少年老い易く憧憬諦め難し11
そんな一件の後、再び俺たちは山道を進む。
一度道が沢から離れたが、少し行くといつの間にか再び水の音が近づいてきていて、それがただ流れているだけではないという事が何となくわかるぐらいには別の音がそこに混ざっている。
「これは……」
「滝ですね。もうすぐ着くはず」
依頼人の声は心なしか自分に言い聞かせているように思えた。
もうすぐ目的地。即ち、かつて死に別れた憧れの人の終焉の地。
「……」
そこに去来する思いがどういうものなのか、経験のない俺にはよく分からない。
懐かしさなのか、寂しさなのか、それ以外の感情なのか――遠い目をして音のする進行方向を見ている依頼人からは、正確なところを読み取ることは出来なかった。
「……待った」
だが、それにばかり気を取られている訳にはいかない。
その目的地への道に見つけた痕跡は、荒事の可能性がまだ十分に残っていることを示唆しているものだった。
「これを」
「なんですか?」
その可能性=地面に出来た規則的な轍を、後ろから覗き込んでいる依頼人に見せる。
同じような幅の轍が、俺たちの進行方向に向かって、一定の感覚で並んで伸びている。加えて、その轍の周りには小石や折れた枝、落ち葉などがそうでない所と比べてほとんど見られない。
「植物型の魔物だ。それも、通過してからまだそれ程時間が経っていない」
そこから導き出される答えを肩越しに伝える。
植物という本来移動しない存在がベースとなっている魔物故か、移動する個体は限られている。
そしてその限られた個体の共通点の一つが、こうした轍だ。
植物らしく移住先に安定するために張る根を移動に用いる際に生まれるこうした轍は、つまりこれから向かう先に連中がいることを表している。
「植物型の魔物は待ち伏せを得意としている者が多い。これまで以上に……まあ、臆病になりすぎて固まる必要はないが、警戒が必要になる」
先程のように背中にくっつかれてこられては咄嗟の時に却って反応が出来ないし、何よりパーティ内の役割分担もできない。
「なので、ここから先も後方警戒はよろしく頼みます」
「はっ、はい……」
案の定、表情に不安がしっかりと現れた。
ただ、一応自らの役割を果たそうとしてくれているのは助かった。
「足元に注意して」
不器用ながら後ろ向きについてくる背中にそう告げて残りの道程を進む合間に、先程の轍の主と遭遇しなかったのは幸運と言えるかもしれない。
山の中腹。活断層のような10m程の崖から滑り落ちた水が、ちょっとした池を形成している場所に出たのは、それから数分進んだ頃だった。
「よし、到着」
念のため周囲を警戒するが、池の周りや滝壺、その反対にある先程俺たちが並んで進んできた沢に注いでいる小川にも敵の気配はない。
「あっ!」
ひとまず安心か――そう思った瞬間背後から発せられた声に反射的に身を屈めながら彼の方を振り返るが、既にその姿はそこにはない。
背中をすり抜けるように俺の前に飛び出していて、池のほとりに残された、ボロボロに錆びたロングソードの元へと駆け出している。
「おいおい……」
安全を確認するのとどちらが早かったのかは微妙なところだ。
だが、きっと彼にとってはそれぐらい待ちわびた瞬間だったのだろう――正式にパーティメンバーだったら文句の一つも言っているところだが。
前衛と後衛の交代。今度は俺が彼の背中を追う。
「ああ。……ミリアさん」
ボロボロに朽ち果て、赤い棒きれとなるまで錆びた剣の横、地面から伸びた枝にかかっている、剣と同じぐらい朽ちた腕輪が、その前で跪いて誰かの名を呼ぶ彼の背中越しに見えた。
小さな魔石が一つ埋め込まれたそれは、今にも壊れそうな真鍮色の本体は男用のそれより細い作りになっている。
「それが……」
「はい……。俺だよ。ボリノだよ。会いに来たんだよ……」
それきり、彼は腕輪に頭を下げて動かなくなった。
一体どれほど長い間、彼はこの瞬間を待ちわびていたのだろう。肩を震わせ、涙ながらに小さな声で呼びかけるその姿がそのあまりの長さを物語っていた。
「俺、能力を手に入れたよ。随分時間かかったけど……」
そう語る彼の声は懐かしむようで、しかしどこか誇るようで、何故彼がナヅキ虫を欲しがったのかをたった一言で表しているように思えた。
前回、足を洗おうとする山賊にナヅキ虫を飲ませた時は複雑な気持ちになったものだが、こういう目的のためにならジェルメの商売も悪くない。そんな風に思える。
「……ッ」
だが、感傷に浸っていられる時間はそう長くなかった。
「……一旦ストップ」
「えっ……?」
彼の背中に手を置いてそう言いながら、目は滝の方へと固定して離さない。
それは唐突に姿を現した。
滝の上から巨大なシルエットがすっと姿を現し、流れに乗るようにして崖っぷちへと移動する。
どことなく塹壕を踏み越える戦車のようにも思える巨体はしかし、その体が重力に従って落ちる手前で、無数の蔦を放射線状に辺りに伸ばすと、崖に生える様々な木々や、岩の突起などにそれらを巻きつけて空中に自らを固定する。
「来たぞ……!」
それだけではない。
姿勢制御用ではない蔦が池の中にも伸び、ぐるりと水場を囲むように太い蔦が這う。
その太いものには、トラックのタイヤぐらいの大きさに育った朝顔のような花が咲いていて、しかしその中央、本来ならめしべがあるのだろう場所には、トラバサミのような牙の並ぶ口が、落ち着きなく開閉を繰り返している。
仕上げにそれらの中央。流れ落ちる滝の前でそうした蔦を蜘蛛の巣のように広げて、その上に鎮座した巨大なチューリップのような花。
その中央から生えている――そうとしか表現のしようがない――人間の上半身が、俺たちを見下ろしていた。
人によってはメルヘンチックなものを想像するかもしれないが、そんなかわいらしい者ではないという事は、周囲の毒々しい妖花やそれらの生える蔦、そして何よりその人間部分の一番上。顔に当たる部分には昆虫のようなドーム状の目で半分以上が覆われ、残った下半分は縦に裂けた口であることが十二分に証明していた。
そしてその身体的特徴に該当する魔物の名が、俺の口から自然と飛び出した。
「アルラウネ……」
ここまで巨大な個体を見たのは初めてだが、間違いなく植物型の魔物で最も注意すべき存在だ。
そしてその危険な存在は、無数の眼球に照らし出された愚かな侵入者=俺たちを見下ろしている。
縦裂きの口から覗く牙は、その視線が捕食対象を見つけた時のものだという事を雄弁に物語っていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは次回に
なお、次回は本日19~20時ごろ投稿予定です。