連鎖5
「こっち側から入るのかい?珍しい」
パノア南側の門の前にいた衛兵が、俺たちを見て驚いたようにそう言った。
他の町も基本的には出てくるものを警戒するが、同時に外から接近する者にも同様の意識を向けている。
しかし、どうもここでは内外の比率は7:3か8:2と言ったところだ。外に4割向けていれば、バードウォッチングのそしりを受けるだろう。
そしてそんな環境だからか、その衛兵は一応の審査を終えてからもう一度俺たち全員を見て言った。
「とにかく、気をつけてな。俺がいうのもおかしな話だが、こっち岸はあまり長居するところじゃない」
「どうも」
その長居するところじゃない所に用がある――とは流石に言わずに門をくぐる。
他所なら、外からやって来た人間を相手にする商店や酒場、宿屋などがあるはずの門の周辺も寂れていて、かつてはそういった場所だったのだろう建物は、大概が閉鎖されて久しいか、数少ない例外もそう遠くなくそうなるのだろうという有様だ。
「確かにな……」
つい今しがた聞いた衛兵の台詞を噛みしめながら、俺が先頭に立ってそのシャッター街の真ん中に伸びる街道を進んでいく。
「随分、景気悪そうだね」
背後から聞こえるジェルメの声。
「治安も……な」
それに小さな声で答えながら、その根拠となる周囲に目を配る。
街道の左右に伸びている脇道にはどこにも、上下のどちらか、或いは両方の衣服のない者や、全身の刺青をその代わりにしていると思しき者が必ずいて、胡乱な目を俺たちの他に何人か、よく知らないでやって来たのだろう不安げな行商人なんかに向けている。
「嫌な目だな……」
何となく監視されているような、粘っこい視線。
ただの思い込みか、或いは虫の知らせか――衛兵の言う通り、あまり長居する場所ではないだろう。こういう時の直感とは馬鹿にできない。
居心地の悪さを感じさせるものはそれだけではない。大通りを挟んでいる左右の建物だ。
商店だったと思われる場所もあるにはあるが、何屋だったのかを示す看板だけが遺され、扉も窓も締め切られているのはまだいい方で、大概は荒れ放題に荒れ果て、玄関口というか、街道に面した面がほぼなくなっているところもいくつかある。
そして何を使って書かれているのか、無数の落書きがなされていて、国どころか世界が違っても治安の悪い地域というのはどこも同じような姿になるのだと認識させられる。
その大概は意味の分からない記号や絵なのだが、時折読み取れる文章も散見される。
「ハンスは永遠……?殺されても英雄になった……?」
「ああ、それね」
後ろからジェルメの声。
「ハンスっていうのは、今から10年か20年ぐらい前にこの町にいた盗賊の事だよ」
「盗賊?」
「夜風のハンスなんて言われていてね。主に北側の裕福な商家なんかから金目のものを盗み出していた。盗んだそれを南側の広場で景気よくばら撒いたりしていたから、義賊なんていう声もあるけどね」
その説明にもう一度落書きの方を見る。
恐らくその作者も、そうしたおこぼれに与ったのだろう。
「ま、最後は捕まって、本人が金をばら撒いていた広場で処刑されたけど。その広場って言うのが、今から向かうハンス広場だよ」
「それじゃあ広場がそう呼ばれるようになったのも――」
「彼にちなんで、だろうね」
鼠小僧が処刑された場所が鼠公園……日本語にすると妙に格好つかない。
「もっとも、噂じゃ彼の隠れ家からはばら撒いたのと同じかそれ以上の金や奢侈品が見つかったって話だし、義賊なんていうのも、ただ金持ちから奪ったという事実に痛快さを見出しているだけだろうけどね」
まあ、そんなようなものだろう。
実際、彼が義賊だったとして、ばら撒いた金が有効だったか否かは、この街並みを見れば察することができる。
――と、そこで緊張が走った。
前方右手の路地から出てきた一人の男。浮浪者風のそいつはしかし、ここまで見かけた中では上等な方の半分に属する服装をしていた。即ち、上下ともに何か着ている。
「……」
だが、問題はその服の下。
羽織っている長袖の上着は、妙にダボついているのに関わらず奴の歩くのに合わせて懐の辺りに膨らみが生まれている。
そして目つき。どこも注視していない、ただぶらぶらしているだけを装ってはいるが、視線が動く度にこちらとの位置を確認し、俺がそれに気付いていると分かったタイミングで別の場所に逸らす。
恐らく武器を隠し持っている。
恐らくこちらを狙っている。
恐らく――隙を見せればやる。
「……」
無言のまま背中の後ろに手をやってシラに合図。
僅かに左に動いて奴が飛び込んできた場合に安全な距離を保ちつつ、右太ももの前に提げたダガーの柄頭辺りにそっと手を置く。
奴は仕掛けない。
まだ仕掛けようとはしていない。
経験上、基本的にもし何かやると決めている=覚悟を決めた人間の目はきょろきょろと誤魔化すような動きをしない。
まだきょろきょろ動いているという場合は、まだ仕掛けると決めた訳ではない。
――ならそのままにしていろ。襲うリスクと天秤にかけ続けろ。
「……」
シラがジェルメの右横に移動したのが分かった。
俺が奴の横を通り過ぎたとしても、彼女がプレッシャーをかけ続けるポイントにいる。
勿論、奴が“間違った”判断を下した場合、彼女は即応できる。
奴の横を――と言っても十分な距離を開けて――通過。
後ろも特に動きはない。
静かな緊張が数歩の間続き、それからシラが元の位置=殿に戻っていく。
「ふぅ……」
思わず漏れたため息。
本当に、可能なら少なくともあと一人、欲を言えば三人は欲しい。
今の瞬間だって、反対側から誰かが飛び出してくれば、そちらに護衛対象を晒してしまっているのだ。
護衛対象の前と左右に一人ずつ。殿はそこから少し距離を置いて全体を監視し、同じぐらいの距離を置いてポイントマンが先行する形を取れればいいのだが、二人だけでそれをやるのは無理だ。
そんな有様なので、街道の向こう、橋に向かって上り坂になっている先に南詰地区が見えてきた時はほっとした。
その門をくぐって初めて、ようやくパノアの町に着いたような気分だ。
低地になる南岸の地形上、橋の周囲の区画全体が盛り土の上に設けられており、更に土塀がぐるっと囲んでいて、その向こうは他の町同様の人通りと活気がある。
――なんとなく、その姿が栄えている北側の前進基地のように思えたのは、その城砦のような構造のせいだけではないだろう。
(つづく)
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