少年老い易く憧憬諦め難し5
そんな俺の反応がアメリアには意外だったようだ。
「驚かないんですね」
「何が?」
公爵の目的は何となく察しがついたし、その手先となって動いているのがアメリアであるというのも飲み込めた。
そのこと自体が彼女には不思議なようだ。
「私が公爵の使いとして、スカウトのような真似をしているってことですよ。まるで、最初から知っていたような反応じゃないですか」
「まあ、ね。堂上一行と仲良くしているのは知っているし、奴らは公爵のお気に入りだ。だったらあんたの立場もなんとなく想像がつくさ」
俺とアメリアの関係はそれほど深くない。
堂上が自らのパーティを立ち上げて戻ってきた時=公爵の後ろ盾を得ての活動を始めた時には既にその姿が見えていたが、当時の俺と何度か言葉を交わしただけの間柄だ。共通の知人がいる顔見知り程度のものでしかない。
そんな俺でも、こいつが堂上のパーティメンバーでなければ公爵と何らかの関係があるのだろうという事は想像がつく。
「成程、まあそういう事です。公爵は中々よくしてくれますし。ギルドの法的には多少問題はあるでしょうが、その下で仕事するのは悪くないですよ」
ちらりと、もう一度ギルドと俺とを往復する視線。
その眼が「分かるだろう?」と語っている。
つまりそう言う事だ。
公爵はギルドの強大な支援者で、無碍にできない大事な出資者でもある。多少の違法などギルドも目を瞑るだろう。
「成程ね……」
俺は目の前の同業者から護衛対象に視線を戻す。
客足はまあまあと言ったところか。
「おっ、そろそろですね」
そのタイミングでアメリアも立ち上がり、店の奥にある自分の席へと戻っていく。
一瞬そちらを目で追うと、どうやら料理を包んでもらっていたようだ。これから公爵の下に戻るのだろう。
「そうだ。最後に一つだけ」
「うん?」
「以前のあなたの実力は調べさせていただきました。もしあなたの名を公爵が知ることになれば、その時は私から推挙しようと思っています」
名を挙げろ。そうすれば拾ってやる。
公爵の使いとして唾をつけておくつもりだろう。お仕事熱心なことだ。
「……買い被りだよ」
「フフッ、ご謙遜。それでは」
新しく入ってきた団体客を間に挟むようにして店の奥へと消えていくアメリア。
再び姿を見せたのは、折詰を持って店を出るタイミングだった。
「はい。お待たせしました」
そしてそれと、俺の注文が到着するのは同時。
ついさっきまで奴と挟んでいたテーブルに料理が並べられていく。
「クワンスープとダージャン焼き、それとヤヌ酒ですね。ヤヌ酒の香味はお好みでお使いください。それではごゆっくり」
少し早い昼食と、継続する監視任務。
湯気を立てるクワンスープについてきた木のスプーンを入れて軽くかき混ぜる。
スープと言っているが、分かりやすく言えばカニ雑炊だ。クワンクラブというカンディア王国全土でとれる掌サイズの沢蟹の身をほぐしたものを米と一緒に煮込んだこの国の名物というか国民食と言うべき料理だ。
初めてみた時は随分懐かしく感じたものだ――カニ雑炊にではなく、米を常食する文化に。
一年を通して温暖湿潤なこの辺りでは古くからコメが主食の地位を占めている。
日本の米とは異なり細長い所謂インディカ米だが、アルメラン辺りでは精々保存食扱いの糒を行商が売りに来るのを見るぐらいなので、久しぶりに食べる米には随分と懐かしいものに思えた。
その米とほぐしたカニの身と塩味の効いたスープを一度にスプーンの上に掬い上げて口へ。久々の食感が記憶を活性化させるような気がした。
「米をもう一つ」
口を湿らせてからダージャン焼きに手を伸ばす。
海苔のない海苔巻きのような形の食べ物で、練った米で細切りにした干し肉を巻いて焦げ目がつくぐらいに焼いた、もう一つの国民食だ。
香ばしさが食道を駆け下りていくのを味わいながら、ヤヌ酒を一口。
独特の匂いが鼻腔をくすぐる。この匂いは芋焼酎と近いかもしれない。
まずはそのままで一口。ついで一つまみ香草の粉末を混ぜると、鼻に抜けるような爽やかな味わいが加わった。
「……っと」
料理を堪能しているばかりでは仕事にならない。
作業分担だ。目は監視を続け、料理は舌に任せる。
客引きこそジェルメがやっていたが、代金のやり取りや商品受け渡しは主としてシラの役目らしい。
まあ店番兼護衛でもあるので、あまりその護衛対象を不特定多数の人間と接触させる訳にもいくまい。
――それにどうやら、シラは店員として十分にその役目を果たしているようだ。
何人もの客の注文から即時に代金を算出し、過不足なく清算して商品を渡す。表情はジェルメに比べて硬い気はするが、それでも真面目に接客しているのは分かる。
対してジェルメは帳簿をつけつつ、必要な薬を棚や荷馬車から都度取り出して一纏めにしてシラに渡しており、役割分担はしっかりできているようだ。
「……」
食事を終え、ゆっくり舐めるように飲んでいたヤヌ酒も終わって、もう一杯追加注文。
市場が閉まるまではもう少し時間はありそうだ。
ふと、ギルドの方から市場の中を横切っていく二つの人影が目についた。
それだけならいくらでもいるし、気にも留めなかった。目を引いたのは、その二人のうちの背の高い方のサレットについた黒い羽根飾り。
「黒鶏冠のロッシ……か」
その名を口の中で転がす。
アメリア=公爵の使いのヘッドハンティングを蹴ったらしいその男の隣には、立ち振る舞いややり取りから彼の相方なのだと思われる小柄な女性が一人。
身長ほどの杖を持ち、アメリアのそれと似た薄手の外套で身を包んでいる金髪の女性。
恐らく相方が何か冗談でも言ったのだろう肩を震わせながら笑っている。
奴はどうして冒険者などやっているのだろう――ふとそんな疑問が頭をよぎった。
恐らくは俺と同じ世界からやってきた転移者で、それはつまり自分の後ろ盾になる組織や社会が存在しないという事を意味している。
寄らば大樹ではないが、そういう状況で権力者の庇護を受けるというのはおかしな話ではない。
余程の堅物か、腕前だけで立場を維持できる自信があるのか、別の誰かのお手付きなのか、或いは何らかの別の理由があるのか。
「……まあ」
そこで思考を打ち切る。
「関係ない事だ」
俺はハジェスじゃない。他人の都合まであれこれ勘ぐる趣味はない。
それからずっと、市場の閉場を告げる鐘がなるまで監視を続けていた。
「お疲れ様」
後片付けをしている二人の所へ戻る。
薬はまだ少し残っているが、少なくとも旅費は十分稼いだだろうと思われる売れ行きのようだ。
「ああ、お疲れ様。さて――」
棚や売れ残りを荷馬車に戻しながらジェルメが振り返り、それに合わせて俺も彼女の視線の先=俺の背後に目をやる。
「ああ、すいません。今日はもう店じまいなんですよ」
ジェルメのそれが、あくまで確認用の台詞であることはすぐに分かった。
その言葉を受けた男が、辺りを一度見回してから声を潜めて答える。
「いえ、白い鍵を売って欲しくて」
どうやらここからが、俺の雇われた理由=ナヅキ虫の取引開始のようだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に
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