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新世界へ2

 あの日は昼過ぎから水煙が起きる程の豪雨だった。


 日が沈み、過疎化が進んで地域が真っ暗になる頃に俺と宮野巡査部長はパトカーを走らせていた。

 向かうは県境近くの交番。数日前から手配されていた強盗殺人犯が出頭してきたので迎えに行けとの事。

 氾濫警戒の中、俺たちは古いパトカーを転がして山の中の交番で件の犯人を引き取った。


 はっきり言って嫌な気分だった。

 パトカーに押し込んだクルド人だかトルコ人だかの男=こちらを舐めていると一目で分かるにやけ顔。

 刑務所でも入管でも、この国では人道的な扱いが約束されている。逃げ回るよりそっちに行って、寛大な司法制度と人権意識に燃える善良な人々が助けてくれるのを待つために、この腕っぷしだけの権力の犬どもに一度身柄を預けさせておく――舐め腐ったにやけ面の理由は大方そんなところだろう。


 「冷静にな、一ノ瀬」

 小声で巡査部長が俺に告げた。

 彼だって分かっているのだ。無抵抗な70歳の婆さんを撲殺したこの男が、よく分からない理由で不起訴になる可能性が低くないという事を。

 「……わかっています」

 だから俺もそれだけ答えて運転に集中した。

 この人だって俺と同じ気持ちだ。その不条理を警察官の職業倫理が耐えさせている。

 だったら俺だけ不満を漏らす訳にはいかない。


 「ま、俺たちはラッキーだったな。交通整理に回されなくて。重い防護衣も着なくて済む」

 その空気を紛らわすように、巡査部長が笑いながら言った。

 無線では、俺たちが交番に着いた頃に出された氾濫警戒情報に基づいて交通規制が行われているという情報が流れてきている。万年人不足の県警では、こちらに駆り出されていても不思議ではない。それを免れ、いくつかの例外規定によって防護衣着用義務を逃れた俺たちは確かにラッキーなのかもしれない。

 「そうっすね」

 だから俺も合わせる。

 大雨の中、ぼろの合羽を着て山道に駆り出されなかったのは確かに幸運と言えた。


 異変が起きたのはその土砂崩れの危険性のある山道を迂回するために別の道へと入って数分後だった。

 「……ん?」

 「やけに静かだな」

 無線にノイズが混じり始め、突然ふつりと沈黙した。

 電波が悪い?いやそんな事はない。余程山奥に入り込まない限りまず無線は途切れないし、この道を使うのは初めてではないが、これまでこんなことは一度もなかったのだ。

 「……って、おいおいこっちもか?」

 同時に発生した異常=運転席側のタブレット端末がブルースクリーンを出して固まっている。こっちは時々故障を聞くが、それでも俺が体験したのは初めてだ。


 そして三つ目。

 「えっ……?」

 自分の腕時計だ。

 殺風景な文字盤の上で、二本の針が蛍光塗料を光らせて猛烈に矛盾を示している――即ち、時計の反時計回り。

 無線の不調、タブレット端末の故障、そして腕時計の異常。

 同時に起きたこれらに対してふっと思い浮かんだ仮定は、もしかしたら第六感というものだったのかもしれない。


 仮定:もしこれらが故障していないとしたら?

 つまり、今この車の周りそのものに異常が起きているのだとしたら?

 超高速での逆回転を続ける時計。その長針が10分程戻る間に駆け巡ったその考えが頭を上げさせ、そしてその瞬間視界が凄まじい閃光で包まれた。


 「うわっ!?」

 真っ白で、無音。

 それを認識した瞬間、真っ白だった世界に稲妻のような青白いフラッシュが走り、それから急速に元の世界に戻っていった。

 「……?」

 いや、元には戻っていなかった。

 光に眩んだ目が回復したそこには、石と苔とよく知らない背の高い木だらけの世界が広がっていた。


 「なんだ……ここ……」

 「何が起きた……?」

 俺も、宮野さんも二人してただそう繰り返すだけ。

 パトカーを停め、というかそうせざるを得ない場所に放り出された事を何とか報告しようとするが、依然として無線もタブレットも沈黙したまま。

 自分のスマートフォンを取り出してみるが、画面は一切の操作を受け付けず、当然のように電波も圏外。分かることは待ち受け画面の日時――9999年99月99日99:99

 そしてその表示で現状が尋常ではないという事を伝えると、それきり画面が暗転し、物言わぬ板切れとなった。


 「こっちもかよ」

 「俺のも駄目だ。どこなんだここは?」

 とにかく今は現状把握に努めよう。どちらともなくその判断に至り、すっかり怯えている被疑者に車内にいるように伝えて外へ。

 幸い酸素はある。そしておよそ地球上の物理法則は適用されるようだ。

 その上暑すぎず寒すぎない。多少涼しい気がするが、大方俺たちがいた世界=現代の日本とそれほど違わない気候だろう。

 ごつごつした岩が露出している現在地は、どうやら道――という表現が正しいかどうかは分からないが――の真ん中のようだ。

 左右に生い茂っている背の高い木々は、よく見るとその幹の奥にある高い石壁の壊れた部分から思い思いに伸びていて、その壁の向こうにも同様の木々が鬱蒼と生い茂っているのが分かった。


 取りあえず進めそうな道は前方にある獣道より少しだけましと言った様子の、当然舗装など望むべくもない細道だけのようだ。前に進めば脱出できるだろう。そんな風に考える――というより、他に出られそうな場所はない。

 周囲の石壁はとても乗り越えられそうな高さではないし、生い茂っている木々の様子からして恐らく森林に囲まれているのだろう。

 因みにその細道の、パトカーを挟んで反対側=後方にも道らしきものはあるのだか、こちらは正真正銘文句なしの獣道で、その上とても人が登っていけるものではない急こう配だ。


 つまり、前以外に進むべき道はないという事。


 そしてその未知の大自然に動いているのは俺たちだけ――ではない。

 「!?」

 「……聞こえたな」

 「はい……」

 一瞬だけ、しかし確かに聞こえた別の何かの声。

 風が木の葉を揺するそれとは明らかに異なる、生物の喉から出た唸り声のようなもの。

 一体、どこに何がいる?

 背中に冷たいものが走り、全身の神経が体外に飛び出そうにぴり付く。

 知らず知らずのうちに、右手が拳銃のホルスターに伸びていた。


(つづく)

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