落とし所4
ぶち込まれた牢屋は、厳密に言えばそれが恐らく最初の拷問なのだろうと思われた。
薄暗く底冷えのする石造りの穴倉。精々四畳半が良い所の狭いそこには虫や鼠が走り回り、ただの穴でしかない片隅のトイレの横には、ケツを拭くためだろうぼろ布が、前の住人の“置き土産”付きで放置されている。ベッドなどという上等なものはないが、慈悲深い衛兵隊によってささくれだった木板にむしろを敷いただけの寝床と、蚤の養殖場と思われる布切れが一枚用意されていた。
木賃宿がスイートルームに思える程のここが、俺の終の棲家という訳だ。
寝床が決まると、すぐに俺の房の外、廊下の一番奥にある薄暗い部屋へと連行された。
「部屋は気に入ったか?」
主任監査官殿がお出迎え。
窓のない殺風景な部屋の中央には机が一つと椅子が二脚。そして隅に小さな事務机が一つと、日本の取調室をもっと質素に――というか貧乏くさくしただけのような場所だった。
当然、何をする部屋なのかは、目の前にいる人間もあって言われなくても分かる。
屈強な保安要員が俺の後から入って来て、衛兵が俺を椅子に縛り付けている間じゅう、その太い腕を組みながらこちらを見下ろしていた。どう見ても隅の事務机で調書をしたためるようには見えない。
物語る目:許可が下りればすぐにでも俺を殺す。
もしかしたら、こいつのお仲間を何人も殺したことを知っているのかもしれない。
そしてその保安要員の唯一のストッパーは、俺の顔を覗き込みながら粘っこい声で尋ねた。
「さて、単刀直入に行こうか。お前がジェルメと名乗る薬売りの女と行動を共にしていたことは分かっている。奴についていくつか聞きたい」
聞きたいと言っているが、彼女が何をしたのかをこいつらが知らないはずがない。
要するに、聞きたい点は一つだけだ。奴が今どこで何をしているのか。
「……一ノ瀬勇人。登録冒険者ギルドはアルメラン冒険者ギルド。登録番号――」
「紋切り型の奴は無しにしよう。私たちはもっとスムーズに、スマートに話し合えるはずだ」
話し合えるはず。奴はそう言った。
生憎、俺の生まれ育った環境にはそうしない選択肢がある。
「……聞こえなかったのか?」
「俺の生まれ育ったところじゃ、犯罪者でも黙る権利が認められていてな」
腕組をしていた方が一歩前に進む。
いつの間にはめたのか、奴の太い指にはブラスナックルが、部屋の薄暗い照明に真鍮色の輝きを放っている。
「成程……、いい習慣だ」
その男を一度手で制止ながら粘っこい声が続ける。
「だが、ここはマルケ王国だ。マルケ王国の法に従うべきだろう」
「ギルドの内規でなくか?」
「おい」
威圧的な声と共にブラスナックルが俺の前に現れる。
「なんとも思っていない法律に従わせるとは面白い事を言うな。あんたらの従う法律は王国の法じゃない。ギルドの内側の理屈だ」
そこで主任監査官殿が一歩退く。
反対にブラスナックルの大男が更に一歩前へ。
その一歩が選手交代の合図だったというのは、頬にブラスナックルがめり込むことで理解した。
「ッ!!」
視界が揺れる。
目の中から二人の姿が消え、すぐに差し出してもいない反対側からもう一度ブラスナックルに殴られて正面に戻る。
二度の大振りなフック。口の中に血の味が広がっていく。
「ッ!!?」
正面に戻った視界に突っ込んできたのは、大きくテイクバックしたストレート。
咄嗟に顎を引いて受けられたのはそれまでの人生での訓練の賜物。
「ぐっ……!」
思わず声を上げたが、それだけで済んで良かったと思うべきだろう。
切り裂かれた額から流れ出た血が左目を塞ぐ。
「いいか糞野郎」
右半分だけになった視界が上に向き、胸倉を掴まれているという事を身動きの取れない圧迫感と、自分から巨木が生えているようにさえ思える、掴んでいる奴の腕。そしてその先にある茹ったような真っ赤ないかつい顔で教えられた。
「俺はお前みたいなクズがギルドとそこの人間を侮辱する事が何より嫌いだ。俺の前で二度とふざけた口を利くな」
「……そうかい。それじゃ、俺がお前のお友達をどうやってばらしたか教えてやろうか?あのしょうもない腰抜け共がどういう情けない声を上げたのか」
奴の赤みに黒が差し、そしてこめかみに叩き込まれた一発が椅子ごと俺を吹っ飛ばした。
倒れたところに奴の足。大振りの蹴りが腹に突き刺さる。
「ぐぅっ」
思わず声が漏れる。
そしてこみ上げてくる吐き気と激痛。
「がっ……ごぼっ!!」
