新世界へ11
「止まれ」
石塁に設けられたゲートの前で衛兵に止められて身体検査と荷物の検査。
スカベンジャーと言っても表向きは普通の冒険者だ。ギルドで発行された登録証を見せればそれで身分証明となる。
写真のないこの世界においてこれが中々優れもので、魔力の込められたこの登録証に手をかざせば、本人と認証するシステムだ。
そういう訳で俺の方があっさりクリア――ついでに山賊との遭遇も報告――したが、ジェルメたちの方は荷物を改める必要があった。
「これは?」
幌馬車の中に置かれた品々――と言ってもそれほど数はないが――のうちいくつかを衛兵が持ち主に確認。
取り出されたのは全長30cm程の透明な円筒。
中は液体で満たされ、その底に見慣れぬ虫のようなものが沈んでいる。
子供の頃理科室に置かれていた標本のようにも見えるそれを、ジェルメは慌てる事もなく説明する。
「私共は薬酒も扱っておりますので、これらも商品です」
「薬酒ねぇ」
「ええ。病中病後の栄養補給、排尿促進、精力増強……等々、各種効用の品を揃えております」
途中から宣伝のようになっているが、何はともあれ衛兵はそれで納得したようだ――ただ単にその気持ちの悪い瓶をあまり長く持っていたくなかったのかもしれないが。
全員揃って検問を突破して今日の宿へ。
驚いたのはシラが薬売りの助手として通ったことだ。あの能力を持ちながら、冒険者としてではないらしい。
まあ、とにかく。
つつがなく検問を突破した俺たちは晴れて宿屋へ。
扉を開けて直ぐ、正面のカウンターの中からスキンヘッドの巨漢がお出迎えだ。
「いらっしゃい……。ああ、お早いお着きで」
「一人追加で。部屋はまだあるかな?」
フロントを兼ねている一階の酒場でジェルメが店主にそう言うと、すぐに彼が宿帳を取り出した。
「宿代は私につけておいてね」
「あいよ。なら折角だ、割増料金貰っておくか」
「そんなの払えるぐらいならここに来ないわよ」
店主の冗談をジェルメがくだらないとばかりに肩を竦めながらそう返す。どうやら二人は面識があるようだ。大方ここの常連なのだろう。
そしてそんなやり取りをしながら、店主は宿帳を繰って俺の方へ。
「冒険者だな。それならギルド証をここへ」
慣れたやり取り。
日本のような旅館業法がある訳ではないが、それでも身元確認は必要となる。
この制度自体が山賊や逃亡犯が市街地に接近することへの抑止力となっているのも事実だ。
慣れた手つきでギルド証=ギルドに登録された冒険者であることを示すそれを読み取り、内容を書き写していく店主。
「部屋は二階に上がって一番手前の右手側だ。何か食べるなら、今の時間でも簡単なものは作れる。他に何かあったら言ってくれ」
そう言われて、店員代わりにジェルメたちに連れられて二階へ。
カウンターの横にある階段を上った先には、廊下を中心に左右に二部屋ずつある客室の扉が並んでいた。
「ここか」
二人と別れて扉を開けると、どうやら2人部屋のようだ。
と言っても、日本のビジネスホテルのそれとは訳が違う。
鰻の寝床のような狭い部屋の片隅に二段ベッドが一つと、身支度を整えるためだろうか、小さな化粧台のようなものが一つあるだけの殺風景な小部屋。
この世界ではこれでもましな方だ。
ここと同じ広さの部屋に、ぎりぎり人が通り抜けられる広さの通路だけ残してもう一つベッドを入れた四人部屋というのに泊まった事もあったが、戦争映画に出てきた潜水艦の兵員室を思い出す狭さだった。閉所恐怖症の人間は落ち着いて眠れないレベルで狭いのだ。
そしてそれでも、ベッドで眠れるだけいい部屋だ。
もっと安い部屋になればハンモックを吊るすか、筵や野宿用のベッドロールを敷いて床に転がるより他にない。
その更に下になると、もう人間用の馬小屋みたいな場所さえあるのだから、この部屋など感覚的にはスイートルーム的な扱いかもしれない。
「明日、二人にはよく礼を言っておくか」
誰にでもなく呟いてからベッドの下段に腰を下ろすと、持ち歩いていたウエスで刀の血を拭い、フィールドストリップ=分解整備を実施。
外装の取り外しが容易なのは無音刀の利点と言える。柄の上下をマイナスねじでねじ止めして刀身を挟み込んでいるだけの構造の為、マイナスドライバーが一本あれば簡単に分解できる。
血を拭い、錆止め用の油を塗布。その後緩衝材付きの柄を戻せばそれで終わり。疲労が瞼を重くしていても出来る作業だ。
「さて……」
刀を枕元に立てかけ、明かりを消してベッドの下段に潜り込む。
丸薬の効果も切れて世界が暗闇に包まれるのを感じながら、その闇に意識を放り出した。
「……ん」
再び意識が戻ったのは、向かいの砦から聞こえてくる衛兵交代式のラッパの音によってだった。
大体の町の砦や監視塔は二交代制、即ち町の開門と同時に昼のシフトの者達が砦に向かい、夜の閉門の前にやって来る夜のシフトの者達と交代する。
つまり、朝のラッパは既に町の門が開いている事を意味する。
そしてその時間の目覚めは、普段の俺からすればやや寝坊したことを意味していた。
適当に身支度を整えて部屋を出ると、階下からは人の声と食器の音、そして食べ物の匂いが登ってきていた。
「!」
「よく眠れたかしら」
背後の気配に振り向くと既に同じく身支度を整えたジェルメたちが立っていた。
「おかげさまで」
「それなら何よりです。もしよかったら朝食もいかが?」
断る理由はない。
三人で下に降りていくと、引継ぎを終えた衛兵が二人、手前のテーブルに座って朝食をぱくついていた。勤務を終えた後町に直行する者達の他にこうして腹に入れてから帰る者もいるのだろう。
他に客はいない。恐らくこの宿は砦の衛兵たちで成り立っているようだ。
今この建物の中にいるのは俺たちと店主の他には、厨房にいるもう一人だけ。
店主に案内されて奥のテーブルへ。
誰かと一緒に朝飯を食うなど、随分と久しぶりだ。
と言って、何かある訳ではない。改めて昨日の礼を言われ、俺は宿と飯の礼を言う。
それからはそれぞれ、運ばれてきたチーズトーストとミルクに集中した。
「……さて」
ジェルメが口を開いたのは、店内に店主の他には俺たちしかいなくなった後だった。
「実はひとつ、貴方の腕を見込んでお仕事をお願いしたいのです。イチノセユートさん」
(つづく)