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新世界へ1

 俺=一ノ瀬勇人は警察官だった。

 高校卒業後に地元県警へ。別に正義感からでも、義務感からでも、夢だった訳でも、愛国心や郷土愛からでもない、ただ単に家族を離れられて、決して交わることのない分野に行けるならなんでも良かった。そうなった時、まず思い浮かぶ選択肢は警察官か自衛官か消防官だった。


 警察官を選んだ理由は二つ。たまたま高校時代の剣道部の先輩が同じく県警に進んだから、もう一つはたまたま警察官募集のポスターを見つけたから。

 もしたまたま目についたポスターが自衛隊のものだったら自衛隊に入っていただろうし、消防士の募集なら消防士を目指していただろうし、或いは海上保安官だったかもしれない。


 一ノ瀬家はエリートの家系だった。

 父は大手ゼネコン香椎建設の資材調達部次長、母は四年間カナダに留学し、大学で英文学を教えている。そして四歳上の兄は父親と同じ国立大学を卒業して、今では経済産業省のお役人様だ。

 兄は家の、両親の希望の星で、俺はそのおまけ、出来損ないのような物だ。本人たちに聞けば口先だけの否定が聞けるだろうが、それが分からない程のアホではないし、親戚や夫婦間での話を全く聞いた事がないなんて事もない。

 それが嫌で、高校を出てすぐ――ほとんど引き留められもせず――家を飛び出した。何か目的があった訳ではない。というより飛び出した時点で目的は達成されていた。ただあそこを離れるという事が出来れば、行き先はどこでもよかった。もし就職していなかったとして、東京でも大阪でも、月でも火星でもどこでもよかったのだ。


 一浪して難関国立大に入学し、誰もが知る大企業の管理職に登りつめた父。

 名門私立から単身留学し、通訳としても活動していた母。

 父と同じ大学にストレートで合格し、エリート官僚となった兄。

 それらを見せつけられ、毎日ケツを叩かれ、追い付こうとして、並ぼうとして、認められようとして、それがいかに分不相応な望みかを知るだけだった俺。

 才気溢れる家の、ただ一人の例外。

 いくら凡人でも、己が凡人であると理解することぐらいはできる。


 物心ついた時から、俺の目標はすぐそばにいた。

 ――いや、正確には違う。すぐ近くの者を見習うように事あるごとに言われ続けてきた。

 兄と同じになろうとした。

 兄に追い付こうとした。

 その為に必死で食らいついた。

 その度にそれが不可能だと知った。

 近づけば近づくほどに、それは果てしなく遠い。

 兄が大学に合格した時、父は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 兄が入省した時、母は泣きださんばかりに喜んだ。


 兄のいた高校に落ち、卒業後に家を飛び出した俺には、結局そのどちらも縁が無かった。

 兄のようになることが、俺があの家で存在を認めてもらうただ一つの方法だった。兄のように勉強が出来て、兄のようにいい所に勤めて、兄のように両親を喜ばせることが。


 分不相応になりたかった。

 分不相応を求められていた。

 相応の事しか出来やしないのに。

 カタツムリはどんなに頑張っても、チーターみたいに走れやしない。でも、カタツムリはそうあることを求められた。それに応えたかった。応えられるのだと思いたかった。応えられたことを認めて欲しかった。

 ――兄のように、褒めて欲しかった。


 中学で始めた剣道はそれを何度も繰り返し再認識させられているまさにその最中に決心して始めたものだった。勉強では決して追いつけず、兄が所属していた少年サッカーでも決して敵わないなどと、子供心に理解していた。

 だから、兄のいない世界に行くしかなかった。兄と比べられないために、兄がいない所に行くしかなかった。

 兄のいない世界に没頭して、それが故に先生方からは真面目に稽古すると評価された。

 警察に行くと言った時の顧問の反応もまさしくそれだった。剣道一筋で警察に進むというのは珍しい話ではない。


 その後四年間、俺は警察官として勤務していた。

 所謂お巡りさんだ。交番に詰めて、自転車に乗ってパトロールする巡査だ。

 だが、後半二年間は普通のお巡りさんという訳ではなかった。

 階級こそ巡査のままだが、所属は特別警ら隊というまだ発足三年の新設部署。繁華街を抱え、外国人労働者も増加の一途を辿る我が故郷は、安心できる街づくりを掲げた知事の肝入りでその新部隊を県警に組織させた。


 凶悪化する外国人犯罪者に対抗するため武道・格闘技経験者を集め、逮捕術をはじめ近接戦闘術の訓練に明け暮れる腕っぷし部隊。通常の警官と異なりパトロール中はセラミックプレート入りの防弾チョッキ着用が義務付けられている俺たちの任務は、荒事への敷居が低い連中に「この国の警官は母国の警官と同様かそれ以上に恐ろしい存在である」と理解させることだった。


 荒っぽい仕事ではあった。

 実際、詳細は伏せるが一部の“お利口さん”たちからは目の仇にされている存在だっただろうし、普通の警官はやらないような“説得”や“不良少年への教育的指導”を行ったことも事実だ。

 だが特別警ら隊の登場と凶悪犯罪の発生率の低下は時期を同じくしていたのも、また事実だった。


 血生臭い経験をすれば、それが嫌になる事もあった。

 だが大体すぐに慣れた。或いはそれが俺の性に合っていたのかもしれないし、もしかしたらそれが俺の才能だったのかもしれない。

 とにかく、エリート家系の絶対に関わらない仕事は、肉体的なハードさを別とすれば、案外精神的には向いているかもしれないと思えた――時折やりすぎるきらいがあると言われるほどには。

 俺たちの相手にするのが、九割九分本物のロクデナシだったという事も拍車をかけただろう。


 そんなある時、俺は唐突に、こっちの世界に飛ばされた。

(つづく)

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