ある取引2
何故奴がここにいる?
奴はここがどこなのか分かっているのか?或いは自分が誰なのかを?
いや、分かっているからこそ変装しているのだろうが、そういう問題ではない。普通ならまず近づかない場所で、奴は堂々とパーティに参加し、居合わせたどこかの貴族だかお大尽のパーティジョークに上品な愛想笑いを浮かべている。その事実が、奴との関係を隠すために――決して愉快ではない方法で――金をかき集めた俺からすれば狂気の沙汰だ。
レイノース公爵と言えばギルドの重鎮で、そのギルドから嫌われているのがジェルメだ。
あいつは一体何を企んでいる?
「――だが、残念だったな。あっちの美人は俺もよく知らん」
そんな俺の内心など知らず、親父さんはそう言って小さく首を横に振った。
「残念ついでにもう一つ。あの子は侯爵殿下のお相手だ。俺たちのような下々には、こうして暇つぶしのおしゃべりのネタになるぐらいしか関りになることはない。まあ、子供じゃないんだ。分かっているだろうが」
ガハハと上機嫌に笑う親父さん。
ただ一点、関りになることはないというその部分以外は正解だ。
「はあ……」
奴には何か考えがあるのだろう。そしてそのためにあのエロ親父こと侯爵殿下に近づいたのだろう。
その考えがどういうものであれ、俺が望むのはただ一つ。それがつつがなく成し遂げられますようにという事。何より俺の安全のために。
と、そこで再び視線をジェルメから外して接近する別の人物の方へ。
今日は公爵のお付きではなく冒険者側として参加しているアメリアが、俺の方につかつかと寄ってきていた。
「ユートさん。先程正門の守衛から予定されている来賓が全員到着したとの連絡がありました。以降正門は明朝まで閉鎖され、我々も予定通り配置変更となります」
「了解した」
とりあえず大広間での仕事は終わった。
ここを別部隊に引き継ぎ、俺たちは屋敷の各地に分散配置される。敷地内の警備の徹底――というより、どこにいても冒険者の姿が見えるように。
「おう、頑張ってきな」
「親父さん。吞んでますね」
親父さんの赤ら顔と上機嫌の正体をアメリアが見抜いた。
と言っても、そこに非難する様子はなく、むしろ顔にはいたずらを共謀するような笑みを浮かべている。
「私とて、付き合いというものがあるのだよ。それに依頼主のお客様の楽しみに水を差す訳にもいかんだろう?」
どうやら来賓の中に知り合いがいるらしい。
――或いはそういう言い訳をして少しくすねたのかもしれないが。
まあ、そんな事に一々けち臭い事を言わないのは、公爵の美点と言うべきかもしれない。
「そういうお前さんこそ、今日はあっちについていなくていいのかい?」
今度は反対に親父さんが尋ねる。
あっちというのは言うまでもなく、彼女の事実上の主人である、この屋敷の主にして今回の主催者だ。
その質問に、アメリアは件の主の方を振り向いた。
丁度かつて教育係を務めたというマクスウェル第三王子と思い出話に花を咲かせているレイノース公爵の傍らには、俺たちのような数合わせの警備とは異なり、まさしくSPと言った様子で長剣を携えたフェロンが控えている。
「ご本人の護衛には、あの方より適任者はおりませんので」
その姿に声を漏らしたのは、親父さんではなく俺だった。
「……確かにな」
見えざる刃、剣の王、一流の剣士であり伝説的冒険者にして叙勲騎士。
どうやって王族の参加するパーティでそれを自身の護衛に着けさせたのかは不明だが、それ故に見せる護衛としてはこれ以上ない程に適任だろう。
この会場において第三王子の警備も兼ねている――そういう見方も出来るかもしれない。
彼の身長と推測される剣の刃渡り、それらから推測するリーチの中に常に第三王子を納めているように見えるのは、恐らく考え過ぎだという事にした。
とにかく、俺の次の配置はこの広間から渡り廊下を通ったもう一つの棟だ。
ホテルのような建物がいくつか並ぶこの敷地においては比較的新しい建物のようで、今回の来賓の一部がゲストルームとして使用する建物でもある。
「……」
そこに着いたらまずすることは?
そう、無用な争いを避けるために他の冒険者と顔を合わせない場所に陣取る事。
幸い明確に敵意をむき出しにしてくる者はいないが、俺と仲良くすることで堂上の顰蹙を買う事を恐れている者はほぼ全てと言っていい。
親父さんの言葉を噛みしめる。曰く「ちょっとずつ、出来るところから」だが、残念ながらそれは今ではない。
今はとにかく目立たない事だ。下手に頭角を現して他の連中に脅威認定されてしまった挙句、濡れ衣でも着せられては元も子もない。少なくともここでは、置物のようにおとなしくしているべきだろう。
「……」
故に、俺は早く到着した来賓が時間を潰すための、今は無人の部屋のバルコニーから庭先を監視する役を買って出た。
ここなら他の警備もおらず、盗まれるものも気分を害する来賓もいない。
そうやって一人になると、やはり考えるのは先程のジェルメの事。
一体何が目的だ?何を考えてスパイ映画の真似事をしている?
そしてシミュレート:もし万が一奴が厄介ごとに巻き込まれた時、俺がするべき立ち振る舞いは何だ?
「ッ!!」
いくつかのプランを組み立て始めた瞬間、眼下の茂みに何かが動くのを認めた。
――ああ、そうだ。あいつがいるという事は、つまりそういう事だ。
「……あっ!」
「よう。こんばんは」
器用に影から影に飛び移り、バルコニーに侵入したその人物が俺に気づいて声を上げた。
一瞬その移動に用いていた蛇を構えたのは、多分部屋の照明が全て消えていて誰だかわからなかったからだろう。
「……こんばんは」
目の前にいる警備が俺だと気付いた瞬間、彼女の警戒が解けた。
安堵のため息をついているシラの姿が、青白く照らしている月明かりで浮かび上がっていた。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に