少年老い易く憧憬諦め難し1
あの依頼から1か月ほどが経過した。
と言って何かあった訳ではない。いつも通り報酬を受け取り、いつも通り日雇いや汚れ仕事で口に糊をしていた。
その合間、シモーヌさんとの今生の別れの現場となった河原に何度か足を運んだ。
別に何か意味があった訳でもない。ただ単に彼女の事を思い出したからで、そうするぐらいしかすることがなかったからで、パーティの護衛という久しぶりに冒険者らしいことをした後に何となく残っている妙な懐かしさの埋め合わせになることを願ってというだけ。
その時もそうして、何をするでもなく土手の上に立って、いつも変わらずさらさらと流れていく川の流れを見るでもなく見下ろしていた。
「よう」
視界の隅にちらりと映っていた相手に敢えて目を向けずに気づかないふりをしていたら、向こうから近寄ってきた。
「うん?」
振り向いた先に久しぶりに見た顔。
「久しぶりじゃないか。ユート」
向こうも同じ認識らしい。いつも通りの――信用のおけなそうな――薄ら笑いを浮かべて俺の前に回り込む。
「ハジェスか」
ハジェス=ギルド職員の傍ら、情報の売り買いで小金を稼ぐ男。
商売道具としてだけではなく、自身もゴシップ中毒な節がある男。
もし俺のいた世界の事に行けたら、間違いなく芸能レポーターか週刊誌の記者か、或いはSNSでもネット掲示板にでも入り浸るインフルエンサーになっているだろう男。
「どうだ。仕事の方は?」
その男のいつもの定型文が飛び出す。
どうだ。仕事の方は――二つの意味がある言葉。
意味その1:何か面白い、即ち金になりそうな情報は無いか。
奴の収入源の一つは情報の行き来だ。この世界にもゴシップに特化した江戸時代の瓦版のようなものがあって、奴は自慢の情報網から拾い上げた情報をそうした相手に売って小金を得ている。
そして意味その2:お前の方で欲しい情報は無いか。
奴の収入源は情報の行き来。つまり、欲している奴に情報を売る事。
相手が欲しがっているのなら=金になるのなら、ゴシップである必要はない。報酬が見合えば迷子の目撃情報や、どこかの奥さんのへそくりの隠し場所まで探し出す。
「いや、生憎だな」
そしてそれに対する俺の回答はそれだった。今は必要ない――どちらの意味でも。
「なんだよ。つれないじゃないか。俺とあんたの付き合いだろ」
「俺とお前の付き合いだから、だ」
その回答は想定済みか、或いは方々で言われ慣れているのか、堪えた様子もなくおどけた風に肩を竦めて見せた。
こいつの情報網は確かに素晴らしいものだ。
だが、軽々に色々話すべき相手ではない。少なくとも、自分の内情については細心の注意を払うべきだ。
そして常に念頭に置かなければならない――この男にとって守秘義務は有料サービスであるという事を。
「ま、また何か面白い話があれば聞かせてくれよ。そうだな、今は上流階級のゴシップなんか持ってきてくれると嬉しいね。あんたの仕事なら、そう言うのに触れる機会もありそうだからな」
こいつに仕事=スカベンジャーについて話したことは無かったがこの通りだ。大方どこかの間抜けが口を滑らせたのだろう。
故に、いつでも有料サービスの利用料を支払えるだけの蓄えが必要になっている。俺の仕事が奴の金になるとなった時のために。或いは奴が十分と思える身代わり=より金になる誰かの弱みを、だ。
今のところそれを支払った事が無いのは幸運と言うべきだろう。
「そんなものがあればな」
「よろしく頼むぜ。じゃあな」
へらへらと笑みを浮かべながら踵を返したハジェス。
聞こえないようにため息を一つ吐いてから振り返ると、奴は既に往来の中に紛れて小さくなっていた。
「……帰るか」
奴の後ろを追うようにして、俺も河原から町へと戻っていく。
「……それじゃ」
一度だけ振り返って、誰もいない思い出の地へそれだけ告げて。
全く、よく人に会う日だ――そう内心で思ったのは、河原とギルドの中間地点ぐらいに達した時だった。
「よう、ユートじゃないか」
またもや背後からの声に振り返る。
だがハジェスのそれと違い、だみ声だ。
「ああ、どうも親父さん」
その声の主に覚えがあったのはハジェスと同じ。
出てきた腹を揺らしながら、のっしのっしと擬音をつけるのが適切だろう足取りで俺の方にやって来る禿頭――というかスキンヘッドの中年男性。
親父さん=この町では古株に当たる元冒険者で、俺を含めた現在の冒険者たちからそう呼ばれている男。
かつてはやり手だったという話は聞くその巨漢はしかし、今はそんな雰囲気はおくびにも出さない。
もっとも、ギルド職員にも顔が利き、若い冒険者たちの面倒をよく見ていたり、伸び悩んでいる者にアドバイスを送ったりしているという辺り――そしてそれによってスランプを脱した者が一人や二人ではないという辺り、決してただ長く在籍しているという訳ではない。
「久しぶりだな。えぇ?どうだい最近は?」
親しみやすい笑顔を浮かべて俺の肩を叩く。
そこにハジェスのような油断ならない印象はなく、どことなく親戚のおじさんに会っているような気持ちにさせるのは彼の性格によるものか。
「ちょっと付き合わんか。奢るぜ」
そう言ってすぐ近くの安酒場を指して歩き出す。
まあ、断る理由もない。
「ご馳走になります」
店には他に客はいない。
まだ夜には早い時間だ。
「よう大将」
「おやギビルさん。いらっしゃい」
親父さんを名前で呼ぶ者は限られているが、ここの店主はその僅かな例だ。大方常連なのだろう。
「最近、ギルドに顔を出さないじゃないか」
案内された席に腰を下ろして二人分の酒を注文してからそう切り出す親父さん。
「……ま、俺も昔はスカベンジャーだった時期もあるからな。あまり強くは言えないが」
少し声を落としてそう続ける。どうやら気付いていたようだ。
――ふと考える。ハジェスに漏らしたのはこの人だろうか。
一瞬浮かんだその考えは、すぐに打ち消された。
この人はこれで結構口の堅い人だ。多くの新人やギルド職員から信頼されているのも、その経歴の長さと当時の実力以外にそういう理由が大きい。
「安心しな。俺は誰にも話さねぇよ。……っと」
こちらの心を読んだようにそう言って、到着したジョッキを手に取る。
「こうして付き合ってくれる奴の事は特に、な。乾杯」
「乾杯。頂きます」
そう言えば酒を飲むのは久しぶりだった。
この辺りの安酒特有のひりつくような味わいが喉を焼くのを味わいながら、親父さんと同時にジョッキを降ろした。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に