連鎖6
その感想を抱いたのは俺一人ではないようだ。
「ここは普通の町みたいですね」
先程の一件は、シラも緊張したのだろうか。
その声にはどこか安堵したものが感じられた。
ここ南詰地区はその名の通り町の南北を繋ぐ橋の南側の橋詰を中心に広がっていて、町は現地人も俺たちのような外部の人間もその両方が行きかっている。
彼等――特にこの町の北側に暮らす者達にとっては事実上の袋小路になるのだが、それでも何軒か軒を連ねる商店に用のある者や、近くの港から上陸したのだろう者達にとっては十分足を運ぶに値するようだ。
――心なしか安い娼館が目立つのは、北側がこちらに押し付けたのか、或いは客と店員の“供給源”の近くだからだろうか。
まあ、とにかく。
その安全なエリアを橋の方へ向かって歩いていく。
橋に近づくほどにより一般的な商店や露店が増え、昼時とあって昼食を求める人々でごった返している。
「おっ、娼婦パンだね」
その露店の一つの前を通った時、その前に掲げられた看板の文字をジェルメが見つけた。
店の前にはそのパンを求める者達が二、三人列を作っていて、それなりの人気店なのだろうというのは分かった。
彼等の肩越しに店先を見ると、直径20cm程度の薄焼きパンの上に肉や魚の干物、卵、火を通した野菜が乗ったものが並べられ、その横の鉄板の上では、今まさに同じものが焼き上がるところだった。
正確にはトレーシャと呼ばれるこの料理は、このパノアが発祥だとされている。
その通称通り、かつてこの町の娼婦が、客を取る合間に食器を用意する手間を惜しんであり合わせの具材をパンの上に載せて食べたのが始まりと言われており、ちょうど一人用のピザのような見た目だ。
――食欲をそそる見た目と匂いだが、今は我慢。まずは取引を終わらせてから。
「しかし、随分豪華になったものだね」
その露店の前を通り過ぎながらジェルメが過去を反芻するように呟く。
――なんとなく名残惜しそうに振り向いたのは、彼女も何とか我慢しているのだろうか。
「昔はチーズの他は、精々卵か、ほぐした干物が少し乗っていればそれで上等な代物だったのだがね」
一体いつ頃の話なのだろう。
俺がこの料理を知ったのは前のパーティにいた頃、ここの出身だったというシェイドから聞いて、だ。
その話では子供の頃には既に今のように具沢山のレシピが一般的で、特に裕福という訳でもない――というか南岸の出身なので貧しくすらあった――あいつが普通に口にしたものですら彼女の言うものより具は乗っていた。
改めてジェルメを見る。
他の露店も興味深げに冷やかしている姿は、どう見ても二十歳そこそこだ。
その俺の視線が意味するところ=俺の疑問に気付いたのは彼女本人ではなくシラだった。
「……多分適当言っているだけだと思います」
そう告げた彼女の目は呆れたような、或いは非難するようにジェルメに向けている。
「適当?」
「この人は時々しれっとそういう嘘を言いますから」
「嘘とはひどいな。場を和ませるユーモアと言いたまえよ」
嘘つき呼ばわりされた本人が、その内容に相応しくからからと笑いながら反論。
それから進行方向を指さして続ける。
「あんまり緊張しすぎるのも良くないでしょう?」
「和めるならそれでいいですけど……」
助手兼護衛――現在は突っ込みも――から軽くため息交じりにそう言われても本人は気にした様子もない。
そのまま進んで橋のたもとまで出ると右に曲がり、徐々に人の減ってくる通りを進んでから、娼館と古い民家の間に出来た急こう配の階段の前で足を止めた。
「さて、一笑いあったところで、いよいよだ」
階段は左右の建物の影が落ちて薄暗くなっていて、昼間でも薄暗い。
空を見上げると、雲が流れてきていて、徐々に空を覆いつつあるが、仮に雲一つない晴天でも、この辺りから感じる薄暗さや不気味さは完全には拭えないだろうと思えるような、陰気な気配が満ちていた。
もし前職なら、間違いなく警戒するべきポイントと考えるだろう。
少なくとも、近くで不審者の目撃情報があったらまずここを当たるぐらいには。
「道は覚えているね?」
「ああ」
その陰気な階段を先頭に立って降りていく。
頭の中に地図は叩き込んであるし、そのルートはここからでも見下ろすことができる。
ボロボロの石の階段を一段ずつ降りていくと、ただそれだけなのに不思議と橋の周りの喧騒が急激に遠ざかっていく。
「不気味だな……」
思わず正直な感想が口を突いた。
ダンジョンに潜るのとはまた違う、異界に迷い込むような、まるで人間の世界から遠ざかっていくような感覚。心なしか気温もいくらか下がっているような気がする。
その陰気な世界へと続く階段を下り切った時=その世界に完全に潜り込んだ瞬間、それは目の前に現れた。
南詰地区の地盤とも言える盛り土。それを形成している古い石垣に描かれた落書き。
よく分からない模様と、何らかの記号のようなものの羅列。
そしてその横に、ちょうどメモ帳に走り書きするように書きなぐられた一文。
「ようこそ死者。パノアの魔女の庭へ」
立ち入って早々、随分と不気味で悪趣味な歓迎をされたものだ。
「魔女……ねぇ」
市井に魔術学校があって、数年修行すれば簡単な魔術は遣えるようになる世界でそう言われても……という気はするが、なんとなくこれの作者がそうした普通の魔術師の女性を指して言っている訳ではないという事は、おぼろげながら理解できる。
ちらりと背後を振り返ると、彼女はその話について知っているようだった。
「……不気味な噂だ」
そしてその口ぶりは、俺の直感を裏付けるものだった。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に