虫鬻ぐ姫君2
「その『赤ひげギンピィ』とやらについて何か知っているか?」
「ただの山賊の頭領ってだけよ。元は食い詰めた冒険者だったなんて話もあるけど定かではないわね」
元冒険者=それなり以上の割合で能力者。
数で勝る山賊に能力者がいるとなれば、シラだけでは不安なのだろう。
「分かった。で、いくら出せる?」
その質問に、彼女は指を三本立てた。
「装備品や必要物資はそちらで用意してもらうわ」
「30アルギスか……」
アルギスというのはこの世界で流通している通貨単位の一つで、冒険者への支払いの主流となる単位だ。
16アルギスで一つ上の単位である1アウルに変わり、ギルドを通しての正規の護衛依頼の場合、動く冒険者のランクを度外視すれば、今回の距離と環境、人数でそれだけ貰えればまずまずといったところだろう。
だがこれはスカベンジャーの仕事だ。
ギルドは通さないし、運ぶブツがブツだ。荷物を誤魔化して正規ルートで依頼を出すこともできないからこそ俺を選んだ訳で、それならスカベンジャーの相場でやらせてもらう。
そしてその相場で言えば30アルギス=1アウル14アルギスでは足りない。
少なくとも2アウルは用意できなければ話にならない。
「何か勘違いしてないかしら」
そこまで考えたところでジェルメが再度その右眼で俺を覗き込んだ。
「3アウルよ」
48アルギス。
堅気の冒険者なら何か裏があると考えて敬遠する程の高額。
「必要な装備品や消耗品があればその分はそちらの負担になる。また、問題なければ日帰りでの往復を計画しているけど、こちらの都合により遅れが発生した場合は延滞料金を支払う。いかがかしら?」
天秤の片方の皿に冒険者相手の戦いになるリスクを乗せる。
必要な準備=昨夜の戦いで消耗した分の補給と、いくつかの買い足しをそこに上乗せ。
それでも尚、金色に輝く3枚の硬貨を乗せた皿は持ちあがらない。
「随分と豪気だな」
「借りは作ったままにしないようにしているの。山賊から助けてもらったお礼がチーズトーストだけって訳にはいかないでしょう?」
何事もないといった口調、裏腹に少し得意げな表情。
その姿に一瞬だけ笑いをこらえて、既に決まっていた回答を告げる。
「分かった。それで受けよう」
パッと、ジェルメの顔がほころんだ。
心なしかシラも一安心したような顔をしている。
「ありがとう。よろしくお願いしますね」
差し出された握手に応じる。
柔らかい掌と色白で細長い指。思えば久しぶりに触る他人の手だった。
――しかし、こんな大盤振る舞いでも利益が出るのだとすれば、あの虫の価値は相当なものだ。
「出発は明日の朝、アルメランの東の門前に集合して開門と同時に出発。それでいいかしら?」
「ああ、問題ない」
商談をまとめた俺たちは宿屋を後にしてアルメランに向かった。
門をくぐってしまえば、後は明日の朝までバラバラだ。
「それじゃ、明日はよろしく」
「ああ。こちらこそ」
門をくぐり、既に朝の活気が一段落しつつある町の中で2人と別れた。
砦とは別に町の門にも検問があるのだが、ほとんど空の荷馬車と薬売りという名乗り、そして商売の許可証があれば特に詮索もされない。
あっさりと町に入った彼女たちは、自らの宿屋に向かい、それからいくつか仕入れもするそうだ。
対する俺が向かったのはギルドの裏手にある風呂屋。
この世界にも公衆浴場が存在し、大体の町には一軒は営業しているぐらいには入浴文化が普及もしている。
流石に個人で風呂を持っているのは王侯貴族や富裕層に限られるが、町の公衆浴場は二束三文で誰でも利用できるのでありがたい。
こちらに来て泥や埃や血にまみれることが増えて、自分で思っている以上に己が綺麗好きだったことに気づく。
そしてそれ以上に、人の血に塗れた後は体を洗わなければなんとも気持ちが悪いと思うようにもなってきていた。
山賊は人間ではなく、人の形をした喋る獣だ――頭ではこの世界のその常識は分かっている。
連中は人間ではない。女子供を平気で犯し、面白半分に人を殺すような連中が人間で良いはずがない。
だから襲ってくれば容赦なく始末する。現代日本の倫理観は脇に置いておく。郷に入りては郷に従え。間抜けのお人好しここに眠るという墓碑銘が欲しくないのなら。
だがそれでも、人を斬ると体を清めたくなるものだ。
――或いは、こちらに来た時の宮野さんとあのクルド人の事を思い出してしまうからかもしれない。
つまり、俺が死んでいい人間だと無意識下で認識してしまう事を避けているのかもしれない。
俺はあいつらとは違う、クズであることは認めてもいいが、それでも山賊どもとは違うし、自分でそう言えるようにしていないといけない。
そうでなければ、シモーヌさんに申し訳が立たないような気がした。
スカベンジャーと山賊。団栗の背比べ。目糞鼻糞を笑う。どちらも死んでもいい人間。
どこがどう違うのかと言われれば、胸を張って答えるのは難しい。
だがそれでも、山賊と同じ真似をすればシモーヌさんの名に泥を塗るような気がした。
今だって十分に、仲間と思ってくれた彼女の信頼を裏切ってはいるのだろうが、それでもだ。
――それを考える度に「本当に彼女を悲しませたくないのなら、スカベンジャーなんてやめて別の仕事をすればいい」と、俺の中の声が聞こえてきて、中途半端な己自身を見せつけられるのに耐えかねて考えを打ち切るのだった。
真っ当な仕事に就くことも出来ず、それをするよりもスカベンジャーの方が多少汚れていてもいい金額が手に入るからと未練がましくギルドに籍を置き続ける、いじけたような半端者。
――牛や豚や羊を屠殺する時にはどうして冒険者ギルドにしがみついているのか分からなくなっていたのに、山賊とはいえ人間を殺した時にはその理由を鮮明に思い出すのが、我ながらおかしくもあった。
今回もそこにたどり着いて、そこから逃げるように思考を打ち切った。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に