連鎖4
そこから丘を下って丘陵地帯を抜け、次の宿場町に着いたのはほぼ予定通りの日没前。
入ってすぐ、アノマンと同様に町の真ん中を突っ切る街道を見下ろせ、その上で二階の客室から脇道に飛び降りられる宿を選ぶ。
同じ街道上にある隣り合った町だが、こちらの方がアノマンよりやや小規模のようだ。
アノマンはオルノ方面に進む別の街道も通っているために単純に人の量が多いというのもあるが、アルメラン方面からパノアへ入る人間が少ないというのも大きいのだろう。
部屋に着くと、すぐに隣接するジェルメたちの方へと合流する。
「やあ、それじゃ始めよう」
そう言ってテーブルの上にジェルメが広げたのは明日の目的地パノアの地図。
どこで手に入れたのか、それなり以上の精度で書かれているそれはしかし、その精度を持っても南側の一部が空白となっていた。
「本当はここも分かっていると嬉しいんだけど、まあ贅沢は言えないね」
そう言ってその空白を指で周回しながらジェルメが呟く。
アルメラン方面からの人の流れが少ない理由の一つがそこにあった。
パノアは町の中央を流れるレゼ川の河口付近の両岸にあった別の町が合併してできた町だが、その発展も歴史も、決して同じようにはいかなかった。
北部の都市と陸路で繋がり、港湾施設も整備された北側に対し、南側の低地一帯は発展に取り残されたエリアと言っていい。
スラム、貧民窟、ドヤ街――まあ言い方は何でもいいが、要するにそういうエリアが大半を占めていて、とてもではないが正確な地形を把握するのは不可能だった。
そしてその事に関する目下最大の問題は、俺たちの目的地がその空白の中にあるという事だ。
正確に言えば取引場所自体はその縁ぎりぎりの所なのだが、何があるか分からないゾーンのすぐ隣であることに変わりはない。
となれば、護衛担当として提案することは一つしかない。
「可能な限り滞在時間は短く。周囲には最大限の警戒を払うが、地元民との接触は可能な限り避ける事だ」
俺たちは観光地に行く訳ではないし、場所柄現地人が親切でフレンドリーである事を期待するのはやめておいた方がいい。
その上大規模な部隊を率いている訳でも、すぐ近くに応援を期待できる部隊がいる訳でもない。
であるならば?理想はそこにいる事さえ依頼人以外に悟られない事だ。
その事はそこで取引する張本人も分かっている。
「勿論、そのつもりだよ。取引場所はここ。通称ハンス広場と呼ばれる場所のすぐ東側にある廃倉庫。現地までのルートは、まず市街南門から進入し、そのまま街道を前進して『南詰め』地区へ。橋の前にある分岐を東に進んで市街に降り、このルートでハンス広場へ。広場北側、最も建物が少ない辺りを通り抜けて取引場所に向かう。後はいつも通り、シラは外の警備を。トーマは私と中に。取引が終わり次第すぐに脱出し、南詰め地区に戻ってから橋を渡り北側へ」
言葉を一つずつ説明するように、彼女の指が地図の上を発言通りに滑っていく。
「脱出のプランBは?」
「危険だけど、取引現場から東に進み、このブレンマーン寺院の裏手を抜けて、取水塔横の階段で堤防の上に出る。そのまま堤防沿いに進んで河口まで出て、渡しをチャーターするしかない」
かなり大回りになるが、まあそれしかないだろう。堤防に沿って南詰め地区に戻ろうとすれば、かなりの距離を南側市街=危険があるエリアと川に挟まれて進む事になる。
それに比べれば、一気に河口付近の雑多なエリアに出て人混みに紛れ、全員の財布を差し出してでも――或いは最悪の場合その代わりに刃を差し向けても――渡し舟を拾う方がまだ確実だ。少なくとも水の上には追ってこないだろう。
と、そこでシラが手を挙げた。
「私はどこで見張れば?」
「この辺りに高い所があるかは微妙だけど……一応広場のすぐ近くに高い古木があるという情報がある。そこが安全ならそれに登って欲しい。なければ、取引場所の上でもどこでも、ただ、すぐに合流できる場所でね」
「了解です」
「では次に、行き道でトラブルがあった場合だけど――」
ジェルメが俺を見る。答えは簡単だ。
「その時は中止だ。すぐに引き返す」
「まあ、そうするしかないね」
護衛担当としては、それ以外に言う事は出来ない。
もっと人数がいればまた違うのかもしれないが、如何せん予算はいつだって最大の課題なのだ。
結局、出来ることを出来る限りやるしかない。
精々気張って、無事を祈る。悪くない報酬とベッドの部屋を手配してくれる依頼人と今後も繋がっておくために。
翌日、俺たちは前日と同様開門時間と同時に町を出た。
と、門をくぐってすぐにシラがジェルメを呼び止めた。
「あれ、ちゃんと身に着けていてくださいね」
「ああ、大丈夫だよ。忘れてはいない」
そう答えながら、その“あれ”を首から下げるジェルメ。
腰のポーチに入っていたところを見ると、本当に忘れていないのかどうかは怪しい所だ。
取り出したのは小さな根付のようなもの。木製のそれの中に何が入っているのかは、表面に描かれた幾何学的な模様ですぐに分かった。
「ドライアドの樹皮か……」
「ええ。私が片方を持っていますので」
自身の首から下げた同じような根付を見せるシラ。こちらは宿を発った時から付けていた。
ドライアドというのは古い木に宿る精霊のようなもので、この世界ではそれほど珍しい存在ではない。
そのドライアドの宿った木の樹皮と、人型の樹木のようなドライアドの樹皮は互いに反応し合う性質を持っており、それを用いることで簡易的な探知機として機能する。
「実はこの前の依頼の後、普通の薬売りの時にちょっとはぐれてしまってね。それ以降持たされているって訳」
苦笑しながらジェルメが首にかけたそれを、その発案者の確認を受けるようにくいっと引っ張った。
「当然です。私はジェルメの助手で、護衛でもありますから」
助手と言うか母親だな――その咄嗟に浮かんだ感想は、無意識に口から漏れていたようだ。
「……母親……ですか?」
妙な間が一瞬開いて、それからジェルメが苦笑した。
「やっぱりそう思うだろう?」
「なっ、ジェルメまで何を言うんですか!?」
「まあとにかく、頼りにしているよ。護衛さん達」
誤魔化すようにそう言って会話を切り上げたジェルメを前後に挟むように、俺たちは歩き出した。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に