連鎖15
逃げたとはいえ、ただ待ち伏せしている可能性は十分にあるし、そうでなくても情報を持ち帰られたと見るべきだろう。
そこに向かって進むのはなんとも気乗りしない話ではあるが、だからと言ってこのまま引き返す訳にもいかない。
「……」
ダガーを構えなおして慎重に進む。
左右には同じような掘っ立て小屋やそれよりいくらかマシな位のバラックが立ち並び、人が隠れるスペースも、飛び出してくる隙間もそれこそ無限にある。そしてその場所の発見と選定は、ホームであるここの連中に圧倒的アドバンテージがある。
「……ッ!」
対するこちらにあるのは、前職での経験=特別警ら隊で散々しごかれた近接戦闘術だ。
そしてそれは、今のところしっかりとその効力を発揮していた。
「おおおっ!!!」
バラックの隙間から飛び出して来た男。
身長位の棒の先端に包丁を縛り付けた即席の槍を、肩に担ぐように構えて一直線に突っ込んでくる。
と、同時に正面の道に飛び出して来たもう一人=やはり先程逃げた男が、バールを振り上げて戻って来た。
一瞬、その二人を視界に収める。
そして選択:より近い槍の方を先に捌く。
「ッ!!」
奴の方に向き直り、奴の考える十分なリーチに入る直前にこちらから踏み込んで、ボクシングのダッキングのように槍の下に潜り込む。
「がっ!?」
同時に目標を失い虚空を突いた相手の腰にタックル。
重心の定まっていない奴の体が浮かび上がったのを手応えで察し、すぐさま背中から叩き落す。
槍が手から離れ、飛び出して来た方に吹き飛んだのを確認するのと奴の股間にストンピングをかますのを同時に行い、その追撃の直後には突っ込んでくるバールの方に向かい合う。
「ああああっっ!!!」
叫びながら、袈裟懸けに振り下ろされるバール。
その一撃を左手を添えたダガーで受け止める。
鍔元から火花が散り、衝撃を左下へ受け流しつつ奴の懐に飛び込む。
「あっ――」
奴が声を上げ、渾身の一撃が凌がれた事を理解した脳みそが再度腕を持ち上げようとする前に、その腕を抑えて腹にダガーを突き入れた。
「ッ!!?」
奴の体が僅かに浮き上がる。
反射的に逃れようとして、しかしそれには遅すぎるが故の動き。
「ぁ……」
そのまま止まらずに腹から抜いたダガーを、今度は逆手に持ち替えて首へ。
最期の言葉と呼ぶには余りにも一瞬のその妙な音が、奴の断末魔だった。
「さて……」
血の噴水と化したそいつから抜き取ったダガーから血を拭い、股間を押さえて悶絶しているもう片方に振り返る。
まだ自分の相方――かどうかは知らないが――に何が起きたか、そしてこれから自分に何が起きるのかを理解していないそいつを無理矢理掴んで引きずり起こすと、二人分の血を吸ったダガーに表皮を滑らせる。
「答えろ」
声を出せるかどうかは怪しいが、少なくとも自分の置かれている状況は理解したのだと、痛みにしかめながら不安げに動く目が物語っている。
「撃ち落とした女はどこにいる。どこに落ちた」
こいつが知っていればめっけもの。未知の危険が潜んでいる未知の世界を探し回らなくてよくなる。
「吐いちまえよ。最後ぐらい善行を積みたいだろう?」
こいつは本当にやる。自分の命などなんとも思っていない――奴がそう思ってくれれば幸い。血のついた刃がそのアシストをしてくれればそれも幸いだ。
「ッ!!」
だが、聞いておきながら俺はすぐにそいつを突き放した。
もし僅かに聞こえた足音と、曇り空の下でも一瞬だけ見えた僅かな影の動きがなければ、そのまま尋問を続行していただろう――そして、飛び降りてきた相手のマチェーテで頭を割られていた。
「しゃあああっ!!」
バラックの屋根から飛び降りてきたのは、日本で言えばまだ中学生ぐらいの少年だった。
「チッ」
飛び下がりながらダガーを構えなおそうとするが、その少年は猫のような俊敏さで更に飛び掛かってくる。
地面から弾き出されたように突進し、掘っ立て小屋の前に置かれた――というか転がっている――古い椅子と箪笥に駆けあがり、俺めがけて飛び降りる。
当然、その手にあるマチェーテは一度逃した獲物へのリベンジの一撃となっている。
だが殺されてやるつもりは無い。
武器を持って近づいてくるのなら、その時点で老若男女はあらゆる判断基準から除外される。
残される基準はただ一つ。敵か味方か。
「クソがッ!!」
そして状況から求められる答えは一つしかなかった。
左逆手に持ち替えたダガーで、袈裟懸けに振り下ろされたそれを受け止めると、互いの刃が触れあっている間に右手で奴の右手=ダガーを振り下ろした直後の年齢相応の細さのそれを捻り上げてマチェーテを奪う。
「ッ!!」
そしてその動作のまま、持ち主の腹に深々とそれを返してやった。
「……ッ!!!!」
奴の驚いたような顔が俺を見る。
思わず舌打ち。
こいつは敵だ。そんなこと分かっている。
どういう事情があったのか知らないが、刃物を持って俺を殺しに来た。
だがそれでも、中学生ぐらいの子供だ。
「クソが……」
もう一度吐き捨てたその言葉は、この居心地の最悪な路地に対して、そしてこの町、大袈裟に言えばこの世界に対してのものだった。
俺に殺させやがって。
こんなものを、恐らくは金のために人を襲い、返り討ちにあって腹に刺されたマチェーテの刃の上に指を滑らせている姿を見させやがって。
仰向けに倒れてすぐにそいつが動かなくなったのは、極々僅かな救いだったのかもしれなかった。
「……さて」
もう一度、倒れている男を引きずり起こす。
「次はない。いいか?」
「ち、違う……!!」
「何が違う?」
「ここじゃない!女は一本隣の道だ!嘘じゃない!!」
奴の指がぶるぶる震えながら自ら発した言葉を説明するように小道と小道の交差点を示していた。
「そうか……」
「し、し、信じてくれ……」
憐れみを乞うように――いや実際に乞うていたのだが――こちらを見上げるその男から手を離して、示された通りの方向に向かう。
周囲の確認後、掘っ立て小屋の間にできたスペースに足を踏み入れて根付に耳をやると、子供の鳴き声のようなそれは収まって、仏壇の鈴を鳴らすようなチン、チンという音に変わっている。
それが根付のもう片方=シラに近づいている証拠のその音を聞いて、俺は今しがた殺した奴をシラを救うことで帳消しに出来るような気がした。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に