Ⅵ-ii 司書の協力者 (8月6日) 1. クロスを持つ司書2
四階外国語資料コーナーでえんじたちを待ち受けていたのは、クロスを借りる時に受付をしていた司書であった。
「あぁ! 謎のポーンって、くりさんだったんですね!」
豊はそこで待っていた者が顔見知りだったので、緊張が一気に解けて、弾んだ声でえんじに紹介した。
「えんじ、安心して大丈夫だよ。この蔦本くりさんは『カニバリズム』の縁で、よく私と本の話をする先輩なんだ」
豊の言う『カニバリズム』の縁とは、以前豊がそのタイトルの本を大図書館で借りて二週間が過ぎ、貸し出し延長の手続きを総合カウンターに頼んだ時のことである。
この図書館では、図書の一般貸出は、借り手がセルフ貸出機に本をかざせば、司書を通さずとも一人で借りることができる。しかし、貸出期間の二週間が過ぎ、もう一度同じ本を借りたい時は、紅雲楼で予約延長の手続きをするか、カウンターで司書に借り直しの手続きをしてもらわなければならない。
豊は貸出延長の手続きのため司書にその本を手渡す時、ふとためらいを感じた。この本のタイトル『カニバリズム』とは食人風習のこと、つまり人を喰う話である。
その時受付をしていたのは、今年女子大を卒業したばかりのような、自分とさほど年の違わない若い司書だった。茶色の髪に軽くウェーブをかけ、フェミニンな花柄ブラウスに淡いピンクのフレアスカートだった。小ぎれいな印象で猟奇とは無縁の人のように見えた。
豊の不安通り、司書は口元にくすくすと笑みを浮かべていた。豊は今更ながら後悔した。しかし司書が言った言葉は借り手の予想とは大きく違った。
「これ、私も借りたことあってね」
「そういうわけで、くりさんと話すようになったんだ」
豊は笑いながらえんじに説明した。くりはにこやかに自己紹介をした。
「私はご存じのとおり“The Chess”のクロスの管理をしている司書です。“The Chess”は、この図書館の館長弥生リアルが管理しています。まずは館長の話をしましょう。この奥のベンチが丁度良いので、こちらへ一緒にどうぞ」
くりはそう言うと、観葉植物で覆われて辺りからは隠れたベンチへえんじと豊を誘った。外国語資料コーナーは夏休みの間人がほとんどいない上に、その席は通路から離れてちょうど観葉植物が辺りを遮っていた。二人がそこに落ち着くと、くりも座り説明した。
「お二人ともおそらく館長に会われたことはないですよね?」
えんじと豊は無言で頷いた。“The Chess”の申し込み用紙を書く時、作者欄に編集者として館長の名前を書いたが、それはこの司書から指示されたことだった。くりは続けた。
「私たち司書も普段はほとんど館長の姿を見ません。館長は若い女性なのですが、初代学長とも昵懇だったという話があります。だから年齢は不明です。
館長は普段どちらにいるか分からない方です。この図書館には館長室はあるのですが、そこは応接室のようなもので、いつもはそこにいらっしゃいません。でもメールでお呼びすれば総合カウンターまで来てくれます。何か問題があった時は、その場に出向いてきちんと片付けてくれます。館内の司書たちも館長のことは不思議に思っていますが、業務には問題がないので誰もあえて知ろうとはしません」
えんじと豊は司書の話を真剣に聞いた。
「“The Chess”の話に移りますね。クロスは全て館長が保管しています。読者の選定を担当しているのも館長です。“The Chess”は、司書の中でも私のように運営を担当する人と、無関係な人がいます。私は高校と大学の間観戦者用クロスを借りていたので、司書になってからは貸出期間中のクロスの管理を任されています。クロスと夢の機械的な仕組みは、館長しか説明ができません。
紅雲楼で“The Chess”の物語を配信していますよね? このネット配信は、開かない茶の扉の一つにコンピューターを置いて運用しています。開かない茶の扉の鍵は、二階総合カウンターの金庫にあり、司書は開けることができます。私はこの謎に迫るため、一人で全部の扉を確認したことがあります。しかし、その時はちょっと不思議なことがあっても特に魔法がかったようなことは無く、すべて普通の部屋でした。
ではさっそく本題に入ります。お二人はおそらく図書館から“鏡の国のアリス”を探しているのですよね? 私もずっと探しているのですが、やはり見つからなかったのです。ただ、この図書館には開かない茶の扉の他にも司書だけが入れる場所があります。お二人が探していた地下の書庫の他にも書庫があるのです。この書庫は、稀覯本や大事な本が厳重に保管されている部屋なので、アルバイト生単独では入れないのです。私がお二人をお呼びしたのは、その秘密の書庫を案内して本を探す協力をしたいと思ったからです」
くりは長い説明の後、一息休んでえんじと豊を見つめた。豊は驚いて司書に問うた。
「くりさんも“The Chess”の謎を解こうとしていたんですね! でも『鏡の国のアリス』の本がその鍵になるってどうして思ったのですか?」
くりはにっこり笑って答えた。
「私の夢のパートナーが長年何かを探しているようなので、たぶん本が関係あるんじゃないかと思ってね。私も貴重品を保管する書庫の中を探したんだけど、一人では見つけられなくてね。これから一緒に行きませんか? えぇと……」
「呼び方はえんじ、でいいさね、くりさん」
沈黙して聞いていたえんじがくりに応えた。えんじはくりの話に嘘がないことを感じると、司書を信用することにした。
「ありがとう、えんじ。秘密の書庫へは、私の勤務がお休みの日のみ一緒に鍵を開けて入るようにする、ということでいいですか?」
司書の提案にえんじは「はい」と頷いた。
「くりさんの方が“The Chess”に詳しそうさね」
えんじはくりに軽く会釈をした。
「もちろん私もいいよ。助手としていつでも付いて行くよ!」
豊が元気よくその場を盛り上げた。
「ありがとうございます。ではこれから参りましょう」
くりが立ち上がった。どこか近くで観葉植物の葉が揺れる「カサッ」という音が聞こえた。
「それともう一つ、お話ししておきたいことがあるのですが……」
くりは二人の先頭に立って歩きながら言った。
「西大陸の古い詩に謳われる“クロスを持つ司書”とは私のことです」




