新世界へ5
「アハハハ……ごめん、ごめん。あなた、多分あの連中なんて初めて見たんでしょ?」
「え、あ……はい……」
自分の笑いを打ち切るようにコホンと小さく咳払いして、それから彼女は言葉を続ける。
「あなたみたいにいきなり飛ばされてくる人、初めてじゃないわ。大丈夫。最初はみんなそうよ」
今更ながら頭が追い付かない。
なんで俺は突然こんな所に飛ばされたんだ?
ここはどこで、あの化け物たちは何で、彼女は何者で、そして俺の身に何が起きたんだ?
処理すべき事が多すぎてフリーズしているのは、彼女にも伝わったのだろう。或いは本人の言うように同じように飛ばされた人間が同じようなリアクションをしているのを見てきたのだろうか。
「ま、その辺の事は後で詳しく説明するとして、まずは町まで案内するわ。立てる?」
「え、あ、はい……」
答えながら何とか立ち上がる。
腰が抜けていたが何とか経って歩ける位には回復した。
「そうだ。自己紹介がまだだったわね。シモーヌよ。よろしくね」
そう言って彼女は先程ついたのだろう俺の血を小さなハンカチで拭って、その細くて綺麗な手を差し出した。
「あ、えっと……」
腕と同時に俺自身も何らかの魔法にかかったのだろうか、彼女と鏡写しのように手を差し出す。
「……一之瀬勇人です」
口もまた同様に。
「うん。よろしくね」
暖かくて柔らかな手。
改めて彼女を見る。
歳の頃は俺と同じか一つ二つ上ぐらいだろうか。陽の光を受けて銀色に光る白い髪。にっこりと笑った涼やかな顔立ちは、例えそれが仏頂面でもすれ違えば振り返るほどの美人だ。
裾の短い浴衣のような衣服の上に纏ったチェストリグのような装備と、すらりと伸びた足に履いているブーツは、彼女の中で数少ない白くないベージュだった。
もし何も知らなければファッションモデルかと思うような体つきだが、彼女の職業がそれでない事は、先程の魔法と、腰に帯びた西洋の剣のような柄をした日本刀のような刃物でなんとなく分かる。
「ん?どうかした?」
「あっ、いや」
思わずうわずった声を上げ、自分が彼女に見とれていたことに気付く。
吊り橋効果という言葉がふっと頭の中に浮かび、すぐに消えていった。
「ところで、あなた一人?他に仲間は?」
一瞬答えに詰まる。
どうするべきか、だが慎重に考えるのには余りにも時間が足りなかったし、なにより精神的余裕というものが全く存在しない。
「向こうに一人……さっきまでは」
自分の降りてきた坂を指さして伝える。
嘘ではない。そして正確でもない答え。
さっきまで生きていた宮野さん。
見捨ててきた被疑者。
「そう……、残念だったわね」
そう言った彼女の表情は、本当に心の底からそう思っているように悲しげだった。
それから慰められ、その事に罪悪感を覚えながら彼女について歩く事数十分。
「お仲間の事は弔ってあげたいけど……見ての通り危険な場所だから、今連れ帰るのは難しいわ」
「あ、ああ。……大丈夫。わかっています」
多分気付いていない。俺が感じている申し訳なさが、彼女を騙しているという罪悪感によるものだという事は。
岩だらけだったあそこを抜け、牧歌的な風景が広がる草原の中の道を進んでいくと、不意に彼女が足を止めた。
「ほら、あそこがアルメランの町よ」
彼女の指さす先=小高い丘になったこの道の下に広がる、煉瓦造りの建物が並ぶ町。
まるで異国のそれに向かって彼女は再び歩き出し、俺はそれに慌ててついていく。
それが、俺がこの世界に来て最初の日の出来事だった。
町についてからシモーヌさんは俺にどうやってこの世界に飛ばされたのかを尋ね、俺が青白い光に包まれたと言うと、彼女はその日のうちに――古着屋によってから――俺を連れて町の中央にある、大きくて人の出入りの激しい建物へと足を運んだ。
「ユート。気の毒だけど、あなたが元いた世界に戻る方法は分からない」
建物の前で彼女は俺を正面から見つめ、ゆっくりと、子供に説明するようにそう言った。
「そう、ですか……」
だが対する俺の口から出てきたのはその言葉だけ。
我ながら張り合いがないと言うか、他人事過ぎると言うかだが、こんな事態に陥ればそうもなる。
だが不思議と、帰れない事への驚きは少なかった。
いや、驚きよりも納得感の方が強かったというべきか。
突然こっちに飛ばされた以上そう自由に行き来できるものではないと、どこかで納得していた。
――それに、最早帰る気もしなかった。
もし仮に次の瞬間元の世界に戻ったとして、俺にはもう何も残っていない。
警官であることを捨てて、恐らく人間としても許されない決断を下してきた。
今更元の暮らしに戻れるなんて、こんな世界に飛ばされるのと同じかそれ以上の夢物語だろう。
「驚かないのね」
反対に彼女の方が少し驚いた様子でそう言う。
何となく感じたその理由を――戻る気もない云々を抜きにして――答えると、彼女もどこかで納得しているようだった。それなら次の段階を説明しても大丈夫ね、呟いて続ける。
「多分こちらに飛ばされてきた時、強い光を見たと思うけど」
「ええ。はい」
「こちらの世界に来る人は大体その光に飲まれてやって来るわ。そしてそういう人間は大体の場合、私がさっきやったように不思議な能力を持つの。それを使ってさっきみたいな魔物を討伐したり、未開の地を開拓したり……っていうのなら格好いいんだけど、実際はなんでも屋さんって所な仕事をするのが一般的」
私はこの世界の生まれだけどね、と一言付け足してから、目の前の建物の観音開き式の扉を指し示した。
しっかりした木製のそれの上には、分厚い木の板の看板が掲げられ、アルメラン冒険者ギルドの文字が刻まれていた――そう言えば違う世界の人間のはずだが、シモーヌさんの言葉も書かれている文字も読むことができる。これもあの光の効果なのだろうか。
「冒険者?」
「そう。まあ、実際に見てもらった方が早いわね」
そう言って中に入っていく彼女に連れられて中に入った俺の視界には、子供の頃に遊んだRPGのような世界が――これまでもそうだったが――広がっていた。
ただっ広いロビーに様々な出で立ちの老若男女が集まっている所はなんとなく大きな病院の待合室を彷彿とさせるが、病院と違うのはどこもここも活気とざわめきに満ちていて、ファミレスのように机を囲んでいる集団も多数あるという所だろうか。
その奥には大きなカウンターがあり、その向こうで揃いの制服姿がいくつも動いている。
(つづく)