むせ返るだけで済んだのはラッキーだった。
吐き出していたら喋れなかっただろう。
「そこまでだ」
傍観していた相方が止めに入ると、奴は唾を吐きかけてから俺を椅子ごと起こした。
「……やはり犬だな」
反応はない。
「群れ意識しかない馬鹿でも、命令する飼い主の声は忘れないか」
これも耐えた。
「ひとつ教えてやるよ。悪い警官をやるならもうちょっとビビらせる演技を勉強することだ。その方が効率的だ。分かったか?」
「君も痛い思いはしたくないだろう?」
割って入ったのは良い警官役の方だった。
「素直に話した方がいい。命が無くなる前に」
もう一度の黙秘。
奴がブラスナックルの方を見て首に指二本を当てる。
「ぐぶっ!!」
再開する暴力。
結局、このやり取りを俺が失神するまで続けた――のだろう。
何しろ何ループ目か忘れた頃に気を失って、次に目を覚ましたのは独房の中だ。
鉄格子の向こうは真っ暗な廊下で、当然周りに人はいない。
熱を持っている殴られた顔を、鼠の糞まみれの床に当てて冷やしながら、むしろの中で眠る努力を続けた。
翌日、朝食代わりに与えられた水を飲む。
恐らく馬か何かの飼育に使っていたのだろうバケツに汲まれたそれをひしゃくで掬って飲み、喉が潤うとそれで顔を洗う。
「やあ。おはよう」
やって来たモラレスの後ろ、昨日とは別の衛兵の手に乗った盆の上に焼きたてのパンと瓶に入った牛乳。
「どうだ?話せるようになったか?」
「昨日と同じ話が聞きたいのか?」
奴が無言で手を動かすと、衛兵は盆を持ったまま二階へ消えた。
それから、昨日の続きだ。
同じ部屋、同じ面子、同じ拷問。
爪を剥がれたり耳を削がれたりしない分マシなのかもしれないが、それだって連日はきつい。
「そろそろ楽になりたいだろう。お前だって馬鹿じゃないはずだ」
それは山々。
「よく考えろ。その女がどれほど大切か知らないが、そいつがお前に何をしてくれる?」
根本的な事が分かっていない。
俺はお前たちが滅びればいいと思っていて、あの女は大馬鹿な事にそれを実行に移している。何をしてくれるかと言えば、それに向かってくれる。
だから、それを妨害するような真似はしない。
殴られて気絶し、水をかけられて起こされ、また殴られて気絶する――日がな一日これを繰り返しても、その気持ちは変わらなかった。
「……今日はよし」
そう、今日は。だ。
残念ながら、拷問に無限に耐えられる人間は存在しない。
まだ残虐さを全開にしていないだろうこいつらの拷問だって、そう永遠に耐えられるものではない。
折れる時は来るだろう。願わくばその時には俺の知っている情報が全て古すぎて役に立たなくなっている事を。
「君と話をするのは今日が最後になる」
そう言われたのは翌日の朝だった。
「さる高名なお方が、叙勲騎士殺しという君の所業にたいそうお怒りでね、即刻自らの前で首を撥ねよとのことだ。明日の朝には君の首は拝謁の名誉に与るだろう。残念だが、あの女の捜索は我々独自で行う事になる。……喜び給え、宮殿での処刑などそうそうある事ではない名誉だぞ」
どうやら、俺は終わるようだ。
だが同時にほっとしている。つまり、俺は守り切ったのだ。
その日一日、俺は独房で過ごした。
処刑を宣告されたことで自棄になる事を恐れたのか、衛兵が常に一人独房の前に立番するようになったが、結局最後まで与えられるのは水だけだった。
「まあ、いいさ……」
最後の晩餐などと贅沢を言える立場でもないし、それをされた所で食いたいものなどなかった。
当然、遺書の類もない。書くような話も、遺すべき相手もいないのだから。
最後の夜、最後のむしろの夜。
「……」
腹が減る夜も、いや夜そのものが今日が最後だ。
「そっちに行けるか……?」
名前も出さずに呼びかけて、すぐに否定した。
あの人と俺と、悪事の量が違う。
「いや、無理だな」
あるとすれば、俺は間違いなく地獄行きだろう。
まあいい。本来ならあの山の中で死んでいたはずなんだ――宮野さんのように。
だからこれは本来あるべきところに戻るだけ。マイナスになるのではなく、プラマイゼロになるだけだ。
そう自分に言い聞かせて、捕まった時には忘れたはずだった恐怖心を騙し続けるまま、夜が更けていった。
(つづく)
投稿遅くなりまして申し訳ございません
今日はここまで
続きは明日に
あと1話+エピローグで完結予定です。
最後までお付き合いいただければ幸いです