聖女と邪竜7
体当たりするように扉を開けて外へ。
騒ぎは正面の方から聞こえてくる。
「お前……が……!……!!」
「……あの……!!決まって……!」
複数人が責め立てている声がするが、何言っているのかはここからではよく聞こえない。
「ちぃっ」
駆け出す。
事情はよく分からないが、まず間違いなくこの揉め方はまずい。
最悪の場合に備えて鯉口を切っておく。住民同士のいがみ合いはいたずらに被害が拡大するだけでなく、捜査を混乱させて却って解決を遠ざける。
どうしようもない場合は、武力介入するしかあるまい。
その覚悟を決めて飛び出した寺院の正面では、予想通り複数の村人が一人を取り囲んでいるのが見えた。
「いいか!?俺は前からお前のところが怪しいと思っていた!」
「あんたが来る前にはここには事件なんて無かったんだ。私たちは皆分かっているんだからね」
男も女も口々に取り囲んだ円の中心にいる相手に怒鳴りつけている。
「おい、おい……」
声を発して、しかしとてもではないが興奮状態の彼らに聞こえないような大きさに萎んでいく。
「さっさと出ていけ!!この悪魔め!」
「あの子供達に何を仕込んでいるんだ?性悪女」
「どうせあれらが戦災孤児だなんて嘘っぱちだろ?お前とそのお仲間が誑かした馬鹿な男の子供に決まっているさ!!」
「そんな……子供たちは無関係です!」
「ならあんたがやったって言うのかい?インチキ聖女なら魔物も呼べるのかもしれないね」
インチキ聖女。確かに取り囲んでいる連中の一人はそう言った。
インチキかどうかはともかく、連中が囲んでいるのが聖女=この世界における女性聖職者であることは間違いないようだ。
――そしてその中から聞こえてくる途切れ途切れの抗議の声は、俺の知る唯一の聖女のそれに間違いはなかった。
そしてそれが錯覚ではないことを証明するように、声に改めて上げた目が捉えたその聖女の顔は、その唯一の人物のそれだった。
「レナータさん……」
漏らした名前が間違いでなかったのは、その直後に彼女が俺に気づいた時に示された。
「ユートさん!?」
聖女レナータ。
以前のパーティでの活動中に知り合った、バスティオン派の聖女。
女性としては背の高い彼女は、取り囲んでいる男たちと並んでも引けを取らないし、それどころか男でも小柄な者は見上げるような形になっている。
だが、俺を見つけた時の表情は、そうした体格の優位など一切感じないような、困り果てた表情だった。
「なんだあんた。この女の知り合いか?」
取り囲んでいたうちの一人が敵意を露にした目を俺に向け、俺の左手が腰間のものに触れているのを見てその敵意を慌てて隠した。
そしてそれが一瞬のうちに周囲に伝染する。
よそ者が、しかし武器を持った厄介なよそ者が首を突っ込んできた――その戸惑いと鬱陶しさと警戒とが辺り一帯に満ちていた。
「昔ちょっと仕事で知り合っただけですが……彼女が何か」
「いや……別に……」
「外の人間は関係ないし……」
とりあえず抑止力が効いているのだろう。口ごもって誤魔化そうとしている。
少なくとも直ちに暴発する危険はなくなったと判断し、刀からは手を放しておく。
そう判断し行動に移した瞬間、集団の中からヒステリーっぽい女の声がした。
「ふん、じゃああんたもろくでなしの傭兵かなんかだろう?」
「傭兵?」
聞き返すと、周りの連中が抗議するように発言者の方を見た――余計なことを言うなという意思の具現化のような視線だ。
だが女はそんな視線などものともせずに、生まれてこの方物怖じなどしたことがないというような口調でまくし立てる。
「この女がバスティオン派だってことは皆知っているのさ。あんただってこの紙胴女に世話になった口だろう?」
それに応じたのは俺ではなく聖女の方だった。
「その人はそちらとは無関係です!撤回なさって!!」
「ふん!何が撤回なさってだ!あんたが紙胴だってのは事実じゃないか!それならその知り合いもロクデナシに決まっているさ」
紙胴というのは、バスティオン派の女性に対する最大の侮辱かもしれない。そして――恐らく多くの信者にとって――触れられたくない過去だろう。
紙胴。または紙胴女。これを現代の言葉で一番わかりやすいものに言い換えると従軍慰安婦だ。
この王国やその周辺地域、というより大陸全土に広く信仰されている宗教には複数の宗派が存在する。聖堂派と呼ばれる最大派閥の他にエルシオン派、ラミー派などといった宗派が主要宗派として知られているが、バスティオン派はその中の一つであり、他の派閥から明確に蔑視される宗派だった。
戦争宗教。バスティオン派を一言で表せばそれだ。
信徒の戦争は聖戦である。殺戮は不信心者への裁きを代行したに過ぎない。略奪は信者を救うための善行であり強姦も神々はお許しになられる――こうした、戦場でのありとあらゆる蛮行を神の名の下に許す。それがバスティオン派の大まかな教義だ。
もっとも、戦闘による殺傷の恐怖を取り除くことも目的としていたため、戦士にとって必要な存在でもあったのだろうが、それよりマイナスイメージの方が遥かに強い。
そして紙胴とは、そうした戦場に送り込まれる慰安婦――正確に言えばバスティオン派の聖女でその任を負っている者の事だ。
流石に聖職者が娼婦まがいの真似をすることは後方では大っぴらにできず、紙で出来た偽物の胴鎧を着せて戦士に偽装して前線に送ったためにそう呼ばれる。
聖女レナータ。彼女もまた10年前の戦争の紙胴であった――他のバスティオン派の聖女の多くがそうであったように。
「確かに俺と彼女は知り合いで、俺は傭兵ではないがロクデナシではある……」
再び鯉口を切る。その上で一歩進み出る。
「だが俺と彼女はそういう関係ではない。彼女に失礼だろう」
人混みが怯んだのが明確に分かった。
そしてそれによって脆くなった人間の鎖のその向こう側に発言した中年女が見える。
左手が得物に伸びている俺を見て、生まれて初めて物怖じしたようだった。
(つづく)
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続きは明日に