落とし所5
唐突な来訪者が、ようやく眠りに着こうとし始めたところで現れた。
「……」
モラレス主任監査官。
あの男が独房の前に現れる。
その背後には見覚えのない外套の人物。室内にも関わらずフードを目深にかぶり顔の見えないその人物を、直立不動で主任監査官を迎えた牢番の衛兵も訝しがったようだが追及はしなかった。
ギルドと衛兵隊の関係は明確に上下が決まっている。
上であるギルドの、それなりの地位の人間が連れているのだ、一介の衛兵ごときがとやかく口を出せる問題ではない。
しかし、それを連れている方の発言には流石に尋ね返した。
「予定変更だ。この者をこれよりマルビスで処刑する」
「は、マルビス……でありますか?」
その名は俺も聞いたことがあった。
バンボルクの町を東に進み、アルメランとの途中にある古い処刑場だ。
処刑場と言っても何かある訳ではない。
北側の山脈の麓にひっそりとあるちょっとした広場のようなもので、首を斬る中央の広場以外には執行に際しての事務処理を行うための小屋がひとつあるだけの小さな場所。
とてもではないが、どこぞのやんごとなきお方が朝っぱらからやって来るような場所ではない。
「急ぎだ。すぐに出してくれ」
だが、牢番にとってそんな事は些事も些事だ。
目の前のギルドのお偉いさんが閉じ込めておけと言った相手を閉じ込めておき、すぐに出してくれと言ったら、すぐに出すのが彼の仕事だ。
「了解しました」
すぐに仕事に移る。
末端に理由など必要ない。それが彼らを守る事にも繋がる。逆らえない状況である+命令を受けた=自分はただその命令に従っただけ。
鉄格子の扉が開かれ、牢番によって引き出される俺。
「すぐに移動するぞ」
モラレスの言葉に合わせて、外套の人物が先導するように踵を返す。
彼等のすぐ後ろにいた牢番が、俺の腰に鎖付きの革帯を巻きつけて、犬の散歩のようにして前を歩かせる。
日も昇らぬうちの牢屋の行進。そのゴールは建物のすぐ外に待機していた二頭立ての幌馬車だ。
「護衛はいかがしますか」
「構わない。こちらで連れていく」
「了解しました。お気をつけて」
待機していたもう一人の衛兵がモラレスと言葉を交わし、すぐさま彼と外套に道を譲る。
馬車の前にはこちらももう一人外套姿の人物が待機していて、俺が向かい合う形の馬車内のシート――というよりただの床几というか木の板に腰を下ろしたのを確認してから馬に鞭をくれた。
動き出す幌馬車。俺の正面にモラレス。奴のすぐ隣に外套の人物。
ふと遠ざかっていく牢屋の方を見ると、衛兵と牢番が安堵の表情を浮かべて見送っていた。
連中にとってみれば、ようやく安心できるのだろう。武装した冒険者を始め、叙勲騎士さえ手にかけた凶悪な能力者を自分たちの手から離すことができるのだから。
「……」
それを引き受けたモラレスは、俺の向かい側で人形のように何のリアクションもせずに粗末な板をケツで温めていた。
「……どういう心変わりだ?」
ギルドはやんごとなきお方のご機嫌取りを辞めたのか。
それともそのお方の気が変わったのか。
「反旗を翻す時……ってか」
やんごとなきお方=叙勲騎士が殺されて腹を立てる立場の人間でさえ、最早気にかけてやる必要もないという事だろうか。
だとすれば、歴史の転換点に俺はいるという事だ。
そんな事に大した興味はない。だが、それでも俺は奴に問い続けた。
「おいおい、尋問の意趣返しかよ。結構根に持つなぁ」
返事はない。だが黙ってはいられない。
黙ってしまえば、死が頭から離れなくなる。
情けない話だ。あれ程恐れていないようなそぶりを見せて、自分でもほとんど確信に近いぐらいにそう思っていて、それがいざ目の前に迫っていると、一秒ごとに馬車がそれに近づいていくと、悲しいぐらいにそれから逃れようとする。
そしてそのくせ恥も外聞も捨てられずに、からかうような口調で話しかけ続けるのだ。
情けないが、それが死なのだろう。
もし転移したあの時一瞬で逝けていれば。もしこれまでの戦闘で即死していれば――いや、今更言ったところで何も始まらない。
「……」
それに、その場合ジェルメたちがどうなったか分からない。
「……ふん」
一息ついて、呼吸を落ち着かせる。
これで良かった。
例え俺があと少しの後に露と消えようと、あいつが生きているのなら、きっと今日まで生き残った意味があった。
役割を終えて、それ故にもとに戻るだけ――本来死ぬべきだった人間が死ぬだけ。
背筋を伸ばす。
ただの悪党だ。
だが、悪党が堂々と死んではならないという決まりはない。
柄にもないが、せめて綺麗に死ぬ。幸い、このところ水しか摂っていないから腹の中は大分大人しくなっているだろう。
ならば後はスパッとやってもらうだけ。辞世の句を詠むようなセンスがなかったことが悔やまれる。
「……フ」
奇妙な笑いが漏れた。
劣等感の塊だった人生。思えば随分考えていたものとは別の形になったものだ。
――だが、総合すれば来てよかったのだろう。
そこまで考えが纏まったところで、馬車は道を逸れて北側の山脈へと向かっていく。
程なく到着したのは何もない広場を木の柵で囲っただけの淋しい処刑場。立会人も執行人も野次馬も、誰もいないマルビスの処刑場だ。
東の空は白み始めている。さっきのモラレスの言葉を信じるなら、恐らくすぐに執行されるだろう。
いいタイミングだ。心変わりを起こす前に済ませてもらおう。
「……?」
そこでふと気づく、目の前の男の妙な目つき。
奴は俺の正面にいる。何を訪ねても一言も返さず、じっと逃げる気のない俺を見ている。
――いや、そうではない。
奴は俺を見ていない。というより誰の事も、何のことも見ていない。
「おい……」
眼鏡の奥の目は大きく開かれ、その瞳孔は完全に拡散している。
「おい、どうした?」
呼びかけにも一切応じる様子はない。その姿と相まって、まるで人形が置かれているような状態だ。
「なあ、お――」
何度目かの呼びかけに初めて変化が生じた――想像していなかった変化が。
「!?」
奴の両方の鼻の孔から、赤黒い血がどろりと流れ落ちる。
そしてそれに気づく様子も見せず、砂山の麓を掘り続けたように、どさりとその場に崩れ落ちた。
「ッ!!?おい!」
思わずその体に手を伸ばす。
その瞬間、奴の口から這い出てきた小さな虫の名を、俺は反射的に呟いた。
「ハニービー……?」
「やっと気づいた?」
その聞き覚えのある声が、今まで一言も発さなかった外套のフードの中からのものであると気付くのに時間は要らなかった。
白い指がフードを外す。中に納められていた髪の毛を元に戻すように一度首が振られる。
「言ったでしょう?借りは必ず返すって」
彼女はそう言って得意げに、しかし照れ隠しを兼ねて笑って見せた。
(つづく)