落とし所1
夢を見た。
俺は道を走っていた。広い道、マラソン選手みたいに。
沿道には大勢の人、人、人。
誰もが俺の知っている人。生きている者も、死んだ者も。
両親がいて、兄がいて、友人たちがいた。
宮野さんや、上司や、新人の頃の教官や、パクった犯罪者や、反省の色がないが故に不起訴処分後に教育的指導をくれてやった外国人犯罪者たち。あの日見殺しにした男もいた。
堂上達も、親父さんも、ハジェスも、ギルドの知り合いも、クライス老人も、一物を切り落とした男も、赤ひげギンピィも、レナータさんも、アメリアも、フェロンも、シモーヌさんも、みんな。
沿道を行きかって、それぞれに暮らしている。
時折俺の方を見て、笑ってくれたり、手を振ってくれたりもした。
その中を俺は一人走っていく。
不意に、体がふわりと浮き上がった。
走っていた道が滑走路だと、その時初めて気が付いた。
俺の体はぐんぐん登っていく。飛行機みたいに、滑るように。
地上を振り返る。ぐんぐん小さくなっていくみんなの方を。
彼等は彼らの暮らしをしている。何人かが俺を見上げて見送っている。
俺は彼らに何かを言おうとする。何を言ったのかは分からない。自分の声なのに聞こえない。
俺はぐんぐん高度を上げる。やがてみんなが見えなくなる。
世界がどんどん小さくなって、地球平面論が誤りであると分かるぐらいに地平線が湾曲し始めて、そして――。
「……ッ!!」
暗転し、それから別の世界。
夢だった事に気づいたのは、目を覚まして跳ね起きた一瞬後。
「気が付かれましたね」
聞き覚えのある声に反射的に振り向くと、声から想像していたのとは異なる姿に僅かばかり戸惑った。
顔の右側を包帯につつまれた少女が、その翡翠色の左目を潤ませながら、俺を見ていた。
「……シラ?」
痛々しい姿と、長かったアッシュグレーの髪が短く切り揃えられて、服装も変わっていたため頭の中と現実のすり合わせに時間がかかったが、反応=潤んだ左目と安堵の微笑みを見るに間違いではないらしい。
そしてその後ろから聞こえてきた声の主は、俺の抱いた疑問を正確に把握していた。
「薬が足りなくてね。手持ちじゃそこまで直すので精一杯」
「俺の胸嚢に入っているのを使えばいい。髪の毛は治るか分からないが」
多分、無理だろう。
散髪した後に飲んでも効果がなかったし、なにより禿の冒険者がいるという事実が全てを物語っている。
「……で、俺は何でここにいる?」
こちらは別れた時と同じ姿のままのジェルメに尋ね、それから改めて辺りに目をやる。
燃えていたはずの施設はどこにも見えず、ただ日本よりだいぶ星の多い夜空と、月明かりに照らされた目前の大きな川。そして俺たちをぼんやりと浮かび上がらせているランタンが、ここがどこかの河原だという事を伝えている。
シラもジェルメも――ついでに俺にも――両足があるという事は、恐らく三途の川ではないのだろう。
「シラに連れてきてもらった」
「倒れられているのを見て、胸嚢の薬を一つ頂きました。かなり大きい傷があったので」
そこで初めて、フェロンとの戦いで斬られた脇腹の傷が無くなっているのに気づく。
「そうか……ありがとう」
「いえ、私こそ……本当に、本当にありがとうございました」
深々と頭を下げられて、却って恐縮してしまう。
そこに更なる追い打ちが、もう一人から加えられた。
「私からも改めて、シラを助けてくださって、本当にありがとうございました」
それから二人から事のあらましを聞いた。
ディラックというあの老人がギルドに寝返ったという事、カーライルと公爵の私兵だった親父さんがジェルメ拉致のために差し向けられたという事、間一髪のところでシラが間に合ったという事、死闘の末、全身を燃やされながらもシラはジェルメを守り切ったという事、カーライルも親父さんも、ついでに二人に情報を提供した末用済みとされたディラックも死んだという事。
そして、二人の関係はこれからも継続されるという事。
「ジェルメは私に次の人生をくれましたから、私の意志で一緒にいます」
「ここまで何でも出来る助手はもう二度と現れないだろうからね」
一通り語り終えると、どうやらいつもの調子が戻ってきたようだった。
「そうか……」
対する俺が発したのはただその一言。
「……良かった」
おかしな話だが、その付け足しはどうしてか、本心からのものだとはっきりと分かった。
もうこいつらとの間に契約関係なんてない。こいつらは俺の護衛対象ではない。
なのに、どうしてか二人が無事でいることにほっと胸をなでおろしている。
改めて二人の方を見る。
ファリア式テントがシラの後ろに張られていて、どうやらそれを二人で使って一晩明かすつもりらしい。
そしてその段になって、ようやく俺もテントが用意されている事を知った。
「これはどこで?」
「ここまで逃げてくる途中でね、ディラックのものだけど、もうあの人が使う事もないから」
まあ、それなら有難く使わせてもらおう。
「助かる」
「気にしないで。……今の私たちにあなたに支払える報酬がないから、これぐらいのことしか……」
そうだ。報酬だ。
俺は無報酬でこいつらを助けた。
だが不思議な事に、それを貸しにする気持ちが全くと言っていい程芽生えない。
まるで、こいつらが生きている事が報酬だったと言わんばかりに。
その二人が距離を詰めてくる。
俺は体を起こして正面から二人を見据える。
「……」
月を見上げていた。
テントの中で二人は一緒に眠っている。
お互いを抱きしめるようにして、静かな寝息だけがさらさら流れる川の音に混じって微かに聞こえてくる。
自分のテントに入った方が良いのだろうが、どうしても眠る気になれなかった。
「……」
目は月明かりに照らされた二人の姿を見て、同時に妙に冴えた頭は今日の、いやこれまでの全てを思い出している。
こっちの世界に来てからのこと。いや、それより前、警官だった頃のことよりも前、俺が一ノ瀬家に生まれたという事実から。
「……」
不意に、先程からの妙な気持ちに思い当たる節を見つけた気がした。
こっちに来て早々に宮野さんが死んだ。
仲間だと思っていた堂上を失い、ギルドでの地位やそれを担保する能力に目がくらんでかつての仲間や、誰もが知る英雄を殺した――この辺に関しては殺したのは俺だが、やらなければ間違いなく死んでいたのは俺だった。
そして助けてくれたシモーヌさんもまた、約束を果たす前に死んでしまった。
ある時突然理不尽に送り込まれたこの世界は俺にとって、親しい誰かを死なせる場所だ。
理不尽に、勝手に、人の人生を弄んで終わらせる場所だ。
あの日山の中に置き去りにした犯罪者と同じだ。
俺は理不尽や不条理に怒っていた。きっと自分の境遇をそこに投影していた。理不尽や不条理を憎むことで自分の怒りを鎮めようとしていた。
ただ憎いのだ。不条理が、理不尽が。つまりはこの世界全てが。
だから二人の無事を喜ぶのに理由があるのだとすれば、きっと復讐だった。
この二人が生きている。冒険者ギルド=この世界の理不尽がほしいままにしようとした二人を守り切った。理不尽なギルドの力の根源を破壊し得る存在を守り切った。
だから、俺は満足していた。
そしてそれゆえに、これからの事に頭を切り替えた。この二人が生き残る方法を。
(つづく)
投稿大変遅くなりまして申し訳ございません
今日はここまで
続きは明日に