虫鬻ぐ姫君5
「では、口を開けて」
その商人は円筒の片方の底を開くと、歯医者のように大きく口を開いたその山賊の口に手の中のものを持っていく。
「少し大きいけど、すぐに飲み込めるはずだからそのまま」
そう言って筒を口に当てた瞬間、中の虫が自らの意思でそうしたように口の中に消えた。
「!?」
一瞬、奴は驚いたようだったが、その時には全て終わっていた。
奴の喉が一瞬大きく膨らんで、すぐにその膨らみが下に落ちていく。
「がっ……おっ……」
「ああ、その液体は飲んでも吐き出しても構わない。ただの保存用の栄養剤で、人間に害はない」
空になった容器を背嚢に戻し、代金を同じく中にしまい込みながらそう説明するジェルメ。どうやら取引はそれで終わったようだ。
「これで、これで俺は能力者に……?足を洗えるのか……?」
「ええ。その気があるなら」
彼女は背嚢の蓋を閉じながら、その実感を噛み締めるような男の言葉に何事もないようなトーンで答える。
そして、きっとそれがこれを売った時の決まりの口上なのだろう台詞を、営業トークといったような穏やかな口調と笑顔で付け加えた。
「それでは、貴方の第二の人生が実り多きものでありますように」
足を洗う、その言葉が本心かどうかは分からない。
だが仮にそうだとしても、それが上手くいく可能性は低いだろうと、なんとなく思った。
この男は山賊だ。つまりは別の誰かから奪って生きてきた者だ。
何故彼がそんな生業に身をやつしていたのかは分からない。やむにやまれぬ事情というものがあったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
だが、一度誰かから奪って、つまり非合法な手段で報酬を得ることを覚えた者は、まどろっこしい方法=堅気の仕事で生きていくのにはそれなりの覚悟が必要だ。
そして人間、往々にしてそんな覚悟が長続きするものではない。楽な近道、或いはそう思える手段と言うのは麻薬と同じで、上手く断てたと思っていても、風向きが悪くなってくると積乱雲が発達するようにその誘惑が膨れ上がってくるものだ。
――ましてや、それを以前より簡単にできる能力を手に入れてしまえば猶の事だ。
匿名で安全確実に覚せい剤が買える通販サイトを知ったペイ中が手を出さないでいられるか考えてみればすぐにわかるだろう。
その思考を中断させたのは、外からの強めのノックだった。
音と同時に全員の目がそちらに集中し、反射的にジェルメが声を発する。
「どうした?」
「武装した人影が複数集まってきています」
「ギンピィめ……感づきやがったな」
ジェルメ、シラ、依頼人の男、三者の声がそれぞれ発せられる。
「感づいた?」
尋ね返したジェルメに男は悪びれもせず応じる。
「その金、俺たちの……ああ、だから連中のアジトからくすねた諸々を売払って作った金だ。大方それがバレたんだろう」
専門の盗品商だから足はつかない――そう付け足す。早速こいつの前途が心配になってくる話だが、今はそれ以上に自分とジェルメたちの前途の方が危ない。
「それ以上近づくなら武器を置け。何の用だ」
外でシラの声。
それに応じたのはドスの利いた、地鳴りのような男の声だった。
「てめえらが匿っている男を出せ。大人しくしていりゃ、楽に殺してやる」
どうやら関わった以上は同罪扱いらしい。
代金を受け取っている以上、今更無関係も通るまい。
だが、その脅しに応えたのはジェルメでもシラでもなく、扉横の割られた小窓から怒鳴り返した依頼人だった。
「ふざけんじゃねえぞクソッたれ!お前の手下も今日限りだ!!いつまでも手前の顔色窺ってびくついている俺じゃねえや!!」
一体こいつらの間に何があったのかは分からない。
だが少なくとも、こいつは山賊団に対して何の不満も恨みもない訳ではなさそうだ。
次の人生が見つかれば早々に足を洗いたい――できれば報復も行ってから、というのがこの男の願いだったのだろう。
「……ようカシン。手前ぶち殺されてぇみてえじゃねえか」
外の声が更に答える。
まるで楽しそうに笑い交じりに。
だが、それで黙るつもりもカシンと呼ばれた男には無かったようだ。
震えるのを必死に抑えた反論が続く。
「やってみやがれギンピィ!この腰抜け野郎!!手前が俺のおふくろにしたこと忘れた訳じゃねえだろう!!」
「ッ!」
一瞬男が頭を上げ、俺は反射的にそいつの腰のベルトを掴んで地面に引き倒す。
直後に窓枠に音を立てて矢が突き立てられる。
「大人しくしていろ」
そいつにそれだけ伝えると、すぐに雇い主の方に目を向ける。
委細承知――見返したその眼はそう語っていた。
「さて護衛、仕事の時間だ。給料分はしっかり頼むよ」
「了解」
扉を蹴り開け、ゴールキーパーのように小屋の前で仁王立ちしているシラの後ろへ。
「窓と扉から離れていろ。いいと言うまで動くな」
後方にそれだけ伝えて抜刀。
既に蛇を展開して、その姿に後ずさりしている山賊どもを睨みつけながらシラの横に並ぶ。
「ここは私が、貴方は連中の親玉の始末を」
「了解」
こちらにもそう答えて、彼女の蛇が放たれた矢から主とその横の味方=俺を守ったのを合図に駆けだす。
飛び道具を持っている複数の相手なら、俺より彼女の方が適役だろう。
二の腕の呪符に手をやると、姿勢を下げて近くの茂みに駆け込む。
敵の数は20人前後。装備こそ大したことはないが、数名混じっている弓兵が厄介だ。
その矢を躱すために木々の間を縫うように走る。
「一人抜けたぞ!」
「射殺せ!近づかせるな!!」
叫び声と共に一人の弓兵がこちらにつがえたばかりの矢を向け、それを目にしてすぐに木の後ろに飛び下がる。
ヒュッと音を立てて飛び去った矢を、護符の魔力で強化された動体視力で視認し、木から木にジグザグに走る。
「クソッ!!当てろ!!」
叫び声に別の弓兵が弓を構えようとして、脇から飛んできた投げナイフに頭を射抜かれて転がった。
「!」
ナイフが飛んできたのは小屋の方から。
見ると、シラの蛇が口に咥えたそれを、鞭のように体をしならせて投げつけていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に