虫鬻ぐ姫君1
「名乗ったかな……?」
三者三様の動き。
俺:無意識に左手を横に立てかけてあった刀に伸ばす。
シラ:それを察して僅かに腰を浮かす。
ジェルメ:逸る相方を片手で制止。
そしてその一瞬の緊張を緩和したのは、それをもたらした張本人。
「ああ、警戒させたのならごめんなさい。ただ、貴方はそれなり以上に名前が知られていますので」
そう言われてからも、警戒を解くのは表向きに留まった。
「屠殺ばかりやっている冒険者として?」
「その姿も、そうなった過程も、その腕も、そして――」
ぐっと身を乗り出すジェルメ。
開いている左目は、その深い藍色の瞳がじっと俺を見据えている。
「――今はスカベンジャーだと言う事も」
今度は反応しなかった。
そこまで俺の事を知っているのだ。どうせバレているだろう。
それに、スカベンジャーという存在を知っている時点でこいつとて堅気ではない。
――つまり、突かれたくない何かのある人間という事。
「誰からの紹介だ?」
だが、それで仕事を受けるかどうかはまた別の話。
スカベンジャーの仕事は一見さんお断りが基本だ。その存在は暗黙の了解となってはいるが、表立って出来ない仕事であることに変わりはない。
よって、新たな顧客とはつまり誰かの紹介――それも、十分に信用に値する筋からの――に限られる。
「紹介……っていう事になるのかしらね」
「ああ、その通りだとも」
その声に頭を上げると、コック姿の見知った顔が立っていた。
「あなたでしたか……」
思わず漏らした声は、自分でもよく分からない感情が籠っていた。
「ハハ、ここは儂の店さ。隠居するより竈の面倒見ていた方が楽しくてな」
クライス老人。俺のお得意様にして元冒険者ギルドアルメラン支部業務局次長。簡単に言えば元ギルドのお偉いさんにして俺にさる富豪を紹介し間男の一物を切り取らせた男。
一介の薬売りがどうしてこの人と知り合ったのかは分からない。縁は奇なもの味なものとは言うが、どこで繋がっているのやら。
「……で、あんたの仕事は?ただの薬売りじゃないよな?」
視線をそのお偉いさんの知り合いに戻して問う。ギルドを通さず個人のコネで汚れ仕事を依頼する薬売りというのは、少なくとも俺の知る限り初めてのケースだ。
いつの間にかお互いに敬語が崩れているが、まあ問題もあるまい。
その認識は相手も同じようだ。
――妙な話だが、そうなってからの方がシラも落ち着いている。
「ご名答」
そう言ってジェルメが取り出したのは昨日衛兵たちに見せていた薬酒によく似た、しかし違う中身の円筒だった。
透明の液体の中に浮かんでいる虫のような何か。
ワームと呼ぶべきだろうその虫は、当たり前だが液体の中でぴくりとも動かない。
「その薬酒が?」
「これは薬酒じゃないわ」
俺によく見えるように自分の顔の前に持ってくるジェルメ。
「これはナヅキ虫。一言で言えば人間にスキルを与える寄生虫」
「なんだと……?」
「私の仕事はこれを売り捌くこと。いろいろな事情で能力を欲している人たちにこれで第二の人生を歩ませること。まあ、そんなところね」
能力の有無は、更に言えば需要のある能力の有無はほぼ運と言っていい。
俺たちのような転移者を別にすれば、先天的に決まるそうした能力は、ただ持って生まれればそれで活躍できるという訳ではない。
何事にもトレンドや需要というものはあり、生まれ持ったものがそれに適合した場合は活躍を約束されるだろうが、そうでなければ無用の長物扱いされるのがこの世界だ。
冒険者の多くは何らかの異能を持っている。勿論それがなくとも武術や魔術の腕前でやっていける者も多いが、優秀な成績を収めるのは当然のように強力な能力を持った人間だ――それこそ、あの堂上修也のような。
需要はあるだろう。
もしこの虫にその力があるのなら、この女の言う第二の人生を歩ませるという表現は決して誇張ではない。
ちらりとクライス老人の方に目をやる。
俺の考えを察したか僅かに微笑み、それからくるりと踵を返して厨房に引き返していく。
「……それで、何をすればいい?」
まあ、とにかくだ。
俺はその第二の人生を鬻ぐ女に何らかの依頼を持ち込まれている訳だ。
なら、やることは決まっている。内容と報酬次第で何でも、だ。
「あなたにお願いしたいのは、ノマリア峠までの往復での護衛。ご存じのようにノマリア峠は昨日出会ったあの森を北に抜けた先にある。昨晩妨害によって中断された取引がそのノマリア峠の山小屋にて行われるが、現在峠周辺には『赤ひげギンピィ』を名乗る人物に率いられた山賊団が出没している。この山賊の出没地域を無事に通過して取引を完遂できるよう護衛すること。以上が依頼内容。何か質問は?」
「何故そんな危険な場所を通過する気になった?」
頭の中に地図を思い浮かべる。確かにノマリア峠に向かうのには森を抜けていくのが最短だ。だが、それで命を落としては本末転倒だ。
「こっちの商売相手の希望でね。事情があって峠からそう遠く離れられないの。それに、あまり長い時間をかける事も出来ない」
彼も私も――そう付け加えるジェルメ。
まあ、彼女としても欲しがる者も消したがる者もいるだろうその虫を抱えて長時間彷徨うのは避けたいのだろう。
だからと言って随分な決断な気がするが。
まあいい。それだからこそ俺の仕事が産まれるというものだ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に