少年老い易く憧憬諦め難し7
護衛の依頼。
聞き間違いではない。
「というと?」
「ここより南に進んだ山の中に魔物が出現すると言われている滝がありまして……。そこに行かなければならないのです」
まあ護衛を必要とするという時点で、安全な場所に行くという訳ではないというのは分かっている。だからその事についてどうこう聞くつもりは無い。
「実は、今回ナヅキ虫を購入した理由にも関係があるのですが……」
男は続けてそう言うと、俺たちの背後の空間に目を向ける。
誰か入ってきた訳ではない。記憶をよみがえらせる時の行動だ。
「その滝に、ある人の形見を探しに行きたいのです」
その時、ジェルメがこちらを見ているのに気付いて一瞬意識を彼女に向ける。
男に聞かせる訳にはいかないという事か、声を潜めた囁きが耳元で聞こえた。
「今回の護衛の日程は――」
「分かっている」
心配しないでも、目の前の依頼人を放り出して次の仕事にかかるような真似はしない。
それを証明する意味も含めて、男が詳細を語り出す前に前置きをしておく。
「今回のクライアントの日程が終了後、再度ここに来ることになる。それでもよければ」
「ええ。勿論それで構いません」
もう一度件のクライアントの方に目を向けると、無言のまま小さく頷く。続けてもいいという意味だ。
「それなら、詳しい話をお願いします」
「私も同席してもよろしければ、聞かせていただけますか?」
どうやらジェルメも自分の商品をどういう人間が買ったのか興味があるようだ。
彼女には事前にある程度理由を話していたようだ――恐らくどういう方向の能力を売るのかという調整があるのだろう――が、どうやら彼女にも話していない部分があるようだった。
「勿論です。ナヅキ虫をお願いしたのは、以前お話したように冒険者として旅立てるように、一人で魔物と戦う事の出来る能力が必要だったからですが、今回の話はそのきっかけになった出来事なのです」
その理由を聞いて、俺はもう一度改めて彼を見た。
聞いたわけではないため正確には分からないが、恐らく彼の年齢は40歳を超えている。
定年がある訳でも年齢による応募制限がある訳でもないが、それでも冒険者デビューを飾るには随分と高齢だ。
何事にもチャレンジするのに遅すぎることはない――時折聞かれる言葉だが、はっきり言って冒険者デビューとしては遅すぎると言わざるを得ない。もし俺が彼の身内だとしたらどんな能力を見せられても諦めろと言うレベルだ。
きっとそんな事は、俺の一回り以上年上の彼にはよく分かっているだろう。
その上でその決断に踏み切った理由に興味がないと言えば嘘になる。
「私の家はこの近くにあるホヌル川のほとりにある村にあります。親父の代からクワンクラブを獲る漁師でした。川で獲れた蟹をエルバラの町の店に卸して生計を立てていて、私も子供のころからその手伝いをして暮らしていました」
俺が昼に食ったクワンスープの蟹がどうやって提供されたのか知ることとなった。
「私が13歳の頃です。村に冒険者の一行がやってきました。アルメランからやってきたという彼らはしばらく村の宿屋に滞在したのです。私ら村の子供は、初めて見る冒険者に興味津々で、よく彼らの所に行っていました」
きっと、楽しかったのだろうというのは、それを語る彼の表情からうかがい知れる。
――そして、その楽しい時間がそう長く続いていた訳ではないというのは、彼が探しに行くものが形見であるという点から明らかだ。
「私はその冒険者一行に助っ人として同行していた、ある剣士の女性と仲良くなりました。故郷に私ぐらいの弟がいると言っていた彼女は、野次馬根性で集まっていた私たちに快く色々な話をしてくれました」
そこで一旦話を区切る男。
――なんとなく、展開が読めた。
「数日を彼女と一緒に過ごした私は、もうすっかり彼女にぞっこんでした。いつか自分も冒険者になりたい。そして彼女のような人と一緒に世界中を旅するんだ……両親には馬鹿な事を言うなと一蹴されましたが、当時の私は本気でした。……そして、そんな風に憧れた彼女は他の仲間と旅立ち、二度と帰りませんでした」
「その最期の地が、その滝という事ですか」
小さな頷きが一つ。
「生還した他の冒険者によれば、彼女はパーティが魔物に襲われた時、他の仲間を逃がすために踏みとどまり、そのまま……という事でした。私の夢はそこで終わりました。『いつか冒険者になったら、一緒にパーティを組んでください』と、真っ赤になって告白した私にうんと言ってくれたその人がもうこの世にいないのですから」
何となく、その剣士の姿がシモーヌさんで再生されたのを、何とか頭から排除しようと努めた。
依頼人に同情してはならない。重要なのは採算がとれるかどうかで、自分とだぶらせるなどもってのほか。
「私は諦めたつもりでした。自分には冒険者になれるような能力もない事は分かっていました。昔の思い出として区切りをつけて、蟹漁師として父の跡を継ぎ、今日までクワンクラブを獲ってはエルバラに売りに行く日々を続けてきました。エルバラでギルドの前を通る時に、全部忘れろと自分に言い聞かせてきました。ですが人づてにジェルメさんの話を聞いて、どうしても自分を押さえておくことが出来なくなりました」
今回のナヅキ虫の購入は、念願への第一歩という訳だ。
「例え大成しなくてもいい。私は冒険者になりたいのです。あの頃夢見たように、もうあの人はいないけれど、あの人と一緒に見たいと願ったものをこの目で見たいのです。ジェルメさんの話を聞いた時、これが自分の最後のチャンスだと思いました。このまま村で、特に腕のいい訳でもない平凡な蟹漁師として生きていくのは、それを知った後には出来なかったのです」
熱のこもったその言葉を、俺もジェルメも黙って聞いていた。
まるで演説のように語り掛ける彼は、最後にもう一度俺を見据えて締めくくった。
「お願いします。どうか、どうかその第一歩に力を貸してください」
しばし沈黙。
次に口を開くべきなのが自分なのは分かっているが、俺の下した選択はそれだった。
依頼人に同情してはならない。重要なのは採算がとれるかどうか――その言葉を自分に言い聞かせるための時間が必要だった。
「……成程。分かりました」
だからだろうか、そう口にした時の自分の声は、どこか職務質問をする時のそれに似ている気がした。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に