Ⅵ 影絵師リュージェ 4. クロスを食べた空飛ぶ魚 1
リアは昨晩リュージェに夕食をご馳走になった後、町の宿屋へ泊まった。そして朝になり教会へ暁鐘の知らせを受け取った後、リュージェの家へ再び行った。リュージェは訪問を受けると、眠たそうにあくびを噛み殺しながらリアに挨拶した。
「私は冒険は初めてなので、何かとリアさんにお世話になると思いますが、宜しくお願いします。ふぁぁ」
リュージェのスカートのポケットに入っていたネズミのワインが顔を出し「きぅきぅ」と愛想よく鳴いた。
「こちらこそ、宜しくお願いします、リュージェさん」
リアはにっこり笑って答えた。肩の上の瑠璃色の鳥サイトが羽を広げて挨拶をした。もう一羽の双子鳥カイヤは空から召喚士を見守っていた。鹿のココアは昨晩のうちに帰していた。
リアとリュージェは街道を歩き、町外れの小川の岸辺へ行った。
「ここで少し待っていて下さい、リュージェさん」
リアはリュージェに言うと、静かに流れる川の縁まで降りて行き、水の上に杖を突いた。杖の先に波紋が広がった。水面の波紋が消えないうちに、リアは喚び出しの呪文を短く唱えた。すると、波紋は淡い緑色に光り、川の両岸をつなぐ円陣が浮かび上がった。
少し待つと、魔方陣の下の川の底に大きな影が現れた。それは徐々に浮かび上がって来て、魔方陣を抜けて宙に姿を現した。それは大きな銀色の魚だった。大きさは人が五人は乗れるだろうか、というものだった。リュージェは目の前の大魚に驚き、目を輝かせた。
「本当に銀色の魚なんですね……」
リュージェは呟いた。リアは頷いた。
「銀魚は絶滅したわけじゃなくて、眠りに就いているんです。東大陸と中央大陸の間には、人が通らない岩山と崖の道が広がっていますよね? 人の住む都から離れた銀魚は、荒野の深い谷の底に落ち着いて、岩のように何百年もずっと眠っているんです。銀魚は魔力の強い生き物なので、眠り続けても生き続けられるんです」
「銀魚とめぐり合わせてくれて、ありがとうございます、リアさん」
リュージェは召喚士に礼を言った。本でしか読んだことが無い魚が実在したことに、リュージェは心が躍った。リアは言った。
「この銀魚はラムネと呼ばせてもらってます。穏やかな性格で背中に乗せて移動を手伝ってくれます。それでは僕たちもラムネに乗せて貰いましょう」
銀魚は川面から岸に上った。まずはリアが大魚に梯子をかけて上に上り背中に乗った。そしてリュージェに手を貸し引っ張り上げた。背はつるつるして不安定だったが、二人は並んで座った。リアは魚の背をなでた。銀魚はゆっくりと浮かび上がった。リュージェは初めての空を飛んでの移動にドキドキした。しかし銀魚の動きは穏やかで、振り落とされる心配はなかった。銀魚は空を飛んだ。
リュージェは空から町を眺めた。小川が続く先に、白の王都シエララントがあった。空は晴れていた。
「空の上は気持ちのいいものですね。私はこのまま眠ってしまいそうです」
リュージェがリアに言った。
「僕はラムネの背の上でうたた寝して地上に落ちてしまったことがあります」
「それは大丈夫でしたか?」
リュージェは心配そうにリアを見た。リアはにこりと笑った。
「はい。ちょうど森の上だったから大丈夫でした。でもそれからは気を付けるようにしています」
「そうですか。私も気を付けなければなりませんね。ふぁぁ」
リュージェはあくびを噛み殺しながら言った。
「ラムネに関しては、他にも失敗したことがあるんですよ」
リアは自分の失敗談を楽しそうに語った。
「僕が昔、観戦者用クロスを教会から借りた時、ラムネに喜びを伝えようと顔の近くでクロスを見せたんです。そうしたら、ラムネはぱくっとクロスを食べてしまったんです。その時は頭が真っ白になりました。仕方がないので、教会に正直にあったことを話し、許してもらいました。いまでもラムネのお腹の中には観戦者用クロスが入っているようです」
「それは驚かれたでしょうね、リアさん」
リュージェは旅人の話に口元をほころばせた。リアも笑った。空の旅は和気藹々と過ぎていった。
「ところでリアさんはどうしてチェスに参加されたのですか?」
リュージェは何気なく尋ねた。
「チェスの間に会えると約束した友人がいるからです」
リアはいつものように古い友人の話を楽しげに語った。リュージェは不思議な話だと思った。
「王都のそばに現れるということは、これから行く白の王都で会えるということですか?」
リアは首を横に振った。
「僕もよく意味が分かりませんが、そういう意味ではないようです。今までの経験から分かる事では、赤の王都まで辿り着けたら、という意味らしいです」
「それは大変ですね」
リアは軽く頷いた。
「本当です。難しい冒険を経なくちゃ会えないというのも、困ったものです」
リアは苦笑いをした。しかしその表情は明るいものに変わった。
「でも、会える約束があるだけ良かったと思います」
リュージェは尋ねた。
「リアさんはその方とたくさん冒険をされたのですね。良かったら、お話をお聞きしても宜しいですか?」
リアはにっこり頷いた。
「はい。旅のつれづれにお話ししましょう」
空は雲が無く、旅の道は快適だった。風がひとひらひらりと通っていった。
「彼とは一緒に『世の果て』まで行ったり、月を見ながら夜中までお喋りしたりしていました」
「『世の果て』とはどこですか?」
リアはにこりと答えた。
「西大陸の西の海をずっと船で渡ると在る白い砂糖の砂漠です。そこで僕たちは異界の宝物を得ることができました」
「リアさんはどこにでも行かれているのですね」
リュージェは旅人の冒険譚を愉しそうに聴いていた。
「彼はある時川で釣りをしていました。釣り糸は魔術を使って海に垂らしていました。僕が様子を見ると、何か巨きなものを捕えたようで、彼は幼い小さな体を反り返らせながらそのものを釣り上げようとしています。僕は慌てて釣竿を放すように言いました。しかし彼は持てる魔力を一杯に使って釣り上げ、川から大きな黒い頭が見えました。
それはくじらだったのです。彼は川に引き込まれそうだったので、僕は釣竿を放させました。獲物を逃がして彼曰く『くじらをこの目で見てみたかったです』だそうです」
リアは「彼は魔力が強いのに悠々としているというか、呑気な所があるんです」と付け加えた。その後もリアは友人の話を延々と話した。リュージェはリアの友人を思う気持ちに熱があることに気が付いた。




