあ、村中に見慣れない冒険者共がうろついていれば、事情を知らなくともきな臭いと思うものだろう。
「そのつもりだったんだが……色々あってな。帰ろうかと思っている」
レナータさんに対するのと同じ答え返す――俺も声を落として辺りを警戒しながら。
そもそも何故この村に来ることになったのかは忘れていない。
「ふぅん……」
ジェルメが次の言葉を発したのは、何か考えるように一拍置いてからだった。
「まあ、用がなくなったならすぐに離れる方がいいだろうね。聞いた話じゃ、村で雇った討伐パーティの他に、一部の連中が自警団を結成して、そいつらが別口で冒険者を雇い入れたらしい。仕事でないなら、首を突っ込まない方がいいだろうね」
それは初耳だった。
そして、それが事実なら彼女の言う通り、厄介ごとに巻き込まれる前に脱出した方が賢明だ。
村で雇い入れたカーライルらのパーティの他に、村人の一部が結成した自警団に冒険者が雇われている。これはつまり、村の――恐らくはあの村長が関わった――決定に従わない連中がいて、そいつらが勝手に冒険者=武力を手にしたという事。
突然現れた脅威に対し、共同体の下した決定にその一部が従わず独自の判断で武装する――こう言えば、その危うさが分かりやすくなる。疑心暗鬼が蔓延る中でのその判断は、最悪内乱に繋がりかねない。
「だとすれば……俺も引き上げた方がいいか」
「まあ、私はそれをお勧めするね。口が堅くて腕の立つ護衛は貴重だ」
「そりゃどうも」
やり取りはそこで終わり、俺たちは別れた。
そう言えば今日はシラを連れていなかった、と思って振り向くと、近くの林から――正確にはその木々を飛び移りながら、ジェルメの側に着地した瞬間だった。
それからすぐ、件の孤児院が見えてきた。
説明通り、渓谷に続く一本道の終わりの辺りで看板が現れ、その奥にある古い建物の片隅に立つ小さな煙突から、ゆらゆらと一条の白い煙が上がっている。
村の外れ、その敷地からはそう遠くなく、ハイダ渓谷に通じる、今は落盤で塞がれてしまった道を望むことができる。
小さな通用門――というか生垣の切れ目のようなところから敷地内へ。
「お待ちしておりました」
ちょうど中から出てきたレナータさんと目が合って、そう迎え入れられた。
どうやらその後ろに院の子供たちがいるのだろう、すぐに振り向く。
「さ、晩御飯までお勉強ですよ。皆部屋に戻って」
その背後、俺の場所からは陰になっている所からは子供たちの声と思われるざわめきが聞こえてくる。
レナータさんはその声を封じるように扉を閉めると、敷地の端にある小さな建物へ俺を連れて行く。
「どうぞこちらへ」
そこが応接間という訳ではないという事は一目でわかった。
小さく、母屋よりも古いが、間違いなくそこは聖堂派の礼拝所だ。
「……ここなら子供達も来ませんから」
「成程」
彼女に続いて俺も中へ。
祭壇一式が奥に鎮座していて、恐らく彼女と子供達だけしか使っていないのだろうそこは、外から見ている通りの狭い建物だ。
更に、その建物の隅に積み上げられた、荷造りされた諸々が余計に狭さに拍車をかけている。
「実は近日中に引っ越す予定です」
俺がそれに気づいたことを察して、彼女は一言そう言った。
「引っ越し?」
「ええ。実はボナシアの孤児院に」
ボナシアというのはこの村の近くにある小さな宿場町で、ルーラニア湖の南西の岸にある。
南岸沿いに進む街道と、この村を通る街道とが、もう一度合流する場所にある町で、バンボルクに比べれば小さい町だが、それでもこの村よりはだいぶ発展している。
そしてその話を枕にするように、彼女はさっと俺の後ろに回って扉を閉ざした。
子供たちに聞かれてはまずいというのは何となくわかる。
冒険者の話。それもこのきな臭い状況でとなれば、聞かせたくないというのはおかしなことではないだろう。
「それで、仕事のお話と言うのは」
水を向けてみると、彼女はしかし黙っていた。
聞こえなかった訳でも、言いたくない訳でもない。
ただ、自分の中に整理をつけなければならないのだと、小さな窓から差し込む西日に照らされた彼女の表情が雄弁に物語っていた。
故に、俺も黙る。
依頼人が話しやすいように、その時を待ち続ける。
「……実は」
そこまでかかった時間がどれぐらいだったのかは、もう分からない。
だが、語り始めてからの彼女には一切躊躇が無くなっていた。
「今回の魔物騒動の事です」
まあ、そうだろう。
先程のジェルメの言葉が頭をよぎる――自警団を結成した一部の連中が村と別口で冒険者を雇っている。
もしその手なら、俺も厄介ごとに巻き込まれるかもしれない。
だが、まあ聞いてみない事には分からない。
「と言うと?」
「その前に、確認しておきたいのですが……。ユートさん、村の討伐パーティには関わっていないというのは本当ですか?」
厳密に言えば違うのだろう。
あの宿を利用してはいるのだし、少なくとも形の上ではまだ雇われた冒険者に当たる。
「まあ……厳密に言えばまだ雇われに近いのでしょうが……。ただ、実際の活動には関わっていません。それに、何もなければ明日の朝すぐにでもここを発つつもりでしたので」
だからそれを伝えておく。
レナータさんには、それで十分基準を満たしたようだった。
「なら、お話します」
それから再度一拍。
「単刀直入に申し上げます。私は……今回の件の犯人を知っています」
(つづく)
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