少年老い易く憧憬諦め難し3
「どうかした?」
「いや……」
今の依頼人の怪訝そうな顔に気付いて頭を切り替える。
感傷に浸るのも自己分析を深めるのも後で良い。今は仕事に集中するべきだ。
と言って、特に危険のある場所ではない。
それなりに通行量の多い道とあって警備も行き届いているし、何より人の目が多い場所では山賊もそう簡単に襲う事は出来ない。
魔物に関しても同様で、現在も使用されている街道に現れることはない。
護衛である以上気を抜いていい理由にはならないだろうが、張り詰めておく必要もない。
そうして歩き続けた先、今回何故自分が雇われたのかを理解したのは、昼を過ぎて太陽が南中から西に向かい始めた頃だった。
「後ろ、頼むよ」
「了解」
麓の宿場での小休止の後、山間を抜ける街道に進む俺たち。
そこまで急ではないが、舗装されていない坂道。
そこで前日に雨が降った。
つまり、運がなければ荷馬車は轍にはまる。
この馬車馬というのが曲者で、大人しくて疲れ知らずなのは良いが、少し大人しすぎるというか、自分の後ろに繋がれている荷馬車には全くと言っていい程興味を示さない。
轍にはまってスタックしようが、それで飼い主たちが悪戦苦闘しようが、まるっきり我関せずとそこで糞をたれたり文字通り道草を食ったりして一向に動こうとしない。
まあ馬からすれば人間が勝手に繋いだ馬車に協力してやる義理もないのだろうが、エンジン代わりに使っている側からすれば困りものだ。
荷台に丸太が積まれていた理由を知るのも、またこの時だった。
「こっちは出来ました」
何の木かは知らないが見た目のわりに軽いのかシラとジェルメだけでもハマった車輪の前に差し込めたそれを使ってスタックから脱出を図る。
「せーのっ!!」
二人が馬を何とか歩かせ、俺が後ろから馬車を押す。
がたり、と動いて危うく自分がぬかるみに突っ込みそうになったが、何とか立ち直った。
そんなこんなで山道を越え、反対側の麓の宿場=南北に楕円形に広がっている盆地の北側にたどり着いた時には、既に空はオレンジ色に変わっていた。
「今日はここで一泊だね」
ジェルメが軽く息を弾ませながらそう言って、下り坂の途中にある宿屋へ。
特別安い訳でも豪華な訳でもないが、どうやら彼女らの定宿らしい。
「それじゃ、明日も朝一でお願いね」
「ああ。お疲れ様」
それぞれの部屋に入って、古く粗末ながらベッドのある部屋を見て、これも彼女に雇われるメリットだろうなと考えた。雇い主の金でベッドで眠れるのは結構な役得だろう。
「おはよう護衛さん」
「おはようございます依頼人さん」
そういう訳で、翌朝も三人で盆地を抜ける。
夏になれば熱気のたまり場になるだろうそこはしかし、まだこの時期は過ごしやすい。
街道の左右に広がる青々とした畑と、その向こうにぽつぽつ点在する監視塔を眺めながら南へ向かって進み、南端に位置する国境を越えたのは昼になる少し前だった。
「カンディアへようこそ」
こちら側とは装備の異なる国境のカンディア兵に通されて隣国へ。
幸い乾いている山間の街道を抜ければ、その先に広がるのはエルバラの町だ。
国境を越えた辺りから人通りがぐっと増える。
俺たちとは反対に越境する――恐らく帰国する者達も多いところを見ると、やはり随分人の行き来は活発なようだ。
山道を下り町の中へ。
まだそれ程暑くなる時期ではないが、それでも明らかにアルメランの辺りとは異なる気候を肌で感じることができる。
一年を通じて温暖で雨の多い地域とは聞いているが、アルメランではまだ春先といった今の時期でも既に初夏の陽気だ。
半島の周りを流れている海流が暖流であるとか、一年を通して南から暖かく湿った空気が流れ込むためだとか、理由は色々言われているらしいが、とにかくこれからもっと日本人の転移者にとっては懐かしい――できれば記憶の中にだけ留めておきたい――気候になっていくのだろう。
「さて、ここが市場」
手で顔の辺りを扇ぎながら目的地到着を告げる依頼人。
町の中心部近くに大々的に開けているそれはしかし、大部分が移動可能な屋台で、店舗はその周囲を囲むようにいくつかあるだけ。
どうやら彼女のこの屋台村の一つになるつもりらしい。
「ここまでお疲れ様」
到着してすぐに顔見知りらしい市場管理者に挨拶して自らのブースに移動後、そう言いながら慣れた手つきで馬車の幌を外して開店準備を始めるジェルメ。
護衛とは言え、ここから先彼女らに密着していては商売の邪魔になる。
「では、俺はこれで」
「ああ」
それだけのやり取りで、出発前の打ち合わせ通りの場所に移動。
身の回りの警備はこれまでずっとそうしていたように店番を兼ねるシラに任せ、俺は周囲を見渡せる場所に移動する。
「到着後はシラがいる」
打ち合わせの際ジェルメにそう言われた時、かすかに彼女が背筋を伸ばした――というか胸を張ったように見えたのは俺の気のせいだったのだろうか。
まあ、とにかく。
打ち合わせ通りの場所で営業中の安酒場へ足を向け、仕事でやってきたはいいが暇が出来てしまった冒険者風を装って歩き始める。
「隣にはギルドか……、ッ!」
そこで反射的に視線を逸らす。ギルドの建物の前で話している二人組を見つけての条件反射。
と言っても、逸らさせたのはそのうちの一人だ。
背の高く、背負った狙撃用の大型クロスボウですら大袈裟に見えない男。頭にかぶるサレットに特徴的な黒い羽根飾り。
首から下げている二枚一組のドッグタグ=この世界には存在しない文化が、その人物がこの世界の人間ではない=転移者であることを物語っている。
目をそらさせたのはその男ではない方。
男の方より少しばかり背は低いが、一般女性の平均よりは大柄な方に属するだろう若い女。
男の方に微笑を浮かべて何か身振り手振りを交えて説明していて、その動きに合わせてやや癖のあるショートヘアから一房だけ尻尾のように伸ばした白い髪が背中で揺れている。
「アメリアか……」
公爵の後ろ盾を得て戻ってきた堂上修也のパーティと共に行動しているその女の名は、厄介なものに対するそれと同じ声で吐き出された。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